それでも | ナノ

ジェクトは散歩をしていた。暇だったのだ。
「ジェクトじゃないか。僕の居城へようこそ」
自分の居住地から始まり、月の渓谷、次元城、闇の世界と周り、最後に来たのが彼の居住地だった。
歌う様な抑揚。しかしそれは人を馬鹿にする為の。
ジェクトは溜息を吐いた。
他の者にこんな態度を取られたら大激怒だが、クジャのそれにはもう慣れた。怒る気にもならない。
「ここは他の連中の巣とは違って、美しいだろう?」
正直、月の渓谷の方が、一般的には綺麗なんじゃないかと思う。
だがジェクトは、クジャが居城とするその場所も嫌いではなかった。
「ここの美しさに惹かれてやって来たのかい? それともこの僕の?」
もう一度溜息を吐いた。
死神、とは良く言ったものだと思う。
良く喋る口から出る言葉は、人とは感性がズレている…というより、不安定…だと思う。
兎角、話し辛い相手だ。
「いや」
ジェクトは手を振って否定した。
「ただの散歩だ。邪魔したな」
そのままくるりと背を向ける。
そのジェクトの耳に楽しそうに、嬉しそうに笑う声が聞こえた。
「余裕だねぇ。やはり君も、カオスの駒なんだ」
「あん?」
ジェクトは振り向いた。
兎角、機嫌の変化が激しい相手だ。だが今彼は、とても上機嫌の様で。
「何だい。あの図体ばかり大きい力馬鹿は、この僕の手柄を話していないのかい?」
なら、教えてあげないといけないねぇ。と。
クジャは踊る様に両腕を広げた。
図体ばかり大きい力馬鹿、と言われて先ず思い付くのは自分だった。
他にも図体のでかい奴はいるが、皆力ではなく魔術系だったと思う。暫し考える。
「…ガーランドのことか?」
言えば、クジャはやはり歌う口調で「そうさ」と言った。
「あれは少し前のことさ。この僕の美しい居城に、汚らしい猫が2匹、迷い込んできたんだよ」
猫。ジェクトは真っ先に動物の猫を思い出した。
だが自軍が放ったイミテーションのうじゃうじゃいるこの世界で、猫がここに来られる筈はない。
…となれば、敵の比喩。
ジェクトは直接的でない物言いは苦手だった。口にするのも、話を聞くのも。
敵の表現であれば、先ず獅子と呼称されるあの黒ずくめな少年が思い出された。
後1人は、クジャの弟であるらしいジタンという少年かとも思った。
だがクジャは、ジタンを必ず名で呼ぶ。
ならばジタンではないだろう。
クジャはジェクトに構わず、話を続ける。
「僕は追い立てた。猫ごときに僕の居城が汚されるなんて、あってはならないもの」
ジェクトは話に必死で付いていく。
…つまり、スコールと、誰かが来たから、戦闘したってことか?
「しぶとい猫達でねぇ。野良猫は性質が悪いよ」
でも。と、クジャは愉しげに笑う。
「猫ごときに僕が負ける訳が無いからね。僕の技は、2匹を高台の縁から下の岩へ叩き落とした」
クジャは、2匹は瀕死になったと笑う。
「死ぬ様を距離を置いて見ていたんだ。そうしたら猫の仲間が来てねぇ。泣きながら運んで行った」
悲劇だねぇ! ここに迷い込んで来なかったなら、こんな結末は無かったものを!
クジャは上機嫌だった。
上機嫌でジェクトに視線を送る。
「僕は猫と言った。誰と誰だか判るかい?」
「…片方はスコールだろ?」
言いながら、『仲間が傷付けられたんじゃあ、アレは泣いてんだろな』等と考える。
「もう1人は?」
「俺ぁ頭良くねぇんだよ、判るかそんなもん」
「よく、考えて…」
クジャは歌う。愉しいと、歌う。
「僕は君に『余裕だね』と、言ったんだよ? 君にね…?」

