レモンじゃない 01

*脹相高専預りif


 ある日曜日、野薔薇ちゃんと女の子二人でお出かけをした。
 色々と買い物をしてから休憩のために野薔薇ちゃんが誘ってくれたのは、私には名前のよく分からない綺麗なクラシックが静かに流れる小さな喫茶店だった。大人っぽくて落ち着いた雰囲気が素敵で、でも自分には背伸びをしているようで少しだけこそばゆい。でも、キラキラした華やかな場所よりこういう場所の方がまちは好きでしょうと言う彼女の指摘はその通りだった。
 そんな野薔薇ちゃんのリサーチ能力の高さに感心しながら、よく冷えたオレンジジュースを飲んでいると急に質問を投げかけられる。
「それで、どこまで進んだの」
 はて、何のことやら。
「……どこまでって?」
 ストローから口を離して軽く首を傾げた。テーブルを挟んで向かい合わせに座っている野薔薇ちゃんは金色のスプーンでくるくるとティーカップの中身をかき混ぜながら補足してくれる。
「付き合い始めてからそろそろ三ヶ月でしょ」
 そこでようやく何のことか思い至った。野薔薇ちゃんは私の彼氏の話が聞きたいらしい。
「初めてできたって言ってたじゃん。どうなの」
 野薔薇ちゃんの口にする“初めて”という言葉に少しドキッとする。
 そう“初めて”、なのだ。
 彼氏どころか、誰かをそういう方向で好きになったことそのものが。
 微かに熱を持つ頬に知らんぷりをして私は返した。
「どうなのって見ての通りだと思うよ」
 私の彼氏は高専の関係者だ。野薔薇ちゃんとも面識があるし、毎日とは言わずともそれなりに顔を合わせている。私と一緒にいるところを目にする機会も少なくないはずだった。
「いや、見ての通りって言われても分からないわよ。だからこそ気になるんだし」
 答えをはぐらかしたつもりはなかったけれど、野薔薇ちゃんにすぐにビシッと突っ込まれてしまった。
「はっきり言って付き合う前と全然変わってないように見えるんだけど、二人の時は恋人ぽいことしてたりするの?」
「恋人ぽいこと……」
「例えばデートしたりとか、手繋いだりとか」
 この手の話題にどうにも鈍い私に対して野薔薇ちゃんは少しだけ焦れったそうな顔をする。若干の申し訳なさを感じつつ、真面目にこの約三ヶ月ほどのあれそれを思い出してみるがいまいちピンと来なかった。
 してたかな?
 あれ、してないかも?
 デートらしきものはした気が、する……。寮のお互いの部屋で一緒に過ごすのも数えていいなら一度や二度どころじゃない。
 でも、休日の買い出しとか任務帰りの寄り道とか、前から二人で出かけることはあったから何か劇的に変わったことがあったかというとーー。
「……何もないかも?」
「あれだけ一緒にいて何もないの!?」
 やや素っ頓狂な声を上げる野薔薇ちゃんは驚くを通り越して、少し引いているように見えた。そのくらい由々しき事態らしい。
「本当に付き合ってるのよね?」
「……多分、付き合ってるはずだと、思います」
「なんで急に自信なさげなのよ……」
「いや、私には比較対象がないし、向こうは虎杖くんのこと以外何考えてるのかあんまりよく分からないし……」
「まちはそれでいいの……!?」
 野薔薇ちゃんは驚いたり、呆れたりととにかく表情の変化が忙しい。なんだかいたたまれない気持ちになった私は、オレンジジュースを一度口に流し込んで自分を落ち着けた。
「あんまりよくはない気がするけど、野薔薇ちゃんに話すまでこの状況に何の疑問も持っていませんでした……」
「……あー」
 野薔薇ちゃんが頭を抱えて盛大にため息をついた。
 でも申し訳ないけど、多少は仕方ないとも思う。
 私に比較対象がないのも、彼氏にあたる人が同級生の虎杖くんのこと以外は何を考えてるのかあんまりよく分からないのも本当のことだから。
 というか、彼は礼儀知らずな印象こそないものの、そもそも一般常識がどのくらい通用するのか若干謎なところがある。
 物事において“普通”の定義というものは何においても難しい。でも、私の恋人に関しては少なくとも周りの人が十中八九“普通じゃない”と答えそうなくらいには存在そのものが異質だった。
