闘う理由3 | ナノ
から…と。
焚火が崩れる音がした。
オニオンはその音に、はっとして義士から視線を外し、焚火へと振り返る。
…虫が鳴いていた。
相変わらず、焚火の爆ぜる僅かな…音。
今はその音に、義士の上がった呼吸音が混ざっていたが、義士の呼吸音と湯の沸く音以外はオニオンが来た時と同じで、全く静かだった。
オニオンは胸を押さえる。
酷い動悸がしていた。
勇者がゆら、と動いたので、オニオンは焚火から向かいに居る勇者へと視線を移す。
勇者は焚火の両端の枝に掛けていた、缶を下げた枝の端を持ち、火に掛けていた缶を何気無い様子で下ろしていた。
缶と同じ場所に伏せてあった、木をくりぬいて作られたカップを3つ、ゆるりとした動作で己の前に並べる。
動悸を収めたいという思いと、敬愛する彼を動かすのが申し訳ないという思いで、オニオンは手伝おうと腰を浮かし掛けた。
…勇者に目で止められた。
落ち着かない思いでオニオンは体勢を戻し、視線を彷徨わせる。
その間に、何処から取り出したのか、勇者は蓋の付いた木の容れ物の蓋を開けていた。
容れ物と同じ木製のヘラで、3度。とろりとしたものを掬っては、1度づつカップに落とす。
そして先程、2枝の枝の長さを調節する為に手折った短い枝で器用に缶を傾け、カップに注いだ。
「…落ち着けるか」
「…済みません」
勇者にカップを渡された義士は、心底気まずそうに畏縮してそれを受け取った。
「いや…」
と、勇者は言う。
「気にすることは無いのだ」
言いながら、勇者がもう1つカップを持ち、こちらに来ようとしているのか、立ち上がろうとした。
彼にそこまでさせる訳にはいかない、と、オニオンは慌てて勇者が立ち上がる前に立ち上がろうとした。
…再び。
目で止められた。
焚火を回り、こちらに来る勇者を、オニオンは義士と同じく畏縮して目の端で見ていた。
やがて目の端から勇者が消え…目の前に、すい…と斜め左上からカップが差し出される。
「…済みません…」
「いや」
カップを受け取ると、オニオンはそろ…とカップを差し出された方向を見上げた。
勇者はまだそこに居て。
声を出さずに、勇者は僅か、首を傾けて微かに唇を開いた。
大丈夫か、と。
オニオンの心境を案じ、しかしまた同時に義士に負担を掛けまいとするその無音の問い掛け。
オニオンは、はい、と返事をしそうになり…慌てて口をつぐみ、微かに頷くことで返事をした。
戻っていく勇者を見送り、オニオンはカップに目を落とすふりをして、そっと義士に視線を向ける。
義士はオニオンと同じく、カップに視線を落としていて、今のやりとりには気付いていない様子だった。
オニオンはカップを見る。
縁が炎の灯りで影を作っていて少し見え辛かったのだが、底の方にまだ少し、とろりとしたものが溶け残っている様に見えた。
オニオンは少しカップを揺らしてそれを溶かすと、そっと縁に口を付けて啜ってみる。
薄く甘いそれは、同時に酷く熱かった。
「…落ち着いたか」
「はい…済みません」
見れば、義士は立てた膝の上に両腕を投げ出しており、その先の両手でカップを包むように抱えて項垂れていた。
「謝ることはない」
勇者は言って、湯を少し啜った。
僅か、息を吐く。
「随分…煽られていた様子だったからな…」
あの時…行ってやれなくて済まなかった…。と…。
言う勇者に、義士が乾いた笑いを洩らした。
「…下手に憎むから、相手にそれを利用されるんですよね…」
「…」
「そうでしょう?」
気遣うかの様に返答を返さなかった勇者にしかし、義士は苦笑して同意を求めた。
その様子は、己を客観視するというよりは、戦闘の場に冷静さを欠いた自分自身を責め、気遣いを痛みと捉えている様子で、オニオンは目を伏せた。
…自分にも判る程に、それがあからさまだった。
「…。彼の者は酷く狡猾な様だからな…」
答えあぐねたか。
勇者はそうとだけ言って言葉を切った。
オニオンはもう1度、カップの縁に口を付けた。
「…オニオンは綺麗だよな」
が。
直後聞こえた義士の言葉に、オニオンはカップから口を離して義士を見る。
