琥珀片のゆらぎ

何一つ変化がなく時間を持て余てる状態は、今を生きる現実に妙な疎外感を産み落とした。
自分の意識を掻い潜って勝手に吐き散らかされる、小さくも回を増すごとに確実に深くなる溜息の応酬。
特に意味の無い一種の癖だと理解はしていても、やりたい事もなく、志す目標も特に見出だせていない私には退屈さだけが常に付き纏って憂鬱ばかりが蓄積されていく。
溜め息の数だけ幸せが遠退くって、あながち間違いではないのかもしれない。

「……好きな人が居れば少しは違うのかな」

学校に備え付けられた自販機で買った四角いブリックパックにストローを刺し、自席に腰掛けながら薄汚れた教室の天井を見つめ一人寂しく呟いた。
瞳に映された先は温かみなんて一切感じさせない微かに灰を滲ませた色彩は、まさに今自分が密かに漲らせている心情をそのままに表現されているみたいで酷く不安な気分にさせる。

「恋をしたらどんな感じかな。やっぱり毎日が薔薇色の日々?漫画とかだとそういう感じに表現されたりするよね」

好きな人が出来れば今よりも楽しく過ごせるだろうか。辛く気だるい授業中でも、短くも楽しい休み時間や昼休みでも、朝起きた後も寝る前でも四六時中、その人の事で頭と心は埋め尽くされてしまうのだろうか。
もしも私が誰かに恋をしたのならば、今の様に吐きたくも無い溜息を吐かずにいられるのかもしれない。
変わらず天井を見上げて呆けながらストローに歯を立て、沸々と込み上げる到来しない思考は徐々に苛つきで唇を噛み締める動作を追加する。
気づけば先端は無残に平坦に成り果てて、大好きなイチゴオレがスムーズに流れ込まなくなってしまった現状に私はまた幾度と無く溜息を吐いた。

「あーあー!彼氏が欲しいなーあ」

「なまえちゃんは彼氏が出来たらさ。相手と何したい?何をして貰いたい?」

「えっ?……あ、なんだ。善逸か。相変わらず無駄に眩しいよね」

天を目掛けて頭に浮かべた言葉を吐き捨てると、背後から優しく穏やかな声色が耳に届いた。
突如聞こえた声にだらしなく背凭れに寄りかかり項垂れたまま聞こえた先へ目だけをそちらへ向けると、自分の視覚は目映い金の彩色が私を上から覗き込んでいる光景に占拠される。
今日はここ最近でも久し振りと言ってもいい位に雲一つ存在しない晴天で、陰る選択肢を有さない太陽が私と視線を交わした相手の髪を更に明るく照らしていた。

「無駄に眩しいってなんだよ!そこは眩しいだけで良くない!?」

「一応誉めてるつもりなんだけどな。何でそんな不服そうなの?もっと嬉しそうな反応をみせてお礼の言葉を返すのが常識じゃない?」

「いやいや、全然誉められた気分にならないから!逆にバカにされたんじゃないかって疑心暗鬼になったし!……ていうかさあ、なまえちゃんっていつもそうだよね。台詞の前に必ず余計な一言を付け足すの。"一応"とか"多分"とかさ。折角の賛辞が台無しだよ。もっとさあ、シンプルに物事を伝えた方がいいと俺的には思うんだけど」

「乙女の呟きを盗み聞きするなんて最低―。善逸は最低ー」

「ねえ、呟きの意味分かってる?願望を大声で吐き漏らしてましたけど!?廊下を歩いてた俺にもバッチリ筒抜けになるくらい!
しかもここで俺のアドバイスを聞き入れちゃうんだ?少しは空気を読んでくれないかなあ、なまえちゃんのバカ。アホ!」

むしろ空気を読んだ上で実践してみたのに、酷い言われようだ。でも一ミリも憤りを感じないのは、これが私達の毎日のやり取りの中で当たり前に飛び交っているからだと痛感できる。
悪態を付けば悪態で返される。私と彼の距離は密ではあるけど甘くはない。
他にも分け隔てなく交流する友達はいるけど、私の中では善逸と関わる事が誰よりも楽で心が満たされた。