 私の恋人は150年前、明治の初めに作られた人間と呪霊の混血児。ある女性への人体実験によってこの世に生み落とされた特級呪物・受胎九相図の一番。その受肉体の脹相なのだから。
 脹相は紆余曲折あって今は高専預りの身だ。私の同級生の虎杖くんと何らかの繋がりがあるらしく、彼を末の弟としてやたらと可愛がっている。
 そんな脹相の性格を端的に表すならばレディファーストならぬ弟ファースト。普段はそこまで表情豊かではなくダウナーな印象の彼だが、弟のことが絡むとテンションが異様に高くなる。
 とにかく色々変わってる人ーー呪霊との混血だが私は脹相をそう捉えているーーだ。
 でも、それ以外の人間に対して冷たい訳じゃない。分かりにくいだけで喜怒哀楽がちゃんとあるし、他者をやたらとぞんざいに扱うこともないのを今の私は知っている。彼の中には触れれば温かい、私たちと少し違うけど同じ血が流れていると、そう思っている。
 同級生のーー多分あるいは自称ーー兄である脹相とよく関わるようになったのは確か初めて一緒に任務に出てからだった。色々と流れで私に年の離れた兄がいることを向こうが知ってから、何か感じるものがあったのか対応が柔らかくなっていったように思う。
 私はお兄ちゃん大好きっ子という訳ではないけれど、多分同年代に比べて兄妹仲がかなり良い方だ。そういう背景から何となく年の離れたお兄さんの扱いが分かるところもあってコミニュケーションを取るのが苦ではなかった。
 交流を重ねていく中で脹相への私の感情が恋に昇華されるのにはそう時間はかからなかった。彼は見た目は明らかな成人男性で、距離が縮まれば全く意識しないというのは少し難しかったというのもある。何より、スイッチが入ると何かと虎杖くんのお兄ちゃんとして無理しても前に出ようしたり、受肉して間もないが故のあどけなさのようなものが垣間見える瞬間があるのがどうにも放っておけないと感じた。
 脹相は私なんて足元にも及ばないくらい強いし、あれでしっかりしているところがあると思う。
 でも、気がついたら何かと目で追い、自分から積極的に関わりにいくようになってしまっていた。
 自分の気持ちに気づいた時、子供なりに一応悩みはした。
 恋というものは不可抗力のようだけれど、脹相とでは色々と問題が生じることになるのは分かっていたから。出自とか立場とかあまりに複雑すぎるし、そもそも相手に恋愛感情そのものが備わってるのかすら怪しい。
 しかし、生まれて初めての感情に蓋をするのも青い私には難しくーー。
 考え抜いた末に、どうせ妹(的なもの)程度にしか見られてないのだろうし、当たって砕ければ諦めがつくかもしれないと思い、拙いながらも告白を決行したのが約三ヶ月前。
 結果、拍子抜けするほどあっさり承諾されて今に至る。
 さて、こうして頑張って出会った頃からの記憶を掘り返してみても、野薔薇ちゃんが言うような恋人らしいことを脹相とした覚えがなかった。付き合った直後は告白が承諾されたことの驚きが大きすぎてそれどころじゃなかったし、多少気持ちが落ち着いてからは前より二人でいる時間を作ってもらえるようになっただけでわりと幸せだったせいもある。
 さすがにこのままでいい気はしないけれど、この三ヶ月ほどの出来事は少なくとも私にとって相応に満たされたものになっていた。
「……やっぱり何もないかも?」
「……ねえ、本当に大丈夫?」
「……大丈夫じゃない、かも?」
 特に危機感も焦燥感もない私に野薔薇ちゃんはとうとう突っ込む気が失せたのか、なんとも言えない目をじっと向けてくる。
 脹相は自由にできる体を手に入れて間もない存在だ。呪物として保管されていた150年、ただ試験管の中で眠っていた訳ではないようだけど、見方によっては私よりもずっと子どもとも言えると思う。
 そういう欲みたいなもの、持ってるんだろうか。というか、今さらながら恋愛感情が何なのかをちゃんと理解して付き合ってくれているんだろうか……。
「あ、ケーキ来た」
 ふと湧き出た疑問は野薔薇ちゃんの嬉しそうな声と、すぐに目の前に置かれたフルーツたっぷりのスイーツにかき消されてしまった。




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -