霧笛2 | ナノ  
落下していく、傷付いた仲間達。
彼等が、落下した先に仕掛けられていた黒い罠に絡め取られ、場に削ぐわぬ苛立たしい程に可愛らしい音と共に消えていくのを、ジタンは見ていた。
…敗戦だった。
広いとは決して言えないパンデモニウム城の中。
何の前触れもなく現れた混沌の戦士に、動く隙も無い程の量の水晶人形を召喚され、けしかけられ。
…追い詰められ。
彼等が最後に選んだ逃走方法が、これだった。
パンデモニウム城の、複雑に要り組み、高低差の激しい、障害壁の多い城内。
1面赤い、床や壁。
無数に罠が仕掛けられた黒い、床。
それら悪意ある城内の1画に、大きく口を開けている、底の見えない、床の無い、奈落。
彼等はそこに、自軍を分断され、散り散りにされる黒い罠が仕掛けられていることを知っていた。
知っていて、飛び込んだ。
それしか…方法の無い状態だった。
狭い場所で際限なく召喚される人形に、1度、更にもう1度、と…。
疲労が蓄積された頃合いから、身の振りを誤る者や、多量の水晶人形に対応し切れない者が現れ始めた。
それは、当初は軽い傷の筈だったが、回を重ねる毎に深刻な傷となって彼等を苦しめた。
現在。
彼等の内幾人かは、急を要する深手を負うまでに至っていた。
その中には、自ら回復手段が無い者も居た。
しかし、誰がどこへ飛ばされるかが解らなくても、際限なく現れる人形に退路を全て断たれた現状では、こうして逃げるより他無かった。
…せめて、無事で…。
身を投げる直前。
言おうとした言葉は声にはならず。
「また、後でな」
…また、後で。
バッツが消える直前、いつも通りの悪戯な笑顔を見せて言った言葉に、返す言葉も無くジタンはただ頷いた。
…仲間の消える、黒色に見合わぬ、腹立たしくも軽い音…。
間を置かず、ジタンの腕に、足に、身体に、紫色を帯びた黒い霧が絡み付いて…。
ジタンは上を、床の縁を見上げた。
もう、遥か上方になってしまったそこで、此方をつまらなさそうに俾睨していたのは、水晶人形の召喚主…自分の兄だった。
兄の声が届く。
「こんな逃道を残しているなんて、自称皇帝が、甘ったるいんだねぇ」
下へ、延々と続くその果ての見えない奈落の壁に、兄の声が歪に歪んで響いて消えた。
…自分が下。
兄が上。
そんな、この状況に良く似た光景を。
何故だか。
知っている気がして。
ジタンは目を見開いた。
つまらなさそうな兄は、自分が見上げていることを知ると、顎を上げ、鼻で笑った。
「バイバイ、ジタン」
クジャ!
叫んだ言葉は音にはならず。
ジタンは黒い罠に包み込まれ、軽い音と共にその場から消えて行った。
クジャが床縁に立った際、意図せず蹴落としたのであろう人形の砕けた細かい欠片が。
不規則に瞬きながらジタンの消えたその場所を、罠に絡め取られることなく落ちて、いつ果てるとも知れない、底の無い奈落へと消えていった。







