僕のオデット



 これは、俺たちとエーデルワイスが同じでいられた最後の夏の記憶。
 ある日、俺は籠いっぱいに詰められたクッキーを親に手渡された。たくさん焼いたから俺とヴェインとエーデルワイスで一緒に食べるように、ということらしい。あの二人が俺を呼びに来ても、まだダメと引き留められたのはどうもこれを持って行かせるためのようだった。朝早くからやたらと甘い匂いが家中に広がっていたのもこれで納得できた。
 水着と、冷たい紅茶の入った水筒とクッキーの籠を持って家を出ると、青空の下を一人もくもくと歩く。今日は村の近くの湖で三人で一緒に遊ぶ約束だったから、ヴェインとエーデルワイスはそこにいるはずだった。
 やがて森に入り、眩しい新緑の中を突き進む。全身に汗が滲み始めた頃、一陣の涼やかな風が額を撫でるのを感じた。目的地にたどり着いたことを悟り、俺はふうと小さく息をつく。
 キラキラと日の光を反射して、大きな鏡のように輝く湖面に目をしかめる。そこかしこから子どもたちの笑い声が聞こえ、それを見守る大人たちの姿が散見された。今日は良く晴れていて、気温も高いから皆涼みに来たらしい。
 そして、湖の周りを半周ほどすると、やっとエーデルワイスの姿を見つけた。大きな木の影の下で、その幹を背にしてすよすよと無防備に眠っている。頭にはなぜかシロツメクサの花冠をのせて。
 では、もう一人の幼なじみであるヴェインはどこだろうと辺りを見回せば、既に水着に着替えて幾人かの子どもたちと少し離れた浅瀬で水遊びに興じていた。耳をすますと、名前を呼び合いながら楽しそうにはしゃぐ声が聞こえてきた。どうやらいじわるをされたりはしていないらしくてほっとする。
 俺は荷物を下ろすと眠るエーデルワイスの隣に座り込んだ。早く泳ぎたい気持ちもあるが、いったん休憩だ。ちょっとした大荷物だったし、今日は暑くて移動するだけでも疲れた。
「ん、」
 水筒のお茶を飲みながら吹き抜けていく風に身をゆだね、体の熱を冷ましていると、エーデルワイスの体がかくんと傾いて、俺の肩に寄りかかってきた。このまま態勢が崩れると下手をしたら、地面に彼女の頭がぶつかってしまいそうだ。起こさないように俺は慎重にエーデルワイスの背中を木の幹に預け直した。
 それにしてもぐっすり眠っている。
「何してるんだか」
 そんな言葉がふと漏れた。普段ヴェインのこととなると真っ先に張り合ってくるのだから、俺のいない時くらいきちんと見守ってやらないとダメじゃないか。
 一際強く吹いた風に木々がざわめき、透き通った淡い金色の木漏れ日が踊った。俺ともヴェインとも違う、エーデルワイスのプラチナブロンドの短い髪が煌めきながら揺れた。気の強そうな表情を浮かべる普段とはうって変わって、その大人しい寝顔には白くて愛らしい花冠がよく似合う。今の彼女を見たらお姫様みたいだと皆言いそうだ。
 でも、多分可愛いとか綺麗だとか俺が言ったらこいつは怒るな。ヴェインならまだ、そういうのは言わないでとか言った後、渋々受け止めてくれるだろうけども。
 エーデルワイスはいわゆる女の子らしいことがあまり好きではない。料理や裁縫は嗜みとして母親の手伝いをしながら学んでいるようだけど、必要だからしているだけというところが大きいようだった。多分今頭にのっている見事なシロツメクサの花冠も、編み上げたのは彼女ではなくてヴェインの方だろう。きっと俺を待つ暇つぶしか、水浴びの休憩にでも作ってプレゼントしたに違いない。
 遠くで教会の鐘の鳴る音がした。
 ああそういえば、この前村で結婚式があったけれど、その時もエーデルワイスは他の女の子たちと違って、見事な花嫁衣装には見向きもしていなかったっけ。ああいう白くてふりふりした感じのやつ、動きにくそうだけどエーデルワイスにすごく似合いそうなのになーーなどと思う俺は何様なんだろう。
 一人悶々とらしくもない考え事をしていると、目の前にヴェインが立っていた。何か面白いものでも見つけたのか、にこにことご機嫌な様子で笑っている。
「ランちゃん! あっちに魚たくさんいたよ」
 キラキラしててすごく綺麗だったから一緒に見に行こうという彼に、俺はすぐに着替えるから先に行って待っててくれと返した。
 ヴェインを見送りつつ、水着を一式入れた袋を持ってその場から立ち上がる。そして、さすがにエーデルワイスを眠らせたまま一人にするのはよくないだろうと思い、彼女を起こそうとしてーーその手を止めた。掴もうとした肩に白い包帯が巻かれているのが見えたからだ。
 それは確か、一週間くらい前におもちゃを壊してヴェインを泣かせた村のガキ大将に仕返しにいった時に負った怪我だった。泣きじゃくる彼を見てカンカンに怒ったエーデルワイスはそいつと盛大にケンカした。俺もその場にいたし参加していたけれど、歳の差も体格差もものともせずに突っ込んでいく彼女は相変わらずと言うべきかとにかく凄まじかった。結果、エーデルワイスはそいつに投げ飛ばされ、痕になるほどではないものの肩を思い切り擦りむいてしまったのである。
「……」
 やっぱ前言撤回。
 エーデルワイスがいくら可愛く見えたとしても、お姫様なんて言う人はそうそういない気がしてきた。こんなはちゃめちゃなお姫様がいたらちょっと困る。国が滅びそうだ。
 −−でも、髪が短くたって、飾り気のない服を着ていたって、たくさん怪我をしていても、それでもエーデルワイスは……。
 ほんの少し腰をかがめれば、安らかな寝顔がすぐ近くにあった。眠るエーデルワイスの唇すれすれの頬にひっそりと自分の口を寄せる。大人たちの見よう見まねの中身のない行為。ただそうすることが自然なように思えたから、そうしただけ。
 ふるり、とエーデルワイスのまつげが震え、ゆっくりと瞳が開いていくのを見て、俺は何もかもから逃げるように駆けだした。

僕のオデット  

 君とこれからも一緒にいるために、俺は胸の奥にわだかまるこの感情の名前をまだ知らないままでいたい。

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