レモンじゃない 02

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 月明かりだけが射し込む薄暗い寮の自室に明るい声が響いている。その音源は何となく懐かしくなってレンタルショップから借りてきたキッズ映画のDVDの映像だ。部屋の明かりを落としているのは目には良くないけど映画館ぽい雰囲気が少し欲しかったから。ローテーブルの上に置かれた私の小さなノートパソコンの画面ではふっくらした黄色いネズミのキャラクターがずっと駆け回っていた。
 床にしかれた安物のマットの上に座って映画を見ているのは私だけじゃない。頭の高い位置で髪を二つに結った私より一回り以上は確実に体の大きい着物姿の男の人が一人、ぼんやりした目で同じ画面を見つめていた。
 受胎九相図の一番で、同級生の虎杖くんの兄を名乗る人。そして、私の彼氏(多分)の脹相だ。
 今夜はお互いに時間が取れたので、夕食の後に部屋に脹相を招いたのだ。今流しているDVDはもともと一緒に見るつもりはなかったものだけど、こういうお誘いが下手な私にとってはちょうどいい口実になってくれた。
 脹相は私の右隣で両膝を丁寧に抱え込んで丸まるように座っていた。奇抜な格好をしているし、どう足掻いても見た目は立派な成人男性なのだが、その姿が妙に可愛く思えるのは所謂惚れた弱みなのだろうか。顔や体つきは似ても似つかないのに、何となく雑貨屋さんによく並べられている人気シリーズのぬいぐるみを思い出してしまう。
「何だ」
 そんなにまじまじと見ていたつもりはなかったのだが、脹相は自分に注がれる視線に気づいたらしい。バチッと目と目が合った瞬間、自分の心臓がすごい音を立てた。
「あゎ……」
 つい変な声を出してしまって恥ずかしくなる。熱い頬を隠すように、抱きかかえていたクッションに私は顔を埋めた。脹相と僅かに触れ合ってる右肩もなんだかこそばゆい気がしてくる。
 脹相は私が話すのを待ってくれているのか何も言わない。気を遣ってくれているのかもしれないけど、今は照れくさいせいで居心地が良くなかった。
 な、なにか話さなくちゃ。
 焦った私は熱っぽい頭を一生懸命回して考える。そして、ようやく今日そもそも脹相を部屋に呼んだ理由を思い出した。
 この前の日曜日、お出かけの帰り道で野薔薇ちゃんに言われたのだ。
 脹相と私がこれからどこまで進むのかはさておいて、一般的な恋人がするようなことへの欲求はお互いにきちんと確認しておいた方がいいと思う、と。
 そうだ。そうだった。
 訊かなくちゃ。私はちゃんと脹相のことを知りたいから。
 早速訊ねようとするが、緊張しすぎてはくはくと口だけが動くばかりで声が出てきてくれない。一度だけ大きく息を吸って、吐いた。それからぎこちないながらも、ようやくまともに話すことが出来るようになる。
「……あの、嫌な気分になったらごめんなんだけど」
 顔を上げチラリと横目で脹相を見ると、挙動不審気味な私に彼は片眉を上げてやや怪訝そうな顔をしていた。
「えっと、」
「……」
「ちょ、脹相ってさ。きすしたいとかえ、えっちしたいとかそういう感情ってある、の……?」
 あくまで自然に言いたかったのに、慣れない単語を口にする心理的抵抗でつい声が上擦ってしまった。情けなすぎて羞恥心が倍増する。スマートに振る舞えない自分に少しだけ泣きたくなった。
 脹相の顔がいつもの感情のよく読めない表情に戻る。彼は低く落ち着いた平坦な声で私に聞き返してきた。
「……それは性欲があるか、と言いたいのか?」
「せ、せいよく……」
 せいよく!?
 思わぬ言い換えをされて口だけでなく頭でもそのフレーズを繰り返してしまった。ぶわっと全身の体温が一段階上がるのを感じる。
 間違ってはいない。間違ってはいないけど、とても反応に困る。
 せっかくきちんと伝わるよう遠回しすぎず、生々しくもない表現を選んで私は質問したはずのに、思い切りストレートに言い直されてしまった。とりあえず、脹相に悪意がないのは分かっているのでしぶしぶ補足する。
「……そういう方向で捉えていただいて問題ないです」
 すると、じっとこちらを見ていた脹相の黒い瞳がパソコンの画面の方にゆっくり戻っていった。何か思うところがあったのか、少しばかりの間を置いてから彼は私の質問に答えてくれる。
「……あるかないかで言えば、ある」
 あ、あるんだ……!
