しまった、と狼の様な猛獣を認識した時には既に遅かった。
猛獣に攻撃をするのにも攻撃を避けるにも全てが遅すぎる。身体が反応出来ない。
次に訪れるであろう衝撃に備えることしか出来なかった。が、衝撃は訪れず目の前まで迫っていた猛獣はすっぱりと斬られ綺麗に真っ二つになって地面へと落ちていた。

「無事か?」

顔色一つ変えずに、私に声をかけてきたのは柳生但馬守宗矩。地面に落ちている猛獣を真っ二つにした人物である。
今回、極小特異点へと送られたサーヴァントは私を含め四人いたのだが、到着してみればマスターと離ればなれになってしまっていた。
逸れたのは私だけかと思っていたが、近くにマスターや柳生以外のサーヴァントの姿も気配もないことから、どうやら柳生もマスターと逸れてしまったうちの一人だったらしい。

「大丈夫よ。ありがとう」

正直にいうと、私はカルデアに召喚されてから柳生と話したことはない。数回顔を合わせた程度の仲である。
マスターに一通りカルデアの施設内や職員達、既に召喚されていたサーヴァント達を紹介してもらっていたので、名前と顔は知っていた。
もはや他人と言った方が妥当な私を柳生は何故猛獣から助けてくれたのだろうか。
生前、助けを求めても見捨てられた私には全く理解出来ない。

「ならばよい。して、この状況……貴殿はどこまで把握している?」
「……残念ながら何も。気付いたらこの森にいて、猛獣が襲ってきたところをあなたに助けられたところよ」
「ふむ、同じか」

そう言って、歩き出した柳生の後を追いかける。斜め後ろ、丁度一歩分の間を空けて私は歩く。
少しの間お互いに会話もなく歩いていた。森の中は、木々が青々と生い茂っており、風で木の葉が揺れる音や鳥の鳴き声、動物の鳴き声が時折聞こえてくるだけだ。

「ねえ柳生、さっきはどうして私を助けてくれたの?」

私の質問に、柳生は驚くでもなく淡々と答えた。

「このような場所で、戦力が減ることは避けたいがため……というのもあるが、同じ主に仕える身として当然のことをしたまで。気にせずともよい」
「え……それだけ?」
「他に、何が?」

不思議そうな柳生の視線が私に降ってきた。
分からない。私には、それだけの理由で助けを求めていない誰かを助けるということが分からない。
理由を聞けば納得するかと思ったが、やはり私には理解出来ない。
それだけの理由で誰かのことを助けてくれる人がいるのなら、何故助けを求めたあの時誰も助けてくれなかったのだろう?



誰も助けてくれなかった。
欧州のとある小さい国の王家に生まれた私は、敵対していた国との同盟のために十番目の妻として敵対国に嫁がされた。
そこは碌でもないところだった。
女好きの国王は新しく迎えた妻をただただ性欲処理のためだけに使った。私が嫁いだ時、九番目の妻が気をつけなさいと忠告してくれた。
その三日後、その人は自ら命を絶った。
家来の人がこれで九人目の自殺だと言っているのを聞いて怖くなった。逃げ出そうとしたが、上手くいかず嫌だと言ってもやめてと言っても犯された。
助けを求めても誰も助けてくれなかった。
だから、呪い殺した。
私を犯した国王も見て見ぬ振りをした家来も城にいた人間もその国王が治めていた国全ての人間を、全員呪い殺した。
一人目を呪い殺した時は怖くなった。
二人目も怖かった。
八人目を超えた辺りで恐怖を感じなくなった。二十人目を超えたら笑みが漏れた。
そこから先は、呪い殺すことが楽しくなって気付いたら私以外に生きている人間はいなくなっていた。
周りに転がる屍を見て、これで故郷に帰れると思った。
久々に故郷に帰った私を待っていたのは、魔女だ化け物だと蔑んでくる人々だった。
幼い頃から私の護衛をしてくれていた九つ上の彼も私を見て怯えた様に化け物だと口にした。
ショックだった。いつもの様に名前を呼んでほしかった。いつもの様に話をしたかった。いつもの様に笑い合いたかった。大好きだった。彼は私の初恋の人だった。

「……どうして?」

近付こうとした私に彼は剣を向けた。完全なる拒絶だった。
動きを止めた私は兵士達に取り押さえられた。

「助けて……」

拒絶されても助けを求めたら彼は助けてくれるのではないかと思った。彼は私の護衛だったのだから。
けれど、違った。彼ははっきりと拒絶の言葉を口にして、最後にこう言った。

「お前なんか知らない……化け物め!」

瞬間、目の前が真っ暗になった。
きっと私はあの場にいた全員を呪い殺して逃げることが出来ただろう。
それをしなかったのは、彼のその言葉で身体に力が入らなくなったからだ。きっと心はそこで既に死んでいた。
その後は、すぐに火炙りにされて処刑された。
これが生前の私。私の罪。



「……名前殿」

名前を呼ばれてはっとする。

「いかがなされた?」

向かい側に座る柳生が不思議そうな視線を向けてくる。

「え?」

一瞬、自分がどこにいるのか分からなくなっていた。周囲を見渡して、食堂のテーブルに柳生と向かい合わせに座りお茶を飲んでいたことを思い出した。
生前のことを深く思い出して、意識が完全にトリップしていたらしい。まるでつい先程まで生前のリアルな夢を見ていたかのような感覚だが、これは夢ではない。夢であるはずがない。何故なら、サーヴァントは夢を見ない。