善逸は数多くのクラスメートの一人で、顔を会わせれば特に身のない会話を繰り返す仲だった。
何の脚色もなく、本当にどうでもいい話ばかりしている。
例えば昨夜のドラマに出てた女優が可愛いよねとか、校長先生の頭の上には果たして人工的な何かが装着されてるのか否かとか。
本当にどうしようもない話題ばかりだけど毎日が楽しくて、学校という学舎の中で私は常に笑顔を綻ばせていた。
そんな日常を重ねていた私にとって善逸は心を許すに値する存在で、そしてまた彼も同じ気持ちであるという確信が不思議と芽吹いていた。

基本的に善逸は女の子に対して一歩距離を置いた言動を漏らす事が多い。
彼にとっては異性は同性よりも遥か格上の存在として認識しているようで、接触するたびに弛みきった表情筋と媚びへつらった台詞を恥ずかしげもなく披露していた。
でも彼女達と同じ女の子である私にだけは善逸は本来の素の姿を曝してくれるから、少なくとも彼の中で自分は対等な立場なのだと漠然と理解は出来ている。
互いに心の内を吐露してはいないけど、異性で唯一放たれる幾つかの単語が証明となると思う。
バカとかアホとか普段男の子である炭治郎君や伊之助君に連呼している言葉を、何の躊躇もなく私にも言ってのけるのだから。

「でさ。さっきの質問なんだけど」

「あー、彼氏が出来たらってやつ?」

「そうそう!」

抑揚のある声色を放ちながら、他の生徒の椅子に勢い良く座り込んだ善逸との視線が平行線で重なる。
これから発する私の返答に口端を上向きに描いて待ち構える姿は、直接的な言動を溢さずとも興味津々さが手に取るように簡単に垣間見えた。
机に両肘を付いて笑顔を振り撒く彼の行動に、そこまで熱心に耳を傾ける内容なのかと不思議に思いながらも、まあいいかと自らによって潰したストローに咥内に含めながら漠然と思った。

「そうだなあ。んー、例えば同じ飲み物を共有してこれ美味しいねーって言い合ったりとか?」

「へー。こんな感じに?」

「……あっ!ちょっと何すんの!」

何度目かの天井に目線を向けて淡々と言葉を漏らすと、私の台詞を聞き届いた善逸が無理矢理に手元のパックジュースを奪い取った。
こちらの意志を無視した強引な搾取で右手が彼のいる方向へ僅かに引っ張られて、一体何事かと憤りに近しい声と共に彼へと瞳を引き戻す。
少しだけ睨みを含めて善逸を見ると、奪った飲み掛けのジュースを喉奥へ流し込む光景が目に留まった。
いつものおふざけだと一瞬だけ脳裏を掠めたけど、起こされたアクションとは裏腹な表情を浮かべる顔付きに不覚にも心音が乱されてしまう。
唇がストローに触れて奏でるほんの微かな吸い込む音が止んだと同時に、ついさっきまで見せていた善逸の珍しいともいえる真面目な姿が普段の柔らかな笑顔へと舞い戻った。

「このイチゴオレ甘過ぎなくて美味しいね!すっごく飲みやすい。……んで?他には?」

「……ええと、私の頭を優しく撫でてくれたり、とか?男の子の大きな手でされたらときめくよね」

「ふうん。こんな感じでいいのかな」

私が答えた言葉に数秒の沈黙が流れた後、肩まで伸びる自分の髪に彼の指先が伝った。
親指と人差し指でゆっくりと毛先に触れて少しずつ根元へと移動をしながら、ごく自然に行われた流れるような所作は最後に優しく頭を撫でる事で終わりを迎える。
左右上下に動かす善逸の手は意外にも大きくて、ゴツゴツしていて、しなやかながらも逞しい指が耳朶に少し当たって急激な熱を帯びた。