どこをどう走ったのか覚えていない。
気が付くと、自分の居住地に1人、息を乱し立ち竦んでいた。
コスモスの連中の陣営に行こうと考えたことは覚えている。
だが行き着けなかった。
当然だ。場所も知らない。
知らなかったことを、今知った。
無頓着だったことを後悔した。
ティーダが死にかけている。
それすら、今知った。
クジャは少し前、と言った。
なら、今は…?
焦りが、ジェクトの心を乱す。
どんなに嫌われても、自分はやはり、アレの父なのだと。
「っくそっ!」
乱暴に頭を掻いた拍子に、目の端にこの場所には見慣れぬ色が映る。
赤と金。こちらに背を向けて蹲った様子の。
…確か、ティナ。
コスモスの駒と判るな否や、ジェクトはティナに走り寄って行った。
足音に気付き、ティナが勢い良く振り返りざま、立ち上がった。
その手に、決して小さくない椀を抱えていた。
「…あ〜っと…」
ティナと向かい合ったはいいが、どう切り出してよいか解らない。
迷った挙句、「何してんだ?」と在り来たりの台詞が飛び出してきて、自分に苛立った。
ティナはジェクトが武器を構えていないので、同じように戦闘の意思は見せなかった。
代わりに、手に持った椀を、それはそれは大切そうに抱え込む。
「…黴を集めていたの…」
「黴だぁ?!」
意外にも程がある返答に、思わず叫んだ。
からかってやがるのか? とも思った。
けれどティナは真剣な表情をしていた。
「フリオニールがね」
ティナが細く話しだす。
「青黴は痛み止めになるって。私も最初はまさかと思ったけど、バッツもオニオンもそう言うから」
痛み止め。なら、彼女は薬草を取りに来てたってことか。
痛み止めで済むなら、大した怪我じゃねぇんじゃねぇか。ったく、脅かしやがって。
ジェクトは乱暴に頭を掻いた。
「あ〜…。そっか。邪魔したな。ま〜たあのガキはぴ〜ぴ〜泣いてんだろ」
ティーダが怪我したってのはさっき知ったんだ。世話掛けるな。と。
ジェクトが言った瞬間、ティナの表情が変わった。
先程までのおどおどした表情から、無表情になる。口が一文字に結ばれる。
「死んだわ」
がん、と。
後頭部に揺れを感じて、ジェクトは硬直した。
ティナはジェクトに背を向けて、再びしゃがみこむ。
声が聞こえる。
「痛がってるのはスコールなの。全身傷だらけで」
ジェクトの耳奥が鳴った。目の前に白い幕が掛かり、口の中が干上がる。
「あいつ…死んだのか」
呟いた声は擦れた。
ティナは溜息を吐いたようだった。
「…貴方を見ていると、ティーダがどうして貴方を嫌うのか、判るわ…」
そうして、採るべき対象が無くなったか、暫く辺りを見渡して…立ち上がり、ジェクトに向き直る。
「ティーダは生きてる。スコールより怪我が酷いけれど。今怪我に詳しい人達が総出で看てくれてるの。長く掛かるけれど、治るって」
ティナのその前言撤回に、ジェクトは安堵で全身の力が抜けそうになった。
だが次には、激しい怒りが湧いてきた。
「最初から言えば良いだろ! くだらねぇ嘘吐くんじゃねぇよ、ガキが!」
それはもう凄まじい剣幕で。
確かに、親に子が死んだとは、笑える冗談ではない。
