職場に気になる異性がいれば毎朝鏡で自分をチェックする時間が増える。
今日の服装はおかしくないだろうかとか、ネクタイとワイシャツの色の組み合わせは間違ってないだろうかとか。
こんなにもおれが気にかけたって、気になるあの子は何とも思っていないだろう。それは分かっているが、少しでも魅力を感じて貰いたいと悪足掻きする毎日だ。


ナマエは子会社からベティが引き抜いて来た逸材で、重要な役割を担うおれのチームのメンバーとなった。
おれは別のプロジェクトも兼任しているため働くフロアは別だが、同じチーム故にナマエが優秀な人材だというのはすぐに気がついた。

仕事を適当に頼んでもしっかりこなしてくれる。(教え方が雑すぎるとコアラに怒られた)グループチャットで誰かに仕事を振ると「私がやります」と自ら率先して業務にあたっていた。

だからなのか自然と、いつの間にかナマエが気になり出したのだ。はっきりとしたタイミングは分からないが、ナマエに会う度、話す度に鼓動が激しくなる。
こんな純粋な恋をしたのは久しぶりで少々戸惑ったが、「早く恋人作れよ」と母親のようにうるさい友人エースの事を思い出してちょっと頑張ってみようか、なんて思い始めている。



今日も部下に頼めば良いような雑務をナマエに会うために行う。別フロアに行ってくると近くの席の奴らに伝え、一度トイレで鏡をチェックしてからナマエの元へ向かった。

「ナマエ」
「あ、サボさん」

ナマエはおれを見るなりにこりと笑い、パソコンのキーボードを打つのをやめた。にやけそうになるのを必死に堪える。平常心だ。

「これ、間違って別部署に届いてたらしい。中身は請求書だったから、処理してくれないか?」
「急ぎですか?」
「いや、今週中にしてもらえたら良いよ。時間がある時にやってくれ」
「分かりました」

にっこり笑ってナマエが請求書の入った封筒を受け取った。今日は昨日と違うネイルだった。ピアスは一昨日と同じだ。
カーディガンは見たことがないから、新しく買ったのだろうか。
自分が変態じみているのはよく分かってる。久しぶりの恋すぎて浮き足立っているのかもしれない。
ナマエの一挙一動にいちいち反応してしまう。そしてナマエもそうあって欲しいと思ってしまうのだ。
まぁ、ナマエはおれのことなんて何とも思ってなさそうだけど。

ナマエの前の席のコアラが憎らしい。
羨ましい。おれもナマエの目の前で仕事がしたい。
じーっと睨みつけていると、それに気がついたコアラがしっしっと手で追い払うフリをした。なんて冷たい女なんだ。
その一部始終を見ていたナマエが口元に手を添えてクスクス笑う。

「なに後ろからナマエちゃんのことずっと見てんのよサボくん。そんなに見つめても、ナマエちゃんは仕事代わってくれないよ」
「見てねェよ」
「早く戻りなさい。仕事溜まってるでしょ?」
「なんかナマエに言いたいことがあったんだが、まぁ、忘れたから思い出したらまた来るさ」

言いたいことなんてない。でまかせだ。
ナマエは「チャットで良いですよ」と言った。確かに、言いたいことがあればチャットで良い。そりゃそうだが、実際に会って話すときのドキドキ感が良いんじゃないか。
うわ、おれ気持ち悪りぃな。


気晴らしに下の階のカフェに寄り、デスクに戻ってパソコンを覗けばナマエから早速チャットでコメントが来ている事に気がついた。ハッとして確認すると『次のミーティング資料が出来たのでチェックをお願いします!』と、ただの業務メッセージだった。
逆に業務メッセージ以外が来たら驚くが。

カフェで買って来たスコーンを頬張りながら送られて来た資料をチェックした。
いつもは面倒だと感じる作業も、これはナマエが作った資料なんだと思えばしっかり細部まで確認しようという気持ちになれる。
適当に済ませてコアラに怒られているような姿は決して見せたくない。
しかし、ナマエが入社したばかりでまだ気に留めていなかった頃はどうだろう。もしかして、コアラに怒られてるの見られた事ある…?

あぁぁ、と項垂れていると、隣の席のハックがちょいちょいと肩をつついてきた。

「…なんだよ」
「ミーティング後の飲み会、参加の可否を聞かせてくれ。サボだけだぞ、返事をしていないのは」

ハックのパソコンを覗くと、チームメンバーの名前がずらりと載っていた。確認するのはもちろんナマエだ。参加になっていた。

「参加で」
「珍しいな、サボが飲み会に参加するのは」
「たまにはな」

いつもは家に帰って即寝るかランニングに限るが、ナマエも参加する飲み会なら出ない理由がない。これでプライベートの話をすれば今よりももっと距離を縮められるだろう。



いつからかナマエの視線が気になっていた。妙にきらきらしているような気がして、ついじっと見てしまう。そうするとナマエが恥ずかしそうに視線を逸らす。
今ではおれの方が緊張して、ナマエを直視できなくなっていた。

飲み会ではナマエの目の前の席を陣取った。酒さえ入ってしまえば前のように遠慮なくナマエを見つめられるだろうと考えたからだ。
案の定、ほろよい気分ではナマエを前にしてもさほど緊張しない。あちらもほんのり顔を赤らめて先ほどから色々とプライベートな質問をしてくれる。

