願う | ナノ
交戦。
それは、此処…継ぎ接ぎの世界で創られた箱庭の様な場所では、至極、当たり前の事象だった。
日の光満ちる城の庭や、入り組んだ複雑怪奇な赤壁の城内で。
或いは、暗闇の満ちる広大なホールや、緑光の奔流が猛る星の内部で。
朧な光のたゆたう夜の夢に似た場所。鉄製パイプが張り巡らされたおぞましい実験施設。渦を巻く天の下の脆く崩れかけた古き神殿。螺旋通路の巡る暗い時計台内部。暗雲で周囲を覆われた橙色の高台…。
果ては、元が誰の世界であったのか解らない場所でさえ。
場所を選ばずに戦闘は勃発するし、その可能性も場所を選ばずに、常に、秘められているものなのだ。
戦闘勃発の条件は、単純なもので。
自分にとって、或いは仲間にとって、敵であるものがその場所に居たなら、或いはあったなら、直ぐに交戦は開始される。
そこに和解への道は無い。
仲間以外は、皆敵だ。
だから今…仲間1人と自分とで、相対している兄も…敵だ。
以前も。
そして今も。
ずっと…。
ずっと…敵…だった…。

継ぎ接ぎの世界の断片。
その1つ、月の渓谷。
草木の育たない黒々とした硬い大地に、高くそびえ立つ大地と同じ色の巨大な岩柱の群れ。
…常夜。
日の昇ることの無いこの場所での光源は、空に浮かぶ大きな青い星、或いは白い月。
この2つだった。
夜闇の空に浮かぶ、夜の黒の中でいっそ鮮烈なまでの白光を放つ月は、夜空をそこだけ切り取った様な、不自然な程の円形で。
至る所にそそり立つ、高低差のある岩柱と、その間を縫う様にして走る、3つの小さな人の影を、くっきりと黒い大地に刻み付けていた。
黒い大地に落ちる3つの影の持主達は、戦っている様子だった。
1人は混沌の戦士。
2人は秩序の戦士。
しかし攻めあぐねているのは秩序の陣の方で。
秩序の戦士の1人、白姿のセシルは、今この時、交戦すべき敵であり、同時に兄でもあるゴルベーザの攻撃から、寸でのところで身を躱し、岩柱の陰に身を隠した。
1対2。
しかし、押されているのはこちら側だった。
…それも当たり前だ…と、セシルは身を潜め、気配を、息を殺しながら思う。
かつて兄が敵だった頃、何度も兄と相対したことがある。
その時の仲間の数は、自分を含めて、最大でも5人居たのだ。
…いや、違う。
セシルは、僅かに首を横に振った。
…『かつて、敵だった』ではない。
『今も、敵』だ。
違うのは、自分にも、兄にも、2人が血縁者であり…。
そしてかつての…元居た世界での自分達の行いや確執、ほんの僅かな間でだけ、兄弟としての会話を交したことがある…。
ということを覚えている、ということ…だけ…。
セシルは苦しい溜息を吐いた。
直後、爆音と共に、岩柱の崩れ落ちる轟音が響いて。
兄の技が巨大な岩柱を破砕した音と振動を全身で感じ、セシルは身を隠していた岩柱の陰で身を震わせる。
共に戦っている仲間は、破砕には巻き込まれなかった様子だ。
移動していく気配を感知して、セシルは息を吐いた。
…岩柱を打ち砕く破壊力を有する技が、擦りでもしたなら…。
結果は、推して知るべし。
とてもではないが、試す気に等ならない。
…否。
セシルは自分の思考に対して再び首を振った。
兄の技をその身に受けたことはある。
セシルは岩柱から1度身を離し…背中を岩柱に預けて、空を見上げた。
1点のくすみも曇りも無い、唯々、黒く深く暗い広大な空には、瞬くことの無い恐ろしい程に膨大な量の星々と、淡くも毒々しい色をした星雲が、酷くくっきりと浮かび上がって見えている。
唯一、強烈な白光を放つ月の側では、その眩い月光に遮られて、星々の幽けき光は見えなかったが、それでも、夜空の星は仰ぎ見ただけでは視界に余りある程だった。
…元の世界では。
何度も…まだ兄を兄と知らず、兄もまた、己を知らない時期に…兄の攻撃を受けた。
何度地に膝を付いたことか。
あの時の気の遠くなる様な痛みは、今も身体が覚えている。
…だから。
セシルはそこで攻撃の気配を感じ、ぷつりと我に返った。
身を預けていた岩柱から、瞬間、身を離して前に飛ぶ。
直後、岩柱が柱の中腹程から弾け飛んだ。
砕けた、それでも巨大な岩塊が、飛び退いたセシルを追う。
セシルは飛び出した勢いを利足とは逆の足裏で殺しつつ身体を反転させて、迫り来る岩塊に振り向いた。