「どう?ちょっとだけ俺なりのアドリブを入れてみちゃった。ドキドキする?ときめいちゃう?感想をどうぞ!」

「……とりあえず動悸がしますね」

「いや、待って!文法おかしくない!?良い意味なのか悪い意味なのか判断に迷うんですけど!」

「多分悪くはないとは思っている気がする」

「結局どっちよ!?……ああ、もうこれは完璧に理解させなきゃ気がすまないわ。だから今日から俺がなまえちゃんの彼氏になるからね!」

とくとくと波打つ鼓動に困惑していた私を余所に、彼からの意外な一言でまた心臓が騒がしくなった。
善逸が私の彼氏になる?私が善逸の彼女になるの?聞き慣れない台詞の羅列に胸中は疑念で埋め尽くされたと同時に、これまでの善逸の行動によって簡単に結論が導かれた。
ああ、そうか。いつも他の女の子達に似たような台詞を執着心もなく堂々と言い放ってるだけだ。私が彼氏が欲しいだなんて言ったから、軽いジョークのつもりで話題を盛り上げてくれようとしているに違いない。身体を張った行動に一瞬でもときめいてしまった自分が恥ずかしくなってしまった。善逸にはその気がないのに、鵜呑みにしてしまいそうになった。いつも私達は悪ふざけばかりしてるのにね。でも善逸が悪いんだよ。聞き慣れない言葉をいきなり投げ付けてきたから。
ここは期待に添わないといけない。
冗談には冗談で返すのは礼儀だからと次の言葉を紡ごうとしたけど、突如映った彼の表情に思わず喉の奥に収めてしまう。

「……ねえ、顔が真っ赤なんだけど」

「なってねえし!そう見えるのは太陽のせいだから!夕焼けのせいだから!」

「まだ昼の12時なんですけど。カンカン照りで黄金色ですが?」

「ですよね!あああ、バカじゃん俺。苦しすぎる言い訳に反論出来ない……」

初めて見た。善逸もそんな顔をするんだね。
いつだって笑ってしまう位に情緒豊かな表情を見せてくれるけど、今の彼は何だか知らない男の子と対面してるみたい。
おもむろにそっぽ向いて私から顔を背ける姿は妙に色っぽくて、涙を滲ませる潤んだ瞳は薄い色素を有する琥珀を一層と輝かせた。
どうしよう。今この瞬間が一番私をときめかせている。

その表情が私だけにくれるものだとしたら、私に生まれてしまったときめきが永遠となるのかもしれない。

ねえ、善逸。私達っていつもくだらない話ばかりして沢山笑い合ってきたよね。
大口を開けて二人でバカみたいに、お腹を抱えながら笑ったりした。
そんな善逸と一緒に過ごす時間が増えるたびに思う事がある。
どんな女の子にも甘い笑顔と言葉を捧げて優しく接しているけど、炭治郎君や伊之助君に与える本来の素の姿は絶対に曝さなかった。
でも男の子達に見せるぶっきらぼうな一面や、バカとかアホとか饒舌過ぎる突っ込みを私にだけは唯一投げ付けてくれる事が密かに嬉しいと思っていたりするんだよ。
私は善逸にとって、少なからず特別な存在だって自覚出来たから。

「ご、ごめん。さっきの無し!取り消してもいいかな」

「……無しにしていいの?念のため聞くけど、後悔しない?」

「えっ」

善逸はさ、諦めが悪い事が長所でしょ。自分でも言ってたじゃん。
私の返事を聞かないまま終わりにしてもいいの?だから念のために、善逸に食い下がる権利を用意してあげる。素直な部分も長所だってちゃんと分かってる。
……なんて私こそ素直にならないとだめなのにね。素知らぬ振りして言葉を紡いだけれど、目がずっと泳いで視点は定まらないし高鳴りは酷くなるばかりだよ。

「聞きたい!今すぐ言って!なまえちゃんの彼氏に俺はなれるかな?ずっとずっと君の事が好きなの、俺!冗談抜きで本気だから!」

「ありがとう、善逸。じゃあまずはとりあえずね?」

「うんうん!……は?"まずはとりあえず"?」

「私から奪って飲み干してくれたジュースのお代を払ってからね。はい、100円出して?」

「はあー!?この期に及んでまだそんな事いうのかよ!このチャンスを逃がさんと決死で行動に移したのに!本当、空気読んでくれよ!……なまえちゃんのバ―カ!バーカ!バァーカーー!」

やだなあ、冗談だよ。そんなに怒らないでよ。だけどね、私がこれから言おうとしてる事は本心で本気だから、安心して聞いて欲しい。

私が彼氏に一番して貰いたいのは、楽しい時間を共有して笑い合って、他人には知り得ない素を互いに独占した関係になりたい。
きっと貴方とならば実現可能だって信じてる。
私も善逸にだけ本当の姿を見せているからね。

ほんの些細な表情で惚れたなんて口が裂けても言えないけど、善逸に対する気持ちは紛れも無く"恋"なのでしょう。

今日から私の世界は薔薇色に染まるのだと、呟くように返事を紡いだ自分の言葉に泣きながら抱き寄せて得た硬くも温かい胸元の中で漠然と思った。


END
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