「サボさんは休日何してるんですか?」
「友達とラーメン食いに行くか家で読書してるかだな」
「何読むんですか?私はミステリー系の小説が好きなんです」
「ミステリーか!おれもよく読むよ」

他愛のない話こそ至福だ。
たまに髪を耳にかける仕草をするのが堪らなく興奮する。ナマエの視線の先におれが居るんだと思うと顔が勝手にふにゃりと力を無くしてしまう。

「ナマエちゃん飲んでるーー?」
「わ、コアラさん!」

せっかく2人で話していたのに、少し離れた席から酔っ払いのコアラが現れた。ナマエに寄りかかるように座って「ナマエちゃんの髪の毛、良い匂い~」なんて言う。あまりに羨ましくて、危うく持っていたフォークを折ってしまうところだった。

「待って待って!当てるね、なんのシャンプー使ってるのか!えーとね……」
「ふふふ、絶対に分からないと思いますよ」
「ええっ?どうしてー?」
「海外の使ってるんです。好きな香りのがあって…」
「ええーっ!そうなんだ!うん、たしかにすっごく良い匂いする!」

嗅ぎたい。
おれだってナマエの髪の香りを感じたいが、そんなに近づいたことがない。そして今から「おれにも嗅がせてくれよ」なんて言ってはいけないことくらい分かっている。
コアラが羨ましくて堪らないが、ここでガキみたいな拗ねた態度を取れば目の前のナマエにも勘づかれてしまうだろう。
部下たちの会話を見守るような仕草をしつつ、牛ステーキをむしゃむしゃ食べた。

「ナマエちゃん、爪もいつも綺麗にしてるよね。女子力ある~~~」
「コアラと違ってな」
「うるさいサボくん」
「あはは、……そんなに可愛くもないのに、変にこだわってばかりで馬鹿みたいだなって自分でたまに思うんですけどね」

ナマエは少し悲しそうに微笑んだ。
咄嗟におれは「ナマエは可愛いよ」と、割とはっきりとした声で言った。つい、ポロリと本音が出たものだった。

ナマエの大きなきらきらとした目が、ハッとしたように見開かれた。その瞬間、ぽぽぽと赤くなっていく顔。

「ご、ごめんない、ちょっと失礼します…」

真っ赤になった顔を隠しながら、ナマエは席を立って飲み会会場である部屋から出て行ってしまった。
ぽかんとするおれとコアラ。

「サボくん、セクハラ~」
「いやいやいや、セクハラになんのか?」
「ナマエちゃんすっごく照れちゃってたね。可愛いんだから」


無言で席を立ち、ナマエを追いかけた。
あの反応は都合よく捉えていいのか、それともコアラの言うようにセクハラになってしまうのか。気持ちが焦って足がもつれた。

ナマエはトイレ近くの誰もいない通路に立ってぱたぱたと顔を扇いでいた。おれが近づいて来たことに気がついて、またもや目を丸くした。

「サボさん…」
「気分悪くさせたかと思って。もしそうなら謝るよ」
「いえいえ!違うんです!サボさんみたいなかっこいい人に可愛いなんて言われたら、もう、恥ずかしくって…」

ナマエは「私の方こそいきなり席を立って失礼でしたよね」と頭を下げて謝った。慌てて全然気にしていないと伝え、少し笑い合って見つめ合った。どきりとした。

「サボさんは女性を喜ばせるのがお上手ですね」
「いや、誰にでも言う訳じゃねェよ。ナマエだから言った」
「…え?」
「本当に可愛いと思ってた。ずっと前から」

またナマエの顔が赤くなる。やっと元の頬の色に戻って来ていたのに。涙が溜まっているのか、瞳が天井の照明によって輝いていた。
やっぱりナマエのこの目が、おれを狂わせるんだと思う。
ナマエは目を逸さなかった。

「ナマエの、妙にきらきらした目が好きなんだ」

酒のせいか自然と本音が出てしまったが後悔はない。いつか伝えるべきだと思っていたからだ。
ナマエは何回かまばたきをしてそして無邪気な笑みを浮かべた。またおれは不覚にもドキドキしてしまう。

「サボさん、私の視線に気がついてくれてたんですね」

………へ?

「どうして私がそんな目で、サボさんのことを見ていると思います?」
「…………え、えっ?」
「ふふふ、サボさんって案外可愛いんですね」

いつの間にか、ナマエは妖艶な笑みを浮かべていた。呆気に取られているうちに、ナマエはくるりと身を翻して歩き出す。
その先には店の出入り口がある。

「一緒に抜けちゃいませんか?サボさん」

振り返ったナマエの台詞に、今度はおれが目を見開く番だった。
まるで見えない糸に引かれるようにナマエの後を追った。

「ナマエ、おまえ、おれのこと好きなのか?」
「あはは。サボさんこそ、私のこと好きになってくれたんですか?」

「やっと?」とナマエが嬉しそうに笑う。
顔は赤いままだ。

あぁ、どうやらおれは、とんだ魔性の女に惚れてしまったらしい。



end







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