しかしティナはそんなジェクトに、一歩も引かなかった。
「くだらなくなんてないわ! もし本当だったらどうするつもりだったの!」
ティーダが怪我をしたのは数日前なのよ! と、言われてしまえば返す言葉が無い。
「…仕方ねぇだろうがよ。誰がいつ誰と戦ったかなんて、知り様がねぇ…」
明後日を向いて答える。
ティナと視線を合わせらないのは、それが嘘だからだ。
ティナはそれを敏感に感じ取った。
「ずっと前、セシルが大怪我をしたの。ガーランドと戦って…」
「…んで…?」
「酷い怪我だった! 皆で薬草を探しに行こうとしたの! セシルのお兄さんは直ぐに飛んできたわ! 私達より動揺してた! 貴方は知ろうとしてないのよ!!」
無頓着を、図星されてしまえば、こんどこそ言葉を失った。
「さっきだってそう。本当にティーダが心配なら、私に何をしてるか何て訊かないで、真っ先にティーダのことを言ってきて良い筈なのに…」
愛情を…愛という感情を知らない娘だと聞いたのは、誰からだったか。
嘘を吐きやがる、と、思った。
知らねぇなら、こんなに必死で食い下がって来やしねぇだろ。
ましてや他人の親子関係になんて。
ジェクトの脳裏に、一瞬、知った顔の黒髪の少女が浮かんで消えた。
ティナはそんなジェクトの心を知ってか知らずか、ジェクトに歩み寄り…通り過ぎ、ジェクトの後ろの壁の前にしゃがみこんだ。
そして言う。
「私も子供を育てたことがあるの…」
勿論、自分の子供じゃないけど、と。
「ジェクトさん」
「…え、あ?」
「ティーダね…」
痛がらないの…と。
消え入りそうな声で呟いてくる。
「とても痛いはずなのに…戦士として沢山訓練してきてるスコールですら呻くのに…全然…」
そういう子が、私が育てていた子の中にも居たの。
ティナは話す。ジェクトに背を向けたまま。
とても小さいのに、転んでも、熱を出しても泣かない子が居た、と。
何故? ティナは随分悩んだ。
ケフカに世界が破壊されてしまった時のショックが大きかったのか。
環境に慣れることが出来ないのか。
その子の隣の家に住んでいた子が、ある日ティナに言う。
前からそうだったよ。
さらに年長の子が悲しそうにティナに言った。
風邪を引いても、怪我をしても、両親はあの子に無頓着だった。
泣いても助けて貰えないことを、あの子は悟ってしまった。
故に、あの子は苦しくても泣かないのだ。
と…。
「ジェクトさん」
ティナが呼んだ。
ジェクトは返事が出来なかった。
「さっき、ティーダがまた泣いてるだろって言ったでしょう?」
怪我や、病気をした時に泣いていたの…? と…。
言われて気付いた。
自分は、奴が怪我や病気をした時、泣いているのを見たことが無い。
泣くのは、専ら精神的な場面で…。
…思い出す。それは家族3人が揃っていた時の事だ。
ティーダが高熱を出した時があった。
ジェクトはその日、大きな大会に出場する予定だった。
妻は言った。頑張ってと、笑顔で。
ジェクトは病床のティーダに言った。
俺様の勇姿を見られなくて残念だったな、と。
ジェクトとしては、早く治せよ、との意味を込めて。