片手から両手へと持ち変えた、槍と見惑う戟と呼ばれる剣を、両腕の限界まで後ろへ引き、自分に迫る岩塊へ向けて、利足を踏み出す。
そのまま戟に体重を乗せて勢いよく岩塊を貫けば、岩塊は重い音を立てて罅割れ…。
そのまま石塵を撒き散らしながら割れて、黒い大地に騒音を立て崩れ落ちていった。
石塵がしばし、視界を覆う。
風の無いこの世界で、石塵は何に吹き散らされることも無く、悠々と黒い大地に降り注いでゆく…。
そうして石塵が薄くなった時、石塵の向こうに見えたのは、悠然と…恐らく、岩柱を砕く技を放った時のまま…構える…兄。
…くっ…。と…。
セシルは表情に表さず、喉奥で悲しく笑った。
兄の技を受けた痛みを、その苛烈な攻撃とその速度を、この身体は覚えている。
だから判るのだ。
兄は、自分を…自分達を、攻撃する気は無いのだ…。と…。
手加減の無い彼の猛攻とは、こんなものではない。
瞬間でも、石塵で視界を塞がれた自分の、この隙を逃す様な、半端な真似をする手合いではないのだ。
セシルは岩塊を突いた状態から、体勢を元に戻した。
同時、兄も宙に浮いた状態で、体勢を元に戻す。
「兄さん…」
セシルは、何度目になるか判らない呼び掛けを口にした。
「兄さんとは、本当にもう共に居ることは――」
「くどい」
絞りだす様な声と言葉は、最後まで言うことを許されずに冷たく遮られた。
…嗚呼…。と…。
セシルは思った。
…嗚呼…判っていた。
言う前から、既に判っていた。
兄が自分の言葉に乗ることは無いのだと。
兄は自分と共に歩む気は無いのだと。
だから傷ついたり等しなかった。
胸が痛みもしなかった。
…寧ろ、辛いのは兄なのでは…ないか…。
最近とみに、セシルはそう思う。
元の世界で束の間、兄の話すことを聞いた。
操られていたとはいえ、青き星の民を片端から傷付けたのは己なのだ…と。
兄はそう言って、故郷の星へ帰ろうとはしなかった。
自分に「兄」と呼ばれることすら、資格が無い、と思っていた様な節さえ見受けられていた。
操られ、支配されていたのだから、いくらでもそれを盾として、言い訳が出来たろうに…。
…。
セシルは苦しい溜息を吐いた。
…兄に…恨みが無いと言えば嘘になる。
掛け替えの無いものを奪われ、その内の幾つかは永遠に失われてしまった。
自分も、本来なら犯さずとも良かった筈の罪を重ねた。
しかしその恨みを剥き出しにして兄を敵と呼ばわり、自分達との戦闘を避けようとする彼に対して、彼が傷付く言葉でもって非難を叫び罵倒するには、セシルは肉親の存在や愛情に餓え過ぎていた。
…そして兄が…己が罪の償いに自分との別離を選び安寧に背を向けた兄が…自分のその餓えに対してさえ、己を責め抜き傷付くことを知っていた。
…愚直な迄の優しさは、まるで子供のまま。
く…。
セシルは自分の喉奥が、悲しく鳴るのを感じた。
自分が犯した罪を、セシルは兄の所為にしようと思えば出来た。
それは、まだ兄を兄と知らなかった時、声高に叫ぼうと思えば出来たのだ。
偽物の陛下に命令されていたのだ、と。
…しかしセシルは、それをゴルベーザの…敵の所為にしようとはしなかった。
自分の罪と受けとめた。
兄もまた、己が世界に対して犯した罪を、己を操った存在の所為にしようとはしなかった。
全てを自ら背負い、到底償いきれぬ重さの罪を1人で背負った。
死をすら己に許さず、贖罪に生きることを選んだ。
…馬鹿なところばかり似るものだね…兄さん…。
セシルは手に携えていた戟を放した。
セシルに戦意が無くなった為か、戟はセシルの手が完全に離れる前に、白く瞬いて消えた。
「セシル!」
武器を放したことを見ていたか。
驚いた様な、咎める様な口調で、共に戦っていた仲間であるフリオニールが、やや離れた場所にあった岩柱の上から飛び降りて来た。
「お前達のことは知っているけれど、今は敵なんだぞ!」
「…戦いたくないんだ」
「セシル!」
フリオニール、君の言うことは正論だ。その通りだと思う。
…けれどその『敵』とは、何のことを、どんな相手のことを指すのだろうね。
…おざなりな攻撃で、こちらを倒す気の全く無い相手を、戦う気の全く無い相手を、果たして『敵』と呼んで良いものだろうか…?