…落ちた先は、浜辺だった。
…濃く霧が掛かっていて、酷く薄暗く、肌寒かった。
あまり高くない高さで、全身に絡み付く黒い罠から解放されたジタンは、軽い音を立てて灰色の砂の上に着地し…。
身体の均衡を崩してそのまま片膝と片手を砂についた。
砂が冷たい。
…風が冷たい。
通常、ものともしない高さから落ちた筈なのに、何故、身体の均衡が崩れたのか。
その原因を探ろうと、ジタンは体勢をそのままに全身を見回してみる。
…尾が半ばから折れていて。
今更感じだした、頭の芯に響く鋭い痛みにジタンは舌打ちをした。
尾を抱え、ゆるり、と。その場に立ち上がる。
半ば呆けたような表情で辺りを見渡したジタンは、そのまま浜辺に寄せる波に身体を向け、波が立てる音に耳を傾けた。
ざあ…と。
久しく聞かなかった、波の、音。
ジタンは、すっかり「慣れない音」となってしまったそれに苦笑した。
ざあ…。
ざあ…と…。
繰り返し打ち寄せる波の音。
それだけが、この浜辺を満たしていた。
濃く霧が掛かり、空を映せない海の波は、僅かに発生する白い飛沫を残し、他は全て、先程自ら飛び込んだ、あの奈落の底と似たような色をしていた。
…砂浜の砂は粗い。
そこを砂浜…と呼んで良いのかどうか。砂があるのはごく狭い範囲で。
波打ち際から僅かな砂浜を隔てて、その先…ジタンの背後からは岩肌が牙を向いているような場所だった。
狭い…浜辺だった。
砂浜は、波打ち際と平行に、ジタンの左右へ延々と延びていた。
薄暗く、肌寒く、濃い霧が掛かっていた。
…5歩先からは、濃霧の為視界がはっきりしない。
周囲のあまりの暗さに、ジタンは一瞬、この「世界の断片」が曇天の夕暮れ時なのかと思った。
が、何か。
潮の香りを懐かしいものと感じて。
ジタンは軽く首を振った。
ジタンの髪が、ジタンが首を振る動作に合わせて、ぱらぱらと僅かに音を立てた。
ざあ…。
打ち寄せる波の音。
不規則に、打ち寄せる波の音。
…僅か。
波に拐われ、流れ擦れ合う砂の音が、した。
ジタンは溜息を吐く。
…此処は、自分が元居た世界だ。
昼なお暗いのは、それだけ霧が濃く、重いからだ…。
吸ってはならないとされていた筈の霧に、一瞬焦りが生じかけ…。
影響が出るほど長く居る訳ではなし、と、思い直してジタンは歩き始めた。
海が右。
岩肌が左。
何処まで続くか判らない。そんな浜辺を…。
薄暗いそこには、湿気を含んだ冷たい風が吹いていた。
折れて熱を持った尾には、その風が丁度良かった。
…しかし、どうにも身体の均衡が取れなくて…。
ジタンは数歩歩いたところで大きくよろめき、再び砂に片膝と片手をついた。
自然、溜息が洩れる。
…何となく。
もう、動きたくないような気がして。
ジタンはその場に胡座で座り、波へと向き直って息を吐いた。
波の音に身体を任せ、代わり映えしない、繰り返し寄せる白い波を見るともなしに見遣る。
…寄せる波に思うところは何も無くて。
考えるものの無い呆けた意識は、打ち寄せる波の音を背景にして、ゆるり、と、緩慢な流れで先程の戦闘へと向けられていった。
脳裏に剣戟の音が響いていた。
魔法の爆音も響いていた。
仲間達を翻弄する、無数の水晶の模倣人形。
人形により、傷付いた仲間。
…暗く深い奈落。
そこへ落ちていく仲間達の姿。
皆…皆、傷付いていた。
傷んでいた。
…無事だろうか。
全員、合流はできるのだろうか。
…そして。

――バイバイ、ジタン。

自分達を追い詰めた兄の台詞が、つと、脳裏を過った。
…あの時。
奈落の縁、自分の遥か上で、水晶の人形を後ろに従え、兄は傷付いた自分を俾睨していた。
別にあの時、自分が死んでも良かったのだろう。
…当然だ。自分達を殺す為に、兄は人形をけしかけて来たのだ。
けれど自分達は、自分は、逃げた。
それが不服だったのだろう。兄は城の造りが敵に甘いと、皇帝を揶揄した。
兄はその後、見上げていた自分の視線に気付き、鼻で笑っていた。
酷く冷たい笑みだった。
そして…。

―バイバイ、ジタン。

罠に絡め取られた刹那に投げられた、兄の言葉が、それだった。
恐らく以前にも、同じ言葉を投げられたことがあるのではないか、と、ジタンは何だかそんなことを考えて…。
…。
…否。
確実に。
以前、絶対に。
言われたことがあるだろう。
兄は以前、自分を捨てた。
恐らく、死んでも構わない、という気持ちで。
1人ではまだ、生きていけない程幼かった、自分を、あの兄は、捨てた。
…らしくない乱雑な笑みが洩れた。
冷たい砂に置いた尾が熱を持ち始めていた。
波は高くも無く、低くもなかった。 
…気の所為だろうか。
1度。甲高い笛の音のようなものが、波の向こうから聞こえた気がした。
…どうでも良かった。
波が寄せては返していた。











