願わくばを願わねば

血液が逆流した様な感覚が押し寄せる。
表現し難い感情の波が全身を覆い尽くしては、苛立ちを悉く増幅させて心に靄を落とした。

伝えたいよ。でも伝えられないんだ。
俺って恋愛に関してこんなに臆病だったかな。

恋情は自身の胸を不定期に締め付けながら切なさをも与えて、凄まじい速さで想いが溢れて零れてもう、塞き止められない位に大きくなってる。

もしもこの滴り落ち続け身を浸からせる程の、断片の集塊を声に紡げたとしたら、少しは何かが変わるだろうか。
度胸を露呈出来ぬ俺の弱さも、密かに夢見続ける彼女との甘い関係も、乏しい情緒を見出だす平穏な生活何もかも、少しは違った形になるのかな。

ああほら、想像しただけで頼り無い俺の中の世界が浮き足立ってる。

「大分日が延びたよね」

「んー、そだね」

夕暮れの蝶屋敷の一室。
同じ鬼殺隊で貴重な異性の友人であるなまえは、感慨深げに窓の外を見つめ口を開いた。
朝から晩まで明け暮れる多忙な毎日にも必ず1日の終焉は訪れるもので、太陽は焼き付く様な橙色に変化しては空も同系色に染まる。
日常風景は天候によって変化する空模様以外は然程変わりは無くて、むしろ代わり映えしなさ過ぎる生活に退屈さを極めた自分が確かに存在していた。
俺は"ほら、夕陽が綺麗だよ"と指を差して視線を誘導する彼女の動作を無視して、外の風景を確認する事もせず耳に入った声に相槌を打つだけに留めた。
そんな俺の淡々とした切り返しになまえは小さく首を傾げる。
あー、くそ、可愛いな。ちくしょう。

「なんか今日の善逸、変だね」

「えー、そう?」

「だっていつもだったら笑顔で話を合わせてくれるのに。うざったい位食い気味に」

おい、こら、一言が余計過ぎない?
でも反論は出来ない。
いつもはなまえの情緒的な台詞に熱烈な賛同を顕す俺が、抑揚を欠いた声色で無感動な言葉を投げ付ける今の違和感は自分でも自覚はしてる。
でもさあ、そうなっちゃうのは無理もないと思うわけよ、俺としてはさ。
だって知った処で取り立てて得も無いし、特に興味心も擽らない俺としてはごく自然な対応だと思う。
それなりに付き合いが長くなれば、俺だって素っ気ない態度の一つや二つ見せたりするからね?そこは親交の証だって受け止めて頂戴よ。
女の子に素を曝す行動自体何気に初めてなんです。なまえに気を許してる証拠だって理解しておくれ。

「善逸。今考え事してるでしょ」

「あー、ごめんねえ」

「何その言い方」

生返事な答えが癪に障ったのか自分に声を掛けたなまえの目が吊り上がり、心此処に在らずな俺を見て大層不満を露にしていた。
悪びれも無く頬杖を付いたまま謝る俺に、彼女は木の実を頬張るリスみたいにぷくっと両頬を膨らませる。
自分を見ずに悪びれもなく淡々と謝罪の言葉を吐く心此処に在らずな態度は、更になまえの怒りを煽り立てる事となった。

「気持ちが篭ってない!」

いや、本当に悪いと思ってるからね?
だけどさあ、何て言うか、ほら、ああもう考えが纏まんねえし。
とにかく今は君の話とか聞いてる余裕が無いんです。

なんなんだよ、すっげえ気持ち悪いんだけど。
この全身逆立つような、内側から何かが這いずり回る感覚がとにかく嫌だ。
力が抜けて麻痺したみたいに自由が奪われて、自分の身体なのに思い通りに動いてくれない。

なまえと居るといつも理解不能な何かが迫ってくる気がした。
肉体に脅かす動悸と、息切れと、倦怠感は存分に把握してる。
普段の自分らしさを欠いているのは、言い知れぬむず痒さが前触れもなく内側を蝕んでくるからだ。
分からない、言葉として処理出来ない。
特に二人きりになると其の症状は壊滅的な激しさで俺に付き纏って惑わせた。
正しく現在進行形で未知の感覚と闘っている最中なんです。なまえの声が耳に届くだけで身体中がむずむずすんの。ここまできたら重傷である。

「もしかして恋煩い、とか?」

「へっ?」

なまえの問い掛けに身動きが奪われる。
は?何言ってんの。俺が知ってる恋煩いは脳内も映る景色も全部桃色になって心踊って、うっとり酔いしれるもんだと認識してるんだけど。その感覚は自分にとって切っても切り離せない日常茶飯事に付き纏っていたものだから、確かな情報だ。
間違っても今みたいに胸くそ悪さを増長させる感情なんて産み出さない。
壁側に顔向けたまま聴こえた彼女の言葉に、俺の心臓は少しずつ鼓動を速めていった。
机に置かれた自分の手首からドクドクと脈打ってるのが伝わる。ああ、また力が抜けていく。
もう無理なんだけど。すっごい気持ち悪い。勘弁してくれ。

