※禁酒法時代マフィアパロ


地下の長い真っ直ぐな廊下。薄暗いそこを進んだ先にある重厚そうな扉を開くと、そこには拷問部屋が広がっていた。
やはり薄暗い部屋の真ん中で椅子に縛られ座らせられいる一人の男はぐったりと首を落としている。その周囲には数人の男達が立っており、近くの机の上には刃物や工具等の拷問に使うのだろう道具が置かれていた。
名前が、扉を開くと中にいた男達の視線が彼女に向けられる。名前は思わず小さな悲鳴をあげそうになるのをぐっと堪えると、わざわざここに来た目的の人物の名前を口にした。

「アシェラッドさん……」

アシェラッドと呼ばれた男は、名前が所属するファミリーのボスである。
手に持っていた大振りのハサミをテーブルに置きながら、至って普通に名前に返事をする。その大振りのハサミを何に使っていたのかは、名前は無視をすることにした。聞かなくとも、床に転がっている男の指と血溜まりを見れば何をしていたのかは明確である。
ボスであるアシェラッドが自ら拷問してることから、拷問されている男が何か重要な情報を持っている人物なのかもしれないと名前は思った。
しかし、名前も重要な用事でここに来ている。出直すつもりはない。部屋の中にいる数人の男達のうち一人に気付かれないように一瞬だけ視線を向け、このタイミングを逃すわけにはいかないと言葉を続けた。

「あのですね、大事なお話があるんですけど……」

今大丈夫ですか?と名前が全て言う前に、アシェラッドは彼女の方へ近付き話を聞く体勢に入る。

「どうした?」

ファミリーの出納係である名前が、わざわざ拷問部屋に赴き大事な話があると言うのだからファミリーの金銭に関わることで何か重要なことがあったのだろうとアシェラッドは察しがついた。
名前は、一呼吸置いてから結論から口にする。

「組織の中に、密造酒を秘密裏に売って儲けてる人物がいます」

少しだけ驚いた表情をしたアシェラッドだったが、すぐにその表情は消える。
禁酒法が施行されているこの時代、酒類を飲むことも製造することも禁止されていた。
だが、大人しくそれに従う者達ばかりではない。マフィアはその代表だ。密造酒に隠れ酒場などを牛耳っては資金を得ている。それは、アシェラッドが率いているこのファミリーも例外ではなかった。

「間違いないのか?」
「はい、この一ヶ月の密造酒の生産量と利益が何度確認しても合わないので間違いありません。当事者は、バレないくらいの量だと思って売っているんだと思いますが、私はそういうの見逃しませんので……」

名前が、誰よりも数字に強いことをよく知っている。細かいところまでよく見ている彼女に誤魔化しは通用しない。
これまでも、組織の金に手を出した者達を見つけたのは全て名前の手柄である。

「成る程な。で、その人物に検討はついてんのか?」
「ええ、勿論。えっと……どうしますか?」
「お前の好きなようにして構わねェよ」
「そう言ってくれると思ってました。ありがとうございますー」

嬉しそうに笑みを浮かべると、名前は部屋の中にいる一人の男へ呼びかけた。

「えーっと、そこのグレーのスーツの……お名前なんでしたっけ?ジョンさん?」

首を傾げている名前にアシェラッドは呆れたように溜息を落とした。
彼女は、数字に圧倒的に強く数字関連に対しては記憶力もいい。だが、それ以外のことに無関心なところがある。
今、彼女に声をかけられた男は組織に入って長い方だ。彼女とも勿論面識もある。半年くらい前にあった食事会で普通に彼女は男の名前を呼び会話もしていた。にも関わらず、これである。

「まーた名前忘れたのか……」
「えーだって、一週間くらい顔見ないと忘れちゃいますよ。あ、アシェラッドさんは大丈夫です。流石にボスの名前を忘れたりはしませんので」

得意げな表情を向けてくるが、名前は組織に入ったばかりの頃にアシェラッドの名前を忘れてしまったことがある。今となっては、それすらもすっかり忘れてしまっているようだ。

「あ、逃げようとしないでくださいね」

名前とアシェラッドが会話をしている隙を見て、彼女にジョンと呼ばれた男が動こうとした瞬間だった。
彼女は、ポケットから拳銃を取り出すと迷わずその引き金を引いた。パンっと乾いた音が鳴り響き、男の叫び声があがる。
右太腿を押さえ地面に転がる男に名前は更に言葉を続けた。

「これで逃げられませんね。といっても、この部屋ドアが一つしかないのにどうやって逃げるつもりだったんですか?」
「う、うるせ……」
「はあ……うるさいって言われました」

しょんぼりする名前に今まで空気だった室内にいた男達が笑い出す。何故笑われているのか分からない名前は不思議そうな表情をしている。

「おいビョルン、そいつ運んでやれ」

笑っていた男達のうちの一人。大柄な男にアシェラッドは声をかけ、名前に撃たれ転がっている男を指差した。

「構わねェが、運ぶってどこにだ?」
「こいつのペットのとこにだ」

ぽんっと名前の頭に手を乗せる。

「これでいいんだよな?」

名前が転がっている男をどうしようとしているのか予想はついたが、念のため確認をする。尋ねられた名前は、にっこりとした笑みを浮かべながら肯定の返事をしてきた。おまけに、よく分りましたねと驚いている。
二人のやり取りを眺めながら、ペット?と首を傾げているビョルンはそのペットが何であって名前が何をやろうとしているのかをまだ分かっていない。
一方名前に撃たれた男は予想がついたのか顔を青ざめさせ取り乱し始める。名前は、それをうるさいと今度は左脚の脛に鉛玉を撃ち込んだ。

