昨夜から降り始めた雪は一晩中降り続いていたようだ。
朝になり、光秀が外を見ると見慣れた景色が真っ白な世界に変貌している。どんよりした空からは未だに少し雪が舞い落りていた。
雪が周囲の音を吸収してしまうせいだろう普段よりも辺りは静寂に包まれている。
この雪の日に、幸いにも特に急ぎの用もないため手付かずになっている執務をこなしてしまおうと光秀が文机へ向かい始めて数分が経過した頃だった。静まりかえっていた城内が妙にざわつき出す。敵襲の類ではないだろう。そうであれば、真っ先に利三が光秀の元へと知らせに来ているはずである。
騒がしい大方の予想はつくが一応様子を見に自室を後にしようと、襖へ手をかけようとした瞬間だった。よく聞き慣れた声が光秀の名前を呼んだと同時に襖が勢いよく開かれた。

「わっ!びっくりした」

賑やかさの元である光秀の予想どおりの人物は襖を開けた目の前に光秀がいるとは予想外だったらしい。が、その驚いた表情はすぐにまるで幼い子供のようにはしゃいだ様子に変わる。

「ねえ光秀、雪よ雪!」

雪など毎年降っている。別段珍しいものではない。雪一つでこんなに嬉しくなるものだろうか。
いや、振り返ってみれば名前はいつもそうだった。雪だけではない。春になり桜が咲けば桜が綺麗だとはしゃぎ、夏になり緑が深まれば緑が綺麗だとはしゃぎ、秋になり木々が赤や黄に変われば紅葉が綺麗だとはしゃぐ。
名前と出会ってからこの一年、彼女はずっとそんな様子だった。季節の変化など気にする暇もなく、日々忙しなく過ごしていた光秀に一息つく時間を名前は与えてくれている。
光秀にとって、いつの日かそうやって名前と過ごす時間がかけがえのないものへとなっていたのは事実だ。
目の前の名前をよく見れば、この雪降る中をわざわざ光秀の居城までやって来るために厚着をしてきたのだろうだいぶ着膨れてしまっている。
寒さで朱に染まっている頬は冷え切ってしまっているのだろう。

「寒かったでしょう」

思わず名前の冷えた頬へと手が伸びるが、頬へと触れるすんでのところで手を止める。

「御無礼を……」
「何で?」

不満そうに眉根を寄せると名前は光秀の引っ込めようとしている右手首を両手で掴んだ。そして、そのまま自身の頬を包み込むように光秀の右手を押し当てる。

「っな……名前殿!?」

名前の頬から慌てて右手を離そうとするが、がっしりと光秀の右手首を掴んでいる名前がそれを許さない。いや、強引に名前の両手を振り解くことは光秀にとっては容易いが、そうしないのは相手が名前であるからだ。

「……無礼だなんて思うわけないじゃない」

光秀の右手首を掴んでいる名前の両の手からも頬同様にひんやりとした冷気が伝わってくる。
おそらく名前は昨日親戚である信長のところに遊びに来ていて、今朝方、安土城を出て水路でここ坂本城までやって来たのだろう。水上は陸路を通ってくるよりも冷えたに違いない。

「光秀の手、温かい」

気の抜けた笑みを浮かべている名前を眺めている光秀の表情も柔らかいものへと変わっている。
光秀本人がそれを自覚しているのかは定かではないが、名前のそういう雰囲気は周囲に伝染するらしい。

「あ、そうだ」

それでね、と喋り出した名前をこの場所では寒いだろうと室内へと入れようと光秀が名前の頬から手を離そうとすると、緩みかかっていた名前の両手に力が籠る。まだ光秀の手首を離す気はないようだ。

「名前殿、手を……」
「嫌」
「しかし、このままではあなたの身体が冷えてしまいます」
「平気………………たぶん」
「名前殿」
「……あと、少しだけ。ね、お願い」

そう言われると光秀は折れるしかない。
つくづく名前には甘いな、と光秀は改めて自覚をする。
そうやって光秀が甘やかしてしまう対象である名前も、それを理解して利用している節がある。だからといってどうにかするつもりはない。今はこのままで構わない。
幸せそうに目を細めている名前を前に、今日は途中まで進めていた執務の続きは出来ないだろうと予想がついた。
今まで手付かずになっていたものだ、後回しにしたところで特段影響はない。たまの雪の日に、名前と城内でゆっくりと過ごすのも悪くないと光秀は思った。


2022/02/21
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