秋桜は美しく散る

 中学三年生の夏休み。母親にうるさく言われるのが嫌で、僕は大人しく勉強に勤しんだ。完全に引きこもり状態の僕に母親は外に出ろと言う。もともとアウトドアではないし、わざわざ日にあたって日焼けする事もない。僕は夏休みの前半をほとんど家で過ごした。そんな僕のもとに一通の手紙が届いたのは夏休みの後 半に差し掛かった頃。丁寧に僕の名前が書かれていたが、それ以外は住所も差出人も書かれていない怪しい手紙だった。けれど僕には見当がついている。差出人は秋野桜だと。

 秋野桜は僕の初恋の人だった。出会ったのは春。小学校からの持ち上がり組みである僕と秋野桜は、中学三年生にして初めて同じクラスになった。
 張り出されているクラス分けの名簿。〈安藤〉である僕はかなりの確率で一番だ。一番上だけに目を通すとやはり名前がある。ふと、隣の席になる女子の名前を見た。
「変な名前…」
声に出して呟いてしまう。それをたまたま耳にした幼なじみの相田南がどの名前だと騒ぎはじめた。
「あんどーどれの事?」
「あー朝からテンション高いですね相田は」
「まあね!で、どれよ?」
「同じクラスの秋野桜って奴」
「さくらぁ?どこが変なのよ」
「秋の桜って変だろ」
相田と暫くそれについて話していると失礼な!と一人の少女が会話に割り込む。
「私が秋野桜」
本人の登場にやっと声が大きかったことを自覚した。何かいろいろと言われるのだろうか。なら勘弁して欲しい。僕は煩わしいのは嫌いだ。自分が悪いのを棚に上げて身構える。けれど秋野桜は怒ることはなかった。代わりににっこりと微笑むとまるで嘲るように言った。「秋桜(コスモス)。しらないの?」
挑発的なその言い種に多少の憤りを感じたが、すぐにどうでもよくなる。初めて人を好きになった気がした。

 それから、僕は秋野桜がどう言う人間なのかを観察した。彼女は他の目から見ると多少地味な普通の女の子らしい。けれど僕から見た彼女は美しく、したたかに見えた。だから僕はその強さがどれ程の物か知りたくて、ゲームを始めた。

 雫がぽたりぽたりと地面に水溜まりを作る。その日の秋野桜の瞳は濁っていた。表情はなく、黙って立ち尽くしたまま僕をみる。
「…私が嫌い?」
いつもとトーンの違う声で彼女は言った。僕も無表情で答える。
「うん」
彼女はそう、と言うとそれ以上何も言わなかった。
 最初は小さないじめ。ただ彼女の強さを確かめようとした。けれど彼女はそんな些細な事では動じなかった。こんなことではつまらない、と僕はいじめのランクを上げる。この行為を繰り返して、初めて彼女に異変が訪れた。僕は悦に入る。けれど彼女はそれ以来姿を見せなかった。所謂登校拒否と謂うものなのだろう。
 秋野桜もつまらない女になった。身勝手にも程がある事を僕は考える。けれど彼女がいない日常は続き、夏休みに入った。
 
そんな矢先にその手紙は届いた。
 僕は歓喜し、その手紙を開けた。中には紙が一枚だけ。開くと、綺麗な文字が連なっていた。

《安藤様へ
 暑さ厳しい中、如何お過ごしでしょうか。私はおかげさまでとだけお伝えします。
 さて、いきなりの手紙さぞ驚かれた事でしょう。けれどどうしても伝えなければいけないと私は判断したので、どうかご理解下さい。
 話の内容なのですが、この手紙に書くにはどうも相応しくない。ですから身を以ってお話させて頂きたいのです。
 つきましては本日午後6時、学校の屋上にてお待ちしております。
 不躾ですが勝手に日取りを決めさせていただきました。私にとっては一刻を争うのです。ご理解の下、お許しいただけたらと存じます。》

 これは本当に中学生が書いた手紙なのだろうかと思った。こんな堅苦しい手紙は中学生じゃ普通書かない。そこが彼女らしいとも言えるが。
 手紙にはやはり差出人は記されていなかった。これは彼女の意図なのだろうか?もしかしたら僕を試しているのかもしれない。そう思うと笑いが込み上げた。僕にわからないはずがない。
 ちらり、と時計を見遣る。時刻は五時を示していた。今から家を出れば指定された時間に十分間に合うだろう。僕は自室を出て階段を降りる。玄関まで行くと下駄箱からビーチサンダルを出した。それを履いて久方ぶりに家を出ると、生温い風とまだまだと照り付ける太陽が肌を刺激する。
 車庫から埃をかぶった自転車をだして少し叩いてから跨がる。さあ、とペダルを漕ごうとして僕は足を止めた。無造作にポケットに突っ込んだ手紙を取り出しもう一度目を通す。
《学校の屋上にてお待ちしております。》
 この手紙から初めて喜び以外の物を感じた。心が妙にざわついて、嫌な予感が纏わり付く。
 ペダルを漕いだ。外に出なかったせいか直ぐに息が切れはじめる。けれどペダルを漕ぐ足は止めなかった。

 きぃーと耳障りなブレーキ音。自転車をその場に放り投げて屋上に急いだ。
 運動不足だというのに自転車を飛ばしたせいか足は既に限界だったが、それでもなんとか一段一段階段を上がった。
 四階の更に上、普段は立入禁止の屋上の扉のノブに手をかけて、ゆっくり捻った。
「早かったね」
風と共に流れ込んできた久しぶりに聞いた彼女の声に僕は目を細める。けれど直ぐに現実を見た。
 秋野桜はフェンスの向こう側にいた。
 初めて会った時よりも痩せた、と言うより窶れた彼女はすごく細い。ほんの少しの風に煽られて、今にも落ちてしまいそうだった。
「来てくれてありがとう」
秋野桜が言う。
「なんでそんな所にいる…」
僕が言った。秋野桜は笑う。
「なんでなのかは頭の良い安藤君ならわかるでしょ? もしわからないのなら、ヒントを三つあげる」
秋野桜はまず人差し指を立てた。
「私の話は別れ話です」
中指を立てる。
「ちゃんと目的を持ってこちら側にいます」
最後、薬指を立てた。
「私は貴方に復讐したい」
秋野桜は微笑む。
 わからないわけじゃなかった。けれど、僕には彼女を助ける自信がない。だから知らないふりをしたいのだ。罪から逃れる為に。
「私、いじめられてても安藤君が好きだった。自分はマゾなんじゃないかって疑ったりしたのよ」
フェンスに捕まり重心を後ろに倒す。秋野桜は空を見た。
「だから、貴方も私の事だけ考えれば良いと思った。私にはその方法がこれくらいしか思い浮かばなかったの」
僕はもう口を開く事をやめた。僕にはもう彼女を止めることは出来ないから。
「大好きよ安藤君」
パッと手を放すと重力に従って秋野桜の身体は真っ逆さまに落ちた。グラウンドが悲鳴や教師の指示で騒がしくなる。夏休みとは言え教師はいるしもちろん部活の生徒もいる。当然だろう。
 僕は立ち上がるとふらふらした足取りで放り投げた自転車に向かうとそれに跨がって何食わぬ顔で学校を後にした。

 その日一人の少女が身を投げた。


鮮やかな花弁が辺りに散った。

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