「…何言ってるのさ」
それが容姿を指しての言葉でないことは、オニオンにも判った。
だから静かに、こう返した。
義士は言った。
「…暗闇の雲が居たら、自分の大切なものが全て持って行かれるって知っているのに…。あいつが居る所為で、穏やかな生活から切り離されて戦闘を強いられるようになったのに…。一切あいつを怨まないで、世界の為に闘う、なんて…」
そしてその全てに、今の若さで既に心は決着しているなんてさ…、と…。
オニオンはカップを下げた。
「…そんなのじゃないよ…」
それ以外に、相応しい言葉を思いつかない自分に腹が立つ。
「…そんな…じゃない」
そうではなくて、何だというのか。
言葉として表現された、その内容は正しいのに、付随して連想される心情は正しくない。
そんなに立派な…立派なものではないのだ。
状況に流された…訳ではないがそれに近く…。
闘う理由が無い…訳ではないがそれも近い。
そもそも、記憶が曖昧で自分の中に有る敵意が鮮明ではない。
しかし闘わねばならない、闘いたい気持ちは己の中で強く。
…それらを表す為に、何をどう言って良いか解らない。
もどかしさに、オニオンは今1度カップを持ち上げ、縁に歯を当てた。
湯気が目に凍みた。
焚火が鳴った。
「…私は…君達に比べると、些か闘争の動機が不純なのかもしれん…」
暫しの沈黙の後。
勇者がふと、言った。
義士とオニオンは顔を上げて勇者を見る。
彼は焚火に枯れ枝を足しながら話していたので、どちらとも視線は合わなかった。
「…不純…?」
オニオンは、ほつり…と、呟いて聞き返した。
勇者は顔を上げてオニオンと視線を合わせ…頷く。
蒼い虹彩に、赤い炎が映っていた。
「私は…彼の者を倒したいのではない」
不純、と己で言いながら、勇者の口調は、目は、微塵も振れることは無かった。
それは、己の中で、口に出すその思いが強く、確固として…本気であり、闘う理由と称するに足る自信があるからに他ならない。
オニオンは目を合わせていられなかった。
火元に視線が泳ぎ、唇の震えを誤魔化すように、カップに口を付ける。
「私は…闘争と名の付いた輪廻の幻想に縛られた、彼の者を救いたいのだ」
ぎん…、と。
凛とした声に耳を射ぬかれ、脳が大きく揺れた気が、した。
耳を鈍器で打たれて脳に衝撃を食らった様な言葉だった…。
「…やっぱり、敵わないなぁ…」
称讃の溜息と共に呟かれた義士の言葉が聞こえ…。
オニオンは揺れる目で義士を見る。
敵わない、と言いながらも、勇者を真直ぐに見られる、義士。
その姿が肺に突き刺さって、オニオンの呼吸を困難にした。
「闘う大義名分は、君達の方が立派だろう」
「いえ…。普通は敵をも救うなんて思ったりは出来ません。…俺なんて憎いばっかりで…」
…行くな、と、クラウドに言われたその言葉に従わなかったことを、心底…心底後悔した。
「オニオン」
ふと。
義士に呼ばれて、オニオンはぎくりと肩を跳ねさせる。
「左手…」
義士が言いながら、利手の掌を上に向けてオニオンに差し出してきた。
オニオンは、はっとして包帯を巻いた己の左手を見る。
そうして、慌てて左手をカップから離し、顔の横で振って見せた。
「大丈夫だっていったじゃない? ほら、平気だよ――」
「オニオン」
先程より強い抑揚で言われ…。
オニオンは言葉に詰まった。
「…俺が、平気じゃないんだ…」
そう…言われてしまえば差し出す他に術が無い。
オニオンはのろのろと、義士の利手に手を差し出した。
回復呪文の詠唱を始めた義士の、その差し出された掌に左手を乗せながら呟く。
…見張りするってことは、明日まで魔力回復させられないってことじゃないか…。こんなところで魔力使っちゃってさ…。と。
オニオンの左手に巻かれた包帯を解きながら詠唱する義士は、大したことは無いと言いたげに肩を竦めただけだった。
上から傷の上に重ねられた義士の手の内側で、慣れた色の光が淡く灯る。
それは慣れた色だったが、焚火の赤色に煽られて少々赤味がかかっていて、見たことのない魔法の様に思えた。