 純粋に驚いた。
 脹相は呪霊との混血とはいえ半分は間違いなく人間だ。それに、血が滲んでできた鼻を真一文字に横切る黒い線や寝ても薄くならない両目の赤黒い隈といった特徴こそあるものの、他にーー服の下がどうなっているかは知らないけれどーー外見が変わっているところは特にない。
 ようするに、脹相に性欲があっても何もおかしなことではないはずだった。でも、あのとにかく弟ファーストな様子を見ていると、彼が誰かに欲情する姿はイメージがしにくかった。普段のダウナーかつ浮世離れした印象からも程遠いものがある。
 そうなんだ、脹相も一応そういうことに興味があるのかあ。
 思っていたより男の子だったんだなあ、などとよく分からない目線で感心してしまう。
「急にどうした」
「え、」
 まさか脹相から質問の意図を深堀されると思わなかった私は小さく声を漏らした。彼の口調からは言外にらしくない、というニュアンスを感じる。
 ごもっともではあるので素直に話すことにした。
「いや、その……。一応お付き合いしているはずなのに、恋人らしいこと? してないなと思いまして……」
「……」
 この場にそぐわないと感じたのか、脹相は何も言わずにマウスを操ってDVDの再生を終わらせた。使い方は少し前に教えたばかりだし、普段触ることもほぼないだろうに、その動作は器用なものだった。画面の中の映像とスピーカーから流れていた音声がピタリと止まる。彼はそのままパタンとノートパソコンを閉じてから私の方をまじまじと見る。
「……オマエはしたいのか?」
 感情の読めない綺麗な黒色の瞳を私は緊張の面持ちでじっと見つめ返した。
「……し、したいかしたくないかで言ったらしたいです。ちょっとは」
「具体的には」
「ぐ、具体的に!? えっ、えっ!? それは考えてなかった!!」
 どうやら脹相は私の要望をきいてくれるらしい。でも、まさか今ここで何かお願いすることになるとは露ほども思っていなかったので戸惑ってしまう。
 恋人らしいことって何から始めればいいんだ……!?
 慌てふためく私の様子を脹相はしばしじっと観察していた。やがて、助け舟のつもりなのか何やらぽつぽつと話し始める。
「……ここに来たばかりの時にも検査を受けたが、オマエと恋仲になった後に家入に頼んで改めて体を詳しく調べてもらった」
「な、なんで?」
「恋仲になればどうしたって身体的接触が増えるだろう。悠仁と違ってオマエには俺の血に対する耐性がない。何かあってからでは遅いからな」
 本日二度目の驚きだった。
 呪霊との混血である脹相の血は人間の体に入り込むと毒として作用する性質がある。お付き合いの意味を分かって恋人になることを承諾しているのか疑問だったが、そういった特性が他にないかわざわざ調べたということは脹相なりにかなり真面目に私について考えてくれていたのだろう。
 なんだかちょっと嬉しくて、胸の奥がじんわりした。
「結果はどうだったの……?」
「血以外の体液に人体に対する毒性はないらしい」
「えーと、つまり?」
「オマエがその気なら性行為もでき……」
「わー!? わー!?」
「……うるさい」
 詳細を訊ねたら私にはまだ早い単語がいきなり出てきてびっくりした。驚いて発した声が本当に耳障りだったようで、脹相がわずかに顔をしかめる。
 申し訳なさを感じつつも私はぶんぶんと首を大きく横に振った。
「ま、まだそこまではいいですっ」
「できると言っただけで今からするとは言ってないだろう」
 脹相は少しだけ呆れたような素振りを見せた後、それにと付け加えた。
「検査結果が出た時に家入に釘を刺された。オマエが高専を卒業するまではやめておけと」
「……そ、そっか。そっか。そうだよね」
「……」
 硝子さんの意見はごもっともだ。どんなに気をつけていても万が一が起きないとは限らないし、そうなった時に対処する能力が今の私にはない。
 もし孕んでしまったら、場合によっては堕ろさねばならなくなるかもしれない。自分の腹に宿りうる命についてはもちろんのこと、脹相自身がどう考えているのかは分からないものの、父と言うべき人の手によって堕胎されて150年も兄弟と試験管に閉じ込められる仕打ちを受けた彼にそんな経験を私はさせたくなかった。




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