「うるさいのは嫌いなんですよね。て、ビョルンさんご存知なかったんでしたっけ?ペットって、私が飼ってるハイエナなんですけど……」
「へえ、ハイエナなんて飼ってんのか。ああ、そういうことか」
「はい、そういうことです。あの子食いしん坊なので、食費が浮いて助かります」

名前とビョルンが話している間も両脚を撃たれた男はなんとか逃げようともがくが、勿論逃げ場はない。この状況でこの場にいる人間がみすみす逃すはずもなく、ゆっくりと近付いたビョルンに首根っこを捕まえられた。

「た、助け……」
「ビョルンさん助けなくていいですよ」
「おう、分かってる。おい、動くんじゃねェよ。こいつ気絶させてもいいか?」
「はい、どうぞ」

名前が返事をしたのと同時に、すぐに男は気絶させられた。
だらり、と全身から力が抜けた男をビョルンは軽々と担ぎ上げる。

「で、どこに運べばいいんだ?」
「こちらです」

部屋から去る前に、お邪魔しましたとお辞儀をして出て行く名前の後をビョルンが続く。
真っ直ぐな廊下を歩き去って行く名前を眺めながら、アシェラッドは彼女と出会った時のことを思い出していた。
名前との出会いは、ファミリーが縄張りにしているとある書店だった。
その頃、よく本が盗まれると店主から相談を受けていたため何人かの部下を張らせていた。それを知らずに、まんまとやって来て本を盗もうとしたのが名前だったのだ。
犯人に間違いはないが、まさか繰り返し犯行を行なっていたのが少女とは思っていなかった部下達はすぐにボスであるアシェラッドに連絡した。普通であれば一書店で盗みを働いた程度の犯人の扱いは適当に部下に任せるのだが、報告内容にあった盗んだ本が全て難しい数学関連の本ばかりということとまだ子供であることに興味が湧いたアシェラッドは直接名前に会うことにした。
いざ本人に会ってみれば、自分の現状を分かっているのかいないのか後ろに手を縛られてているにも関わらず、特に怯える様子もなく平然としている一人の少女だった。
少女の側に重ねられていた少女が盗もうとした本を一冊手に取り目を通してみる。成る程、確かに難しそうな数学関連の本である。目の前にいる少女と同年代の子供が、好んで読むような内容ではなかった。

「お前、数学が好きなのか?」
「はい。……でも、学ぶお金も本を買うお金もないので仕方なく盗みました。ごめんなさい」

素直に謝られるといささか拍子が抜ける。

「……この本の中身だが、全部理解出来るのか?」
「はい、出来ます」

即答だった。
真っ直ぐにアシェラッドの方を見て答える少女が嘘を吐いていないことは分かった。

「あのー……私やっぱり殺されるんですかね?」

黙っているアシェラッドに、不安になったのか恐る恐るといった風に聞いてくる。
アシェラッドは、数学が好きだと言うこの少女は使えるかもしれないと思っていた。丁度、出納係の席が数日前に空いたばかりだ。使いものになるかどうかは分からないが、試す意味も込めて一定期間この少女にその席を与えてみるのも面白いかもしれないと、少し考える素振りを見せた後に口を開いた。

「いや、好きなだけ勉強させてやろう」
「えっ!?本当ですか!?」

その時の、少女の目の輝きときたら今でも忘れられない。心の底から数学が好きだということが伝わってくる。

「だが、条件がある」
「条件?」
「ああ、うちのファミリーで出納係をやってもらう」
「水筒……?えっと、水分補給は確かに大事ですよね」
「は?……そっちの水筒じゃねェよ」

どうやら、国語は弱いらしい。
始めは、名前がファミリーに入ることに反対していた者も多かったが、出納係としての優秀さを大いに見せつけた彼女は次第に認められファミリーに入ることに反対する者はいなくなった。
当初、一定期間の予定だった出納係の席は正式に名前のものになった。
だが、次の問題は戦闘面だった。まるで話にならないくらいの鈍臭さを発揮したのだ。ファミリーに身を置くのだから最低限として自分の身くらいは守れないようでは困る。特訓に特訓を重ね、なんとか銃だけは一人前に扱えるようになった。今の彼女なら、余程のことがなければ狙いは外さないだろう。
そして、ファミリーで唯一の女性ということもあり可愛がる者達も少なくない。当の本人はといえば、そんな者達には興味がないようで相変わらず数学に熱心なようだった。あとは、ペットのハイエナがこのところのお気に入りだ。
名前は、今では有能なファミリーの一人である。

「あれから五年か……。大分マフィアらしくなったじゃねェか」

去って行く名前の後ろ姿を眺めながら、彼女をマフィアの世界に引き込んだ張本人であるアシェラッドは笑みを漏らす。

「さて、それじゃあ続きといきますか」

ばたん、と重厚そうな扉を閉める。
同時に名前が来たことですっかりと忘れられていた部屋の中心でぐったりと椅子に座っている男の肩が一瞬だけ揺れる。
勿論、それを見逃すアシェラッドではない。テーブルの上に置いていた大振りのハサミを手に取る。

「起こす手間が省けて助かるよ。そろそろ口を割る気になったかね?」

アシェラッドは、名前に向けていたものとは全く違う冷ややかな瞳を男へと向けた。


2020/05/05
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