セシルが思案に俯いている間に、ゴルベーザは不快そうに息を吐いた。
「仲間達を大切と言うその口を持って、仲間達を攻撃する敵と戦えないと言うか」
セシルは兄の冷えた口調に、曖昧に首を振った。
戦える敵と、戦えない敵が居る。
それだけだ。
攻撃の意思が見えない貴方とは戦えない。
それだけなんだ。
…もし…。
もし、兄が自分に、仲間達に、本気で攻撃を仕掛けてきたらどうか。
…おそらくは全力で迎え撃つだろう。攻撃意思のある兄の攻撃に対して、手を抜いた対応であしらえるとは思えない。
だがしかし、その可能性は恐らく…ない。
だから兄とは戦えない。戦いたくない。
戦えば…攻撃意思を持って戦えば、いくら2人で戦って尚押されていようと、こちらを傷付ける気の無い兄が長い時間の果て敗れるだろう。
…戦いたくない。
だから、戦いたくないのだ。
兄がこちらを傷付ける気の無い様に、自分だって兄を傷付けたくないのだ。
…ということを、きっと兄は気付いている。
だから冷たく振舞い、敵と認識させようとしている。
…無理だよ、兄さん…。
セシルは兄からも、フリオニールからも逸らしていた視線を上げた。
戦闘意思の無い目で、兄を見つめる。
貴方は多分、貴方が思っている以上に傷付いている。
…それを気付けない自分でもない。
自分に対して冷たく振舞う度に、兄は傷付いてゆく。
…兄さんにとって、僕と兄さんの関係はきっと、兄弟であると同時に被害と加害の関係にあるのだろうね。
だから、兄さんにとって被害者である僕が傷付くだろう言葉を言う度に、もうこれ以上罪を重ねたくない兄さんが傷付いてゆく。
…僕以上に。
…でも、兄さん。
それは『逃げ』だ。
セシルは溜息を吐いた。
「何度だって言う。…兄さん、一緒に行こう」
「くどい。その上甘い。目の前の敵を認識も出来ないか」
「兄さんは敵じゃない」
「違うな。常に敵であった」
…兄は、自分に許されたくないのだ。
と、そう…セシルは思う。
理解は出来る。自分で償うことが出来ない罪を犯したその被害者から許され、生きることを許されることは、償えない罪を背負い自分で生きてゆくと決めることよりも、辛い。
…死ぬよりも尚。
…拷問に掛けられた方が、まだ益しかもしれない。
…だから、『逃げ』なのだ。
許されるよりも、許されないことの方が楽なのだから。
…本当は。
楽にしてあげたい。楽になって欲しい。
…けれどそれは、それこそ、許されることではない。
理由はどうであれ、事情が何であれ、自分達兄弟の所為で、沢山、沢山…取り返しが付かなくなった。
自分を許した緑髪の少女の叫びや言葉は、今も胸に深く突き刺さっている。
…償いたいのなら。
…本当に償いたいのなら…。
セシルは、尚も自分を焚き付けようと言葉を連ねる兄に視線を向けたまま、今度は頑なに首を横に振った。
「ならば…」
兄が宙に浮いたまま、片腕を胸の前に掲げる。
途端、辺りの岩が浮き、兄の周りを高速で回り始めた。
フリオニールが地を蹴って、その攻撃の間合いから逃れる。
…だがセシルは。
「セシル!」
フリオニールが焦りの声を上げた。
…セシルは動かなかった。
動かなければ、幾拍も無く、兄の技が自分を撃つだろう。
…だがセシルは動かなかった。
本当に撃つつもりでいるなら、兄の攻撃から逃げる間等無いのだ。
…避けられる間等…彼は敵には作らないのだ…。
避ける間のあるこの攻撃は、彼の本意ではない。
だからセシルは動かなかった。
最終的には、避けると思ったのだろうか。
それとも避けよと願ったか。
兄が高速で周回する岩を放って来た。
…その際、僅か…セシルが避けない可能性を考えてか。
ゴルベーザは、躊躇する気配を見せた。
…その躊躇が、悲しい。
悲しい。
だから…。
セシルは、避けなかった。
戟も構えず、受身の素振りも見せず…。
兄を見る視線すら、外そうとしなかった。
高速で向かってきた岩に撃ち飛ばされて、セシルは宙に舞う。
「セシル!」