「負けちゃえ」

苦しい息の下、これがティーダの応えだった。
いつものことだった。本当に、いつもの。
試合は順調に勝ち進んでいけた。
試合には数日かかる。
1日目が終わって家に帰ると、妻が飛び付いてきた。
生中継見てたの! 格好良かった! 流石天才選手!
ジェクトは返す。当たり前だろ?
そしてこうも言った。
ティーダは?
妻は返した。大丈夫よ。

「…大丈夫な訳ねぇ…」
呟いたジェクトに、いつの間にか立ち上がってジェクトを見つめていたティナが首を傾けた。
ジェクトは目を閉じる。
大丈夫な訳がねぇ。
母ちゃんは生中継、ずっと見てたってことか?
確かにあいつは、俺のチームの対戦相手のことだって詳しく話せる奴だった。そう、ブリッツに関しちゃあいつに通じない話は無かった。
多分、俺が出ていない試合だって見てただろう。
…その間、ティーダは…?
捨て置かれていた訳ではないと信じたい。
確かにティーダより俺を優先してしまうような女だったが。何度行ってやれと言ったか解らない。
けれど、ティーダがもし、呻きもせず、苦しい息の下、ただ黙っているだけになっていたとしたら。
ジェクトは理解した。ティーダが己を嫌う訳を。
試合や練習であまり家には居着かなかった。
妻は、そんな自分にぞっこんだった。
自分が家に居ない時には、きちんと母親をやっていたと思う。
大会さえ無ければ。
それでも、妻の気は自分に向いていた。
子供が小さい間は、子供を生活の中心に据えなければならないと、俺に注意したのは誰だったか。
…ティーダは…愛情に飢えていた…? 飢餓と言って良い程に?
母親の愛情をあいつから取り上げていたのは自分。なら、自分が与えてやらなければならなかったものを、不器用に過ぎて、あいつが望んだ形で与えてやることが出来なかった。

「負けちゃえ」

ジェクトが負ければ、早く帰ってくるだろう。そうすれば、母親はスフィア中継でなく、自分を見てくれるだろう。
「負けちゃえ」は「助けて」のサインだった。
ジェクトは額に手を当てる。
どんな気持ちだったろう。
両親が居るのに構われない気持ちは。
いや、ジェクトは事あるごとに構いはしていた。
そしてその度にティーダを泣かせた。
…泣くのは、「そんな接し方では嫌だ」という救難信号だ。ジェクトはずっと、それを無視してきた。
挙句、異世界へ飛ばされ、帰る術が無いと知って、その世界の召喚獣になることを決めた。
…ティーダを捨てたのだ。そういうことになるだろう。
間接的にでも、そういうことなのだろう。
ジェクトは家族を愛していた。妻にしても、ジェクトが愛した女だ。良い女であったのだろう。
しかし、果たして良い母親だっただろうか。
そして自分は、良い父親だっただろうか。
本当なら、ティーダは手の付けられない位擦れてしまっていてもおかしくない。
それが、自分以外には心根の真直ぐな、感じ易い少年に育った。
それは一重に、ティーダの周囲の者達や、死してなお、ティーダの面倒を見てくれた友人による功績であり、決してジェクトの功績ではない。
ジェクトは目を開けた。目の前のティナに、にぃっと笑って見せる。
「…え?」
「それ、早く持っていってやってくれ」
先のティナの問いには答えず、ジェクトはそう言った。
「ジェクトさん…?」
「俺もな、嬢ちゃん。嬢ちゃんと同じなんだわ。愛ってやつがどんなもんなのか、未だに良く解らねぇ」
ティナは、はっと息を飲んで一歩下がった。
ジェクトは言う。
「いや…違ぇな。知っちゃいるんだ。表し方が解らねぇんだ」
自分の気持ちを、敵の少女にはこんなに簡単に言えるのに。何故だか、息子には酷くそれが難しい。
本当は、ティナの育てていた、泣かない子供がどうなったのか聞いてみたい気もしていた。
けれど、あいつはきっと、痛ぇって、表には出さずに泣いてやがるだろうから。
自分が出来ることは、きっと、これくらいしかないから。
「行ってくれ。俺は馬鹿だから、今更あいつには何もしてやれねぇ」
と。だが…、
「でもなぁ」
と、ジェクトは続ける。
「お互い嫌になるんだけどよ、それでも俺はあいつの――――」

それでも…



後日…といっても、かなりの日数が経過していたが…、同じ場所でティナと再会した。
ジェクトさん! ティーダ、治ったよ! と、嬉しそうに、綺麗な笑顔で告げられた。
自分がどんな顔をしているのか見られたくなくて、ジェクトはティナに背を向けた。
…一応、礼のつもりで、一度だけ手を大きく振ってみた。


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