そろそろ日付が変わりそうな頃、アオキは長引いた残業を終え家路を急いでいた。
真っ直ぐな道を歩いているとふいに道端から大きな黒い影がのっそりと視界に入り思わず足を止める。
アオキの目の前に立ち塞がるようにして、街灯に照らし出されたのは大きなリングマだった。
突然のことに驚いたアオキは一歩後ろに下がりながら、スーツの内ポケットに入れているモンスターボールへと手を伸ばす。
だが、どうにも目の前のリングマの様子がおかしい。襲いかかってくる気配は全くなく、身振り手振りでアオキに何かを伝えようとしているのだ。

「……何かあったんですか?」

自然と言葉が出ていた。
ポケモンに対しても敬語で話しかけてしまうところがアオキらしい。
アオキの声を聞いたリングマは、ついて来いというような素振りをするとアオキに背を向け歩き出す。リングマに導かれるがままアオキはその後をついて行くが、どんどん街から離れて行く。次第に街灯の数も少なくなっていき、ついにはその灯りがなくなってしまう。幸いにも、今夜は満月だったらしく煌々と輝いている月明かりのお陰で周囲の様子は見て取れた。
リングマは相変わらず襲いかかってくる素振りはない。度々、足を止めアオキが後をついて来ているか確認をしている。
一体何が目的なのか、と、考えてみるが初対面のリングマの目的など分かるはずもなくアオキはただただその後をついて行くことしか出来ない。
ふと、リングマの足が止まる。その場でうろうろと地面に横たわっている何かを鼻でつつくような仕草をしている。少し歩くスピードを落とし慎重に近づきながら目を凝らして見ると、リングマが鼻でつついているのは人間だった。
慌てて駆け寄ると地面に倒れていたのは一人の若い女性だった。外傷はない。ここまでアオキを誘導して来たリングマが襲ったというわけではなさそうだ。寧ろ逆だ。先程からリングマは女性のことを心配している素振りを見せている。女性を助けたくてリングマはアオキを連れて来たのだ。
女性は呼吸はしているようで生きていることはすぐに分かった。怪我をしているようには見えないため具合が悪く倒れ込んでしまったのかもしれない。救急に連絡をしようとアオキがスマホロトムを取り出そうとした時だった。女性がくぐもった声を漏らした。意識を取り戻したらしく何かを伝えようとしているようだ。
アオキもリングマもそれを聞き漏らさないように息を呑む。

「…………く、」
「く?」
「……空腹で、動けない…………」

それだけ言うと女性は再び意識を手放した。女性は、行き倒れていたらしい。
これが、アオキと名前の出会いである。同時に、アオキが初めて行き倒れている人間を目にした瞬間でもあった。



行き倒れていた名前とアオキが出会ってから三ヶ月が経っている。
アオキは礼は不要だと伝えたのだが、礼に現金を持ってきた名前が命の恩人だと頑なに譲らなかった。結果、アオキが折れるしかなく最終的に夕食代を名前が支払うことで落ち着いた。正確には、それがきっかけとなった。
以降、度々チャンプルタウンにある宝食堂で共に食事をする仲となっている。簡単にいえば、アオキは名前に懐かれたのだ。
ポケモン写真家として活動している名前は、今日もプラトタウンの方へ撮影に出かけて行き、わざわざ夕食をアオキと共にするためチャンプルタウンまで戻って来ている。

「あの時、私が行き倒れなかったらこうしてアオキさんとご飯を食べていなかったかもしれないって思うと……なんていうかナイス行き倒れ私!」

宝食堂の二人がけの席で、正面に座っている名前は満面の笑みでそう告げる。
既に夕食に頼んだ唐揚げ定食を平らげ、デザートのアイスクリームを食べている名前は実に幸せそうに見えた。