…どのくらい、時間が過ぎただろうか。
「ジタン?」
慣れた声が聞こえて、ジタンはいつの間にか伏せていた顔を上げた。
クラウドだった。
大剣を背負い、早足で砂を蹴ってこちらに向かってくるクラウドの身はやはり、幾多もの傷を負っていた。
「…」
ジタンは力なく、怪我を負ったクラウドを見上げた。
傷は、剥き出しの腕が特に顕著で、利腕が妙に脱力していた。
しかし、通常の歩行に支障を来すものではないらしい。
…無事で良かった。
ジタンは素直にそう思った。
が、何故か声にはならなかった。
傍に来たクラウドは、ジタンの身体をさっと見渡し、尾が折れていることを確認したらしい。
「大丈夫か?」
自分には無い器官への損傷は、流石に程度を測りかねたのだろう。
僅か。首を傾けて訊いてきた。
ジタンは黙って頷いた。
患部と額が、早、熱を持っていたが、頷いて応えた。
異常に気力が湧かなくて、尾以外にもきっと損傷をしたと思ったが、それでもジタンは頷いて応えていた。
クラウドはそれを、通常のジタンと比較し、異常と捉えたらしい。
「今、ウォーリアが仲間をホームに呼び戻している」
クラウドは早口にそう言った。
「自力で回復出来ない奴や、急を要する奴を優先的に、他の動ける奴等で」
そうしてクラウドは、ジタンから目を放し、海の上の暗い空を見上げた。
利手とは反対の腕を上げて指を口に含み、1度。
指笛を吹く。
指笛のその音は、薄暗く濃い霧の掛かる広い世界に、酷く甲高く響いて聞こえた。
先程、波の向こうから聞こえたと思った音に、似ていると思った。
次いで…。
…悲鳴…みたいだ…。
と…。
続けてジタンは、そう思った。
そう言えば、音で人形共を呼んでしまわないだろうか。
ジタンはふと、そんな不安にかられる。
「ここに人形はいない」
ジタンの考えていることが判ったのか。
クラウドは空を見上げたまま、ジタンに低く告げた。
「人形のいない世界に落ちていてくれて良かった」
…。
その言葉に。
ジタンはどう返答して良いものか酷く迷い…。
結局なにも返せず。
ただ黙したまま、クラウドと同じ様に、遠い空を見上げた。
…その視線の先、濃い、薄暗い霧の中に。
初め、上下に並んだ白と青の点が見えた。
それが何なのか判らず、ジタンは首を傾ける。
…が。
「…バッツ」
クラウドの呟きで、ジタンは顔色を変えた。
5歩先からがはっきりとみえない霧の中で、それでもクラウドがそう断定するのであれば、それは間違ってはいないのだろう。
ジタンは立ち上がり掛けた。
が、発熱した身体では体勢を変えるのが精一杯だった。
「無理をするな」
端的に、クラウドはジタンにただそう言った。
受身で待つしか出来ないことが少し苦しかった。
…クラウドは、間違ってはいなかった。
程無くして、浜辺に降り立った…否、正常に着地できず、ジタンの左手側に横倒しの姿勢で不時着し、砂を散らして止まったのは、傷を負った全身を海水に濡らし意識の無いバッツと、やはり全身に傷を負ったセシルだった。
セシルの首には、サイレスの印が浮いていた。
「溺れていた訳じゃない」
起き上がるなり、セシルはクラウドを見上げ、言った。
腹を庇い気味で、声が掠れていた。
立ち上がろうとして…出来ず、徒に砂を蹴るセシルの頭に、クラウドは利手と逆の手を置いて留め、話の続きを促す。
セシルは多少乱雑な溜息を吐いて続けた。
「けれど妙な…腐敗した巨大な魚に襲われていた。それ以外にも海中に何が居るか解らないから、拾った後、高く飛んでしまって…」
「高くを飛ぶのに飛竜は平気でも、人じゃあ駄目か」
「支えが腕だけじゃ流石に怖いだろう。それでも、海龍に噛み付かれるより益しだ」
そう、早口に言ったセシルは瞬間、身体を前に折り、酷く咳き込んだ。
そうして、苦し気に首の印を掻き毟る。
「やめろ。今の状態じゃあ、ホームで明日まで休まない限りは何をしても無駄だ」
バッツを担ぎ上げる為に砂に膝をついたクラウドが、バッツに手を伸ばす前に、首を掻き毟るセシルの手を、やはり利手と反対の腕で払って止めさせた。
首の印の上に、赤く幾筋も爪痕が残っていた。
クラウドがバッツを担ぎ上げる際に、僅か。
セシルが苦悶の声を上げる。
その声が届いたか。クラウドが呟いた。
「…お前ももう限界だな」
そうして立ち上がると、今度はジタンに視線を向けて、言った。
「すまん。この中ではバッツが一番重症の様だから、こいつを先にホームに連れていく。ちょっと待っててくれ。直ぐ戻る」
クラウドは重症ではないのだろうか。
妙に脱力した利腕は、もしや折れているのでは?
ジタンはクラウドを見上げ、利腕とクラウドの顔を見比べて、そう尋ねるように首を傾けた。
「ああ。折れている」
クラウドはあっさり答えた。
「でもお前達よりは益しだ」
セシル、ジタンを頼む。
短く、そう言ってクラウドは踵を返した。
だが、「頼む」という言葉に反して、霧の向こうへ去っていく速さは通常の彼の歩くそれではない。
…クラウドは、自分か、あるいは他の誰かがここへ戻るまで、2人が保つとは思っていないのだ。
ジタンは可笑しくなった。
…そしてどうでも良くなった。
ただ、バッツが自分に向けて言った「また、後で」、は、どうやら明日になりそうだ、と。
そうとだけ、発熱した頭でぼんやりと考えていた。
また後で。
…また、後で。
その言葉を、脳裏で何度も反芻する。
その内、ふと。
切っ掛けは何も無かったのだけれど、ジタンは唐突に、それが再会を望む言葉であることに気が付いた。
しかし、次いで…。