「あー……何でもないの。大丈夫よ」

心配しないで、と取り繕ってみるがおそらく誤魔化せてはいないだろう。
柳生とは、特異点で猛獣に襲われそうになっていたところを助けられて以来よく一緒にいるようになった。主に、私が一方的に柳生の側にいるようになったといった方が正しいといえる。
柳生の姿を見かける度に、名前を呼んで追いかけて側にいる私を最初の頃は呆れた様な視線を向けてくることが多かったが、それでも邪険にはせずに側にいることを許してくれた。あまり言動には出さないが、この人は優しい人なのだ。柳生の隣は居心地がいい。
だから、私は生前の罪を柳生には知られたくない。今は知られることが一番怖い。知られてしまったら、きっと嫌われてしまう。

「ちょっと用事を思い出したから失礼するわね」

席を立って食堂を後にした。
背後に柳生の探る様な視線が追いかけてくるのを感じた。



誰かに助けられたのは初めてだった。
名前を呼んでもらったのも久しぶりだった。
優しくされたのも久しぶりだった。
自然と笑えるようになったのは随分と久しぶりだった。
柳生の隣は温かくて安心する。同時に、私の生前の罪について絶対に知られたくはないと思ってしまう。もし、知られてしまったらと考えると恐ろしい。
今が永遠に続くわけではないけれど、出来ることなら少しでも長く続けばいいのにとすら思ってしまう。

「名前殿」

隣に座っていた柳生に名前を呼ばれる。
また物思いに耽っていたせいで少し反応が遅れてしまう。

「……なあに?」
「最近、考え事をしていることが多いようだが何かお悩みか?」

気付かれていたらしい。
自分でも思考によく時間を費やしてしまう頻度が高くなっていることには自覚はあったが、周囲の誰かに気付かれるとは思っていなかった。その相手が柳生であれば、気付かれたことの驚きよりも私の少しの変化に気付いてくれて声をかけてくれたことへの嬉しさの方が大きい。
しかし、あなたに私の生前の罪について知られることが怖いからです、と素直に言えるはずもない。

「た、大したことじゃないのよ。大丈夫……」

なるべく平然を取り繕ったつもりだったが、上手く誤魔化せたとは思えなかった。



柳生に連れて行かれた場所は、シミュレーション内ではあったがそこは柳生が生前過ごした国だった。
生まれた時代も国も違う私にとって、知識として知ってはいても目に見えるもの全てが新鮮に映る。
あれは何?これは何?と目新しいものを見かけては子供の様に質問をする私に、柳生は嫌な顔一つせず教えてくれた。
人々で賑わう町中を通りすぎ、山道に入るとそのまま歩き続ける。目的地はどこなのか分からない。それだけは聞いても教えてくれなかった。
暫く歩くと、木々がひらけた場所へと出る。そして、眼前に飛び込んできたものは空との境界線が分からなくなりそうなくらいにどこまでも続く青色だった。

「海……!すごい……初めて見た」

あまりの壮大さと綺麗な青色に驚いていると、柳生がふっと少しだけ笑った様な気がした。

「以前、海を見たことがないと言っていたのを思い出してな。近頃何か悩んでいる名前殿の気分転換になればと思いお連れしたが、効果があったようで何より……」

確かに海を見たことがないと柳生に話をした記憶はある。
けれど、それをきちんと聞いていてくれて覚えていてくれたことが私は何より嬉しかった。

「ありがとう……」
「うむ」
「ねえ柳生、海ってとっても綺麗ね。でも……なんだか吸い込まれてしまいそう」
「……それはいけませんな」

やんわりと手を繋がれた。
剣、いや柳生が使うのは似ているが刀というのだった。刀を扱う人の手はもっと固くてゴツゴツしているものだと思っていたが、想像していたよりも柔らかく感じた。私の小さな手はすっぽりと柳生の手に包まれてしまっている。
驚いて隣の柳生へと視線を向ければ、ふわりとした笑みを向けられた。

「これならば、吸い込まれますまい」

こんなに優しい表情の柳生を見たのは初めてかもしれない。
それが私自身にだけ向けられているこの状況に満足してしまう。

「……ずるい」

柳生から顔を逸らして繋がれた手を握り返した。
この身体が生前とは別物だということも、目の前に広がる海が偽物だということも分かっている。偽物か本物かだなんて大した問題ではない。
私のことをわざわざ気にかけてくれる柳生の気持ちが本物であるということは事実なのだからそれだけで幸せだ。
柳生と過ごす日々が多くなり愛おしさが募っていく度に、この人に私が生前犯した罪について知られることがどんどん怖くなっていく。もし、知ってしまったとしても、この人は変わらずに私に接してくれるだろうか。
どうしても生前の出来事を思い出してしまう。柳生も、私のことを化け物だとあの冷ややかな瞳で私を見て口にするのだろうか。想像してみる。私はきっとそれに耐えられない。
やはり私は、私の生前の罪についてこの人にだけは知られたくはないと思ってしまう。だから、どうかそんな日が訪れませんようにと目の前に広がる海を眺めながら願わずにはいられなかった。


2020/04/16
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