義士が傷の消えたオニオンの手の甲を、ふわふわと軽く2度、叩く。
「…悪かったな」
「…別に…何ともないよ」
君こそ、と、オニオンは義士に言う。
今日一晩見張りなんて大丈夫なのか、と。
「いや」
答えたのは、勇者だった。
自分のカップを呷り、こちらに視線を向ける。
「今夜は私が引き受けよう。2人共もう眠ると良い」
「っし、しかし――」
驚いて声を上げる義士を、勇者は片手を軽く上げて止めた。
「セシルやクラウド、バッツとも、もう話はついている。フリオニール、君には少し休息が必要だ」
義士はオニオンの手を放して項垂れた。
…義士は今、何を思うだろう。
こんな時ばかり幼く見て、と、思っただろうか。
それとも、いつも軍のことで相談をしている組から除けられて話を進められたことに憤っているだろうか。
…解っている。義士がそんなことを思わないことは。
恐らく。自分を情けないと思っているのだろう。
オニオンは、義士の握った拳が震えるのを、切なく見つめていた。
自制出来なかった自分を、皆に気を遣わせた自分を、恥じているのだろう。
それは、敵に向かう強い強い気持ちがあるからこそ、そうなってしまったのであるというのに。
悪いことではないと思うのに。
…いや、もしかしたら、仲間を、人をまず優先して思いやる彼の人格、人柄にしてみれば、悪いことなのかもしれない。
また、敵をすら救いたいと、苦しい程に美しい言葉を口にした勇者の前では、悪いことなのかも…。
けれど。
自分には。
そのどちらも持たない自分には。
…そんなの…解んないよ…。
オニオンは1度目を伏せ…上げた。
「…ジタンがね」
ほつり、呟く。
ひくり、義士の肩が震えた。
「無理するなよ…だって」
…義士の全身から力が抜けた。
オニオンはカップを勇者のところへ戻そうと、立ち上がろうして…。
やはり目で止められて。
それならばと、義士が拳を解き、開いた手を引いて立ち上がった。
「お休みなさい」
「ああ。休むと良い」
のろのろと顔を上げる義士の手を掴んだまま、義士より先にこんなやり取りをしてしまえば、義士はやっと諦めた様。
「…済みません…」
「気にすることは何もない」
義士が立ち上がったのを機に、オニオンは義士の手を放した。
酷い劣等感で、2人の前から早く居なくなりたかった。
足早にテントに戻る。
テントに入る前…少しだけ焚火を振り返った。
相変わらず、風も星も無い真暗な夜だった。
森の中、開けた場所の中央…今は勇者だけが座るそこに焚かれた小さな火が、辺りの闇に僅かばかりの抵抗をしていた。
野営地を囲む木々の幹と、屋根の様に野営地に覆いかぶさる、生い茂る枝と葉が、炎の僅かな赤に照らされて、ぼんやりと闇の中に浮かび上がって見えている。
…その他は、押し潰されそうな闇だった。
…欲しい、と。
オニオンは思った。
義士の憎悪が。
勇者の信念が。
そしてそれは欲しがってはならず、欲しても手に入らないものだということも解っていた。
悔しくて泣きたかった。
申し訳なくて泣きたかった。
闘う理由が欲しかった。
同時に、もう持っていることも解っていた。
敵を救う、と言う真直ぐな光に心臓が灼かれる様だった。
敵が憎い、と言う真直ぐな光に気管が裂かれる様だった。
皇帝の嘲りと、皇帝を前に叫んだ義士の叫びが脳裏に響き、オニオンは焚火の僅かな灯りから、逃げるようにしてテントへ入った。
テントまで届いていた焚火の灯りは、義士が少年に遅れて別のテントへと姿を消した後、すう…と小さくなっていった。
深…と、静寂。
満ちたのは、静寂。
真暗森に。
小さな焚火。
重い想い、
に、虫が、ないている。





リクエストありがとうございました!
ご希望に添ったものが書けているか解りませんが、少しでもお気に召して頂ければ幸いです。宜しければどうぞお持ち下さい。

キロロン様へ。精一杯の感謝を込めて。


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