「言いたいことは分かりますが、行き倒れにナイスはないと思います……」

今となってはアオキも名前と食事を共にするこの時間を悪くはないと思っていることもあり、名前の口にした前半部分には納得しても後半部分については同意しかねる。
実際、何度か行き倒れたことがある中であの時は一番危なかった、と名前本人が語っていたにも関わらずよくナイスだと言えるものだとアオキは呆れてしまう。
そして、自分には絶対に名前のような思考は出来ないとも思う。自分にはないものを持っている人間のなんと眩しいことか。
先日、ジムに訪れたばかりだと思っていたらあっという間にチャンピオンになっていたあのトレーナーも含め、アオキには眩しすぎるのだ。名前ももれなくそれに当てはまる。
ならば何故、通常その眩しすぎる存在とは適度な距離を置くアオキが名前とこうして度々食事を共にするのか?それはおそらく名前の持つ眩しさを差し引いても、一緒に過ごす時間が居心地の良いものであるからだ。
先程も言ったとおりに、アオキはこの時間を悪くはないと認識してしまっている。

「んー……ナイスがダメならグッド行き倒れです?」
「……同じじゃないですか」
「あはは、確かに!」

楽しそうに笑うと、スプーンでアイスクリームを少しだけ掬って口へと運んだ。
名前は好物は少しずつゆっくりと食べるタイプのようで、その食べ方がムクホークがムックルだった頃の食べ方に似ているとアオキは密かに思っている。本人に言うつもりはない。

「ナイスやらグッドと言うなら、あの時自分に助けを求めてきたあなたのリンさんじゃないんですか?」

リンさんというのは、名前のリングマのことである。名前はリンちゃんと呼んでいる。
リングマとは、名前が幼い頃に山で遭難した時に出会い助けられてからずっと一緒にいるらしい。元々のリングマの性格なのか写真を撮ること以外はいい加減になってしまう名前のせいなのかリングマは世話焼きでしっかりした性格をしている。

「あっ確かにそうですね!リンちゃんありがと!」

名前は、上着のポケットに入れているリングマのモンスターボールに声をかけた。
おそらく今頃リングマは、モンスターボールの中で得意げな表情をしているのだろう。

「あっそうだ、」

何かを思い出したような名前にアオキはコップに伸ばしかけた手を止めた。

「この前アオキさんが褒めてくれたチャンプルタウンの写真で最優秀賞もらったんですよ!ありがとうございます……!」

名前は普段ポケモンの写真を主に撮影している。
それ以外の写真は気まぐれに撮るくらいなのだが、たまたま朝日に照らされるチャンプルタウンを高台から撮影した一枚があった。アオキが名前の撮った写真を観ていた際に、それを目にして綺麗だ、と一言漏らしたことがあったのだ。見知っている街であるのに、知らない一面を目にしたようなそれに純粋に綺麗だと思ったのがそのまま口をついていた。
名前は、それをきっかけに風景写真のコンテストにその写真を応募していたらしい。

「いえ、自分は何もお礼を言われることはしてません」
「綺麗だって言ってくれたじゃないですか!」

確かにアオキは、綺麗だ、とは言った。だが、それだけだ。
あの景色を見つけ、写真に収めたのは名前だ。写真に収めると言葉にするのは簡単だが、流れていく時間の一瞬を切り取り光や明るさや構図等その全てにおいて人を惹きつけるような写真を撮ったのは名前の技量である。

「だって、アオキさんが褒めてくれなかったらあの写真で応募してなかったんですよ。だからありがとうございます」

どう考えてもすごいのは名前自身の写真の腕なのだが、屈託のない笑顔で礼を口にする名前にこれ以上何かを言うのは野暮である。

「そういうことなら……素直に受け取っておきます」
「はい!」

嬉しそうに笑う名前にアオキの頬も少し緩む。感情が表情に出る方ではないアオキのその変化に気づける者はごく少数だろう。名前はそのごく少数に入る。
更にいうならば、アオキがそういう表情を向ける相手はもっと少ない。名前がそれに気づいているのか気づいていないのか、それとも気づかないふりをしているのかは現在のところ不明である。
ただ分かっているのは、宝食堂で食事を共にする二人はこの先も度々見かけられるということだけだ。


2022/12/31
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