「ち、ちちちち違うよお」

「あ、善逸が焦ってる!図星だ!」

「うっさいよ!絶対に違うからね!?」

「顔が茹で蛸みたいに真っ赤になってるよ?ムキになっちゃって。ますます真実味が増すよね」

少し意地悪そうな笑みを見せたなまえに、俺は顔色を深紅にして興奮気味に言い返した。
そんな姿を見て楽しくなったのか、意気揚々とした表情を近付けてくる。
……ちょっと、ちょっと、近い。顔が近い。
頼むからこれ以上俺に追い討ちを掛けないで貰えるかな。死ぬ、心臓が破裂して死んでしまう。
俺、やだよ?死因が「キュン死」とか絶対に御免だからな。無様過ぎて後世まで笑い者にされてしまうわ。

「告白しないの?」

「出来たら苦労しませんよ。……って違うし!今のは取り消し!……俺はさ、別に好きな子なんか」

「善逸なら絶対大丈夫だよ」

「……えっ」

柔らかな微笑みが俺の胸を鷲掴んだ。微かに染まる滑らかな曲線を描く頬が、外側から紅く彩る夕陽で落とす睫毛の影がなまえの存在を瞳に色濃く残す。
この笑顔は俺に向けられたものなんだ。確かに今は俺だけに与えられたもの、そう認識したら緩やかに加速していた鼓動が急速に暴走を始めた。
なまえは本当に可愛くて友達思いで、優しいよねえ。君と友人になれた事は俺の誇りだよ。
だけどさあ、少しばかり腹立つんだけど。
「告白しないの?」なんて、極上の笑顔で言い放ってくれちゃってさ。
他人事ですか。そうですか。残酷極まりないですね。

ていうかさあ、俺が好きなのなまえなんですけど。

なまえの言葉に苛立ちが収まらない。
彼女が俺に恋愛感情を抱いていない事は前々から分かっていたから、女の子を相手にすると猛虎突進な筈の俺を躊躇わせる原因となった。
自分がどれだけなまえを想っていても、今の段階では決して報われない。

でも現状打開の為に想いを打ち明ける勇気は持てなかった。
確かに俺はなまえと恋仲になりたいし、彼女が他の男を恋人として傍らに置く未来を絶対に許さない。
でも根性無しの俺は告白したい気持ちがある中で、度胸が微生物並みに微々たる大きさにしか育てなくて、取り合えず俺に可能な行動はなまえに一番関わり常に彼女の傍に居る事だけだった。
何一つ行動に移せない癖に嫉妬心だけは一人前だよね。こんな俺を俺は好きじゃないよ。

……だけど今のやり取りで再確認させられて心は暗く深い最下層まで沈んでいく。
ああ、今ここで漸く理解出来た。
俺がこんな胸糞悪い感覚に苛まれるのは、なまえが自分を恋愛の蚊帳の外にしているからだ。

「善逸、勇気を出して告白して来なよ」

眉根を寄せて沈痛な面持ちで俯く俺の心情を気取ったなまえは、俺の頭を優しく撫でながら穏やかな声を紡いだ。
彼女と視線を合わせるつもりで顔を上げて一番に目の当たりにした、目と鼻の先に映る艶やかな唇に思わず生唾を呑み込んでしまう。

「伝えたらさ、相手も善逸を好きになるかもしれないじゃない?」

「なまえはそう思うの?」

ねえ、本当に思ってんの?今のなまえの台詞は俺がずっと切に願って止まない夢そのものなんだけど。

なまえの発した言葉に対して食い付き気味に切り返すと、彼女は満面の笑顔で"勿論"と得意気に告げた。
へえ、よくぞ言ってくれました。自信満々で言い放ったからには、当然責任持って頂けるんですよね。これから行き着く先に対しての責任をさ。

「……そうだね。じゃあそうするよ」

彼女が発した言葉を活性剤に今まで放置して蔑ろにしていた覚悟が、俺の中で大きく強く蘇っては漲ってくる。
ぽつりと聞こえるか否かの、俺の小さな呟きを聞き逃さなかったなまえは、再びその温かく優しい手を頭に置いた。
今この場で俺だけが独り占めを許す、友人として何度も瞳に刻んだとびきりの笑顔を浮かべながら。

「善逸は凄く優しいし、絶対に想いは届くよ!」

へえ、そう思うんだ?告白の相手はなまえだけどね。じゃあ、絶対に俺の気持ちを受け取れよな。

「うん!絶対振り向かせてみせるよ!」

本当にね。諦めるとか俺の選択肢に微塵も存在しないから。俺は願望成就するまでしつこいよ?覚悟は出来てる?

「善逸が幸せになると私も嬉しい」

……ふーん、其れは他人思いで何よりだねえ。じゃあ今すぐ俺を幸せにしてよ。一緒に幸せになろう?

「ああ、何か私までドキドキしてきちゃった」

なまえ、こんなのまだ序の口だよ。君にもこれから全身逆立つ感覚と力抜ける虚脱感を味合わせてあげる。
俺がずっと燻り続けて来た、なまえへの想いが報われないさっきまでの後ろ暗い感覚とは違うけどね。可能な限りの甘さでなまえを翻弄してあげる。

「なまえ」

秘めた決意に突き動かされた俺に迷いは切り落とされて、机に置かれたなまえの指を掬い上げて口元へ運んでいった。
もう誤魔化さない。背中を押されて得た強固な意思は、いつしか俺の体内を脅かしてきた不気味な感覚を掻き消していく。

俺に存在する頼り無かった朧な世界は、近く訪れる彼女と築く甘く蕩ける未来に浮き足立ってる。

実現させる為ならさ、今の俺なら向かうところ敵無しだ。

「なあに?」

覚悟しててね、大好きななまえ。
今度は君の顔が茹で蛸みたいに真っ赤になる番だから。
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