そんな叫びもって呼ばわったのは、果たしてフリオニールだろうか。兄だろうか。
目まぐるしく変化する視界に、ふと、大きな…押し潰されそうな光量の月が映り…。
次の瞬間には、セシルは黒く硬い大地に叩きつけられていた。
身体が2度、地を跳ねて止まる。
痛みが、全身を支配して動けなくなった。
…助け起こしてくれたのは、フリオニールだった。
ならば先程自分の名を叫んでくれたのも、彼だろうか。
…多分、そうなのだろう。
解っている。
兄は…敵を演じる兄は、自ら攻撃を仕掛けた相手に駆け寄る様な人ではない。
…けれど。
セシルが痛みで霞む目を兄に向けた時、兄は既に宙に浮いてはいなかった。
兄の足は地に着いていた。
…そして、数歩。
踏み出しかけた姿勢で止まっていた。
…泣きたくなる程に、生きることに不器用な人だと思う。
それは多分、自分よりも尚。
「セシル、解っているんだろう! 兄弟でも敵なんだ!」
助け起こしたセシルの身体を揺さ振って、焦った様な声で怒鳴るフリオニールに、セシルは痛む身体で、それでもきっぱりと首を横に振った。
「嫌だ」
「セシル!」
その言い合いに、割って入ったのは、ゴルベーザだった。
「…何を望む」
姿勢を戻した兄が、そうセシルに問い掛けてくる。
…兄はもう、宙に浮こうとはしなかった。
兄の声は震えていた。
「…何が欲しい」
セシルは兄に対して笑みを向けようと思った。
だが痛みで出来なかった。
俯き、3度、咳き込む。
兄は言葉を切ろうとしなかった。
辛かった。
苦しかった。
悲しくて泣きたかった。
けれど兄の声がこうして聞けるだけで、自分は満たされなければならないと知っていた。
餓えていた。
欲しかった。
けれどそれが兄の傷になるなら、自分には兄の傷が癒えるまで、引く以外に出来ることは何も無かった。
兄が心を支配された原因である自分が、生まれてきてごめん、なんて。
口にしてしまったら、兄を傷付けるだけだろうから。
…兄の声がする。
「お前は私に何を望んでいる…。セシル言ってみよ。何を思う。何が欲しいのだ!」
自ら攻撃した弟に対するゴルベーザの問い掛けは、最後には問い掛けと言うよりは、寧ろ悲鳴になっていた。
…悲しい。
どうしようもなく、自分達兄弟は、無様だ。
翻弄されるとは、正にこのこと。
セシルは微笑みを浮かべた。
浮かべることが出来た。
その顔を、表情を、視線を、兄に向ける。
兄はあからさまに怯み、半歩、下がった。
手を伸ばそうと思ったが、止めた。
「…生きて」
生きていてくれ。
自分は、あなたにとって被害者である自分は、あなたを許すから。
許しているから。
そしてあなたと共に歩める日を待っているから。
ずっと待っているから。
だから生きていてくれ。
あなたがいつか、自分を許せる日まで。
それは決して近い将来ではないだろうけれど。
罪を犯した自分を、加害者である自分を、被害者であるあの人達は、緑髪の少女は、許したから…許してくれたから…。
だから自分もあなたを許す。
だから…。
「…生きていてくれ」
…セシルがその言葉を言った直後。
ゴルベーザは尾を引く叫びを残して消えた。
その声は、岩柱に反響して、長くその場に残った。
その声が…悲鳴であったと…。
セシルは声が消えていく過程で気付いた。
月が作る自分とフリオニールの影が濃いことすら悲しく思えたが、その月を…空を仰ぐことで必死で耐えた。
セシルを諭そうとしていたフリオニールは、セシルの心情に気付いてか、ゴルベーザが去った後は何も言わずに。
フリオニールの詠唱する回復魔法の声が、静かに流れだして、流れ星と共に消えた。





リクエストありがとうございました!
ご希望に添ったものが書けているか解りませんが、少しでもお気に召して頂ければ幸いです。宜しければどうぞお持ち下さい。

リクエスト主様へ。精一杯の感謝を込めて。


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