――バイバイ、ジタン。

「…ジタン?」
先程から、全く言葉を発しないジタンに、さしものセシルも異常を感じたらしい。
ジタンと同じく、砂浜に座り込んだ状態のまま、掠れた声で、声を掛けてきた。

バイバイ。
…バイバイ。

脳裏が、自分の意識とは無関係に反芻を始めたそれは、言い様によっては、また言う者によっては、再会を望む言葉ではあった。
けれどあいつは…兄は…。
「…クジャに何か言われた?」
相変わらず掠れた声のまま。
言われた言葉に、ジタンはびくりと身体を強張らせて、勢いよくセシルへと顔を向けた。
セシルはジタンのその反応を、肯定と受け取ったらしい。
僅か。眉を吊り上げ、低い声で言った。
「何を言われたんだ」
嗚呼…。と。
ジタンは思った。
セシルは、俺が…色々な意味で…痛め付けられたことに対して、クジャに対して、怒ったのだ、と。
しかし、自身が傷付いているにも拘わらずに他人を気にするセシルは。
セシルは…。 

…。

…俺に似ている。
ジタンは唐突に、そんな考えに至った。
似ている。
自分より他人が傷付くことの方が我慢ならない点が。
似ている。
自分のことより他人のことを先ず優先する点が。
勿論、他の仲間達だって、そんな点は多々ある。
しかし彼の…セシルのその思考は、他の仲間達に比べ群を抜いている。
…そんなセシルと似ていると思う自分は…自分は……。
「バイバイ…って、言われただけなんだけどさ。参るぜ…。まったく…」
黒い罠に掛かってから今まで。
唯の1度も声を発しなかったジタンが、ここに来て初めて舌に乗せた声は、こんな、いつでも言っていそうな、代わり映えしないいつもの調子の言葉だった。
セシルと目を合わせて居られなくて、僅かに揺れる視線をセシルの視線から逸らし、寄せる波の飛沫へと戻して。
ざあっ…。
と…。
波の寄せる音がした。
ジタンは、自分が普段と全く変わらない調子で声を発せたことに少し…ほんの少しだけ驚いていた。
…が、直ぐにどうでもよくなった。
一陣の。
冷たい風が吹いた。
折しも寄せた黒い波の白い飛沫が、風に掬われて、僅か。
2人に掛かって。
肌に、衣服に。小さな水の染みを作った。
冷たい。
…冷たい。
「冷てぇ…」
ジタンは呟いた。
セシルは無言だった。





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