ガラスの割れる音が、ある屋敷の一室から聞こえて、たまたまその部屋の前を通り掛かった不幸な下働きの青年はゆっくり扉をあけて中を覗いた。
部屋には少女が居て、その少女は紛れも無く自分を雇っている主人の娘だった。
少女は割れたガラスの側にぺたりと座っていて、なんとも言えないような笑みを浮かべていた。
「どうかなされましたかお嬢様。」
扉の側から一言少女に声をかけると、こちらを振り向いた。
その顔は先程の笑みではなく、限りなく無表情だった。
「何でもないわ。」
「そう…ですか。」
少女は「何でもない」と言った。それならきっと何でもないのだろう。主人の言い付けは絶対。ならばきっとその娘の言葉も絶対。
少女が「何でもない」と言うのならば、それはきっと「何でもない」事なのだろう。
青年は、「何でもない」と言う少女の言葉通り、「何でもない」その場を立ち去ろうとした。
「ねぇ…」
呼び止められて少女に振り返る。
「なんでしょう、お嬢様。」
「全て粉々に砕け散ってしまえばいいと思わない?」
「全て…ですか?」
「そうよ、貴方の心も父様の心も母様の心も私の心もこの世界の全てが粉々になって消えてしまえばいいのよ。」
そう言って少女はまた先程同様の笑みを見せた。
「僕は…嫌です。」
「…え」
少女は青年を見て首を傾げる。
「僕は、自分の心が壊れるのは嫌だ。」
自分でも何を言っているのかわからなくて、目の前の少女は目を丸くしていた。
「口ごたえ…するの?」
「………」
「貴方が初めてよ。」
少女はそう言うと、今まで見せていた笑顔とは全く違う笑みを見せた。
不幸な青年はどうやら心を少女に奪われたらしい。
壊さないで恋心