彼から教えてもらった護身術なんて、そんな簡単に使う場面はないだろうと思っていた。けれど、教えられた翌朝に使うことになるなんて誰が予想出来るだろうか。

エースは今日も山に行くと言って昨日よりも早い時間に家を出た。私は大量のお弁当を持たせて、時間になるといつも通りに働く酒場に向かった。


今日は酒場に見ない顔のお客さんがいる。海賊だろうか?と思ったが、雰囲気が違う。とりあえず注文された酒や食事を運んでいると、小汚いおじさんが突然私の腕を掴んだ。

「おまえ、今朝、火拳のエースと歩いてなかったか?」
「えっ」

確かに歩いた。エースの目的地である山の入り口に野生のミカンがなっていて、私はそれを収穫するために途中まで同行したのだ。朝早かったし、すれ違う人なんていなかったはずなのに。
ゴクリと唾を飲んで、冷静に男を見下ろした。


「人違いだと思います」
「嘘つけ。ちゃんと覚えてんだ」
「……火拳のエースを探してるんですか?あなたは誰?」
「おれは賞金稼ぎだ」
「賞金稼ぎ…」

そうか、エースは確かに高額の賞金首だった。
彼がこの村に滞在していると言う噂を聞いたのだろうか。小汚いおじさんと、同じテーブルに座る同じく小汚い男たちの視線が私に集まる。
彼らはこの村でエースを探していたに違いない。

「エースの居場所を教えろ」
「知りません…」
「痛い目に遭いたくないだろ?お嬢ちゃん」

周りが異変に気がついてざわめく。店長は今厨房でピザを焼いているからカウンターにいない。せめて店長がいてくれたら、こんな奴ら追い払ってくれるのに。

「知らないですって…」
「お嬢ちゃん、俺たち優しい大人じゃない事くらい、分かるよな?」
「それは分かってますけど、エースの居場所は教えません」
「やっぱ知ってんじゃねえか!!」

そう言っておじさんが小脇に抱えていたナイフをチラつかせてきて、咄嗟に私はおじさんの鼻を思いっきり殴った。バキッと嫌な音がして、椅子ごとおじさんが倒れていくのがスローモーションみたいに見える。
呆然と立ち尽くす私。そして口をぽかんと開けて仰天している周りの客。すぐさま近くにいたウェイトレス仲間の1人が悲鳴を上げた。

「てめぇ!ふざけんな!」

周りの仲間たちが怒って(当たり前だ)私に掴み掛かろうとした。持っていたトレイで頭を上から叩きつけると、また1人椅子と共に倒れた。
そこでやっと厨房から慌てた店長が現れた。店長は元海賊で、今でもムキムキなのだ。変な客が来たらとりあえず店長。そうすれば解決する。いつもなら。

「ナマエちゃん!?大丈夫かい?」
「わ、わたしは…大丈夫で、す」

とりあえず奥に引っ込んでろ!と言われて私は他のウェイトレスに引っ張られる形で厨房に逃げた。


それから店長が駐在さんを呼んでいる間に賞金稼ぎの海賊狩りたちは逃げて行ったらしい。また明日も来るかもしれないからと言う理由で、私はしばらく出勤停止を喰らってしまった。申し訳ない。
みんな心配してくれていたが、完全に自分が悪い。だって先に手を出したの私だし。

いつもより早く家にいるのは落ち着かない。どうせならといつもより手の込んだ料理を作って彼を待ったが、今日に限って帰りが遅かった。
両手に大量の魚を持って帰って来た彼は、ちょっと慌てた様子だった。

「おかえり」
「おまえ、大丈夫かよ」
「え?」
「怪我は?」
「怪我?してないけど…」

なにそれ?と首を傾げると、彼は大きなため息を吐いた。

「賞金稼ぎが昼間に店に来たんだろ?帰りに店寄ったらおまえがいねぇから…他の店員に聞いたら教えてくれた」
「あぁ!そう!そうだったの!びっくりした!ちゃんと鼻殴ったよ!効いてたよ!」

殴ってるシーンを再現すると、エースはぶはっと吹き出して笑った。

「もう実践できたか」
「うん。ありがとうエース」

彼から魚を受け取ってお礼を言うと、困ったような顔をされた。

「なんでおれの居場所教えなかったんだよ。おれがそこら辺の雑魚に負ける訳ねェだろ?」
「そうかもしれないけど、…でも、やだ。教えないよ。エースのこと好きだから」
「ハッ、なんだそりゃ」

彼は呆れたように笑って席に着いた。「腹減った」と言いながらお腹が鳴っているから可愛い。


「そうだ、明日から店に出勤して大丈夫だぞ」
「え?なんで?」
「その変な奴ら、ぶっ倒してきた」
「ええ!?!」
「殺しはしてねぇけど、もうこの村に入ってくることはないから安心しろ」

だから今日はいつもより帰りが遅かったの?

「ご、ごめん」
「は?なんで謝ってんだよ」
「お手を煩わせてしまって…」
「あんな奴ら、3秒ありゃ十分だ」

ニカッと笑った彼は少し自慢気で、たまに見せる子供っぽい仕草がとても愛おしく感じる。胸がキュンと縮まる感じ。


その日の夜、私は思い切ってエースが入っているお風呂の扉をちょっとだけ開いた。
私の気配で分かったのか、声をかける前に彼が振り返って「おわあぁ!!」と叫んだ。

「何してんだてめぇは!」
「あ、あの!ごめんなさい!今日頑張ってくれたお礼に、お背中流そうかと思って…!!能力者はお風呂で力が抜けちゃうって、噂に聞いて!」
「変な所で変な気ィ使ってんじゃねぇよ!」
「うっ!他に何かお礼が思いつかなくて…」
「馬鹿か?まともにおれの裸も見れねぇくせして」

近づいてくる気配があったから私は必死で目を閉じた。本当は、このまま彼の夜のお相手をしようと思ったのだ。男の人が喜ぶ、女性にできることと言ったら真っ先に思い浮かんだ行為。
いきなりだと引かれるかなとか思ったけど、お風呂に突然現れるのも普通に引かれるよね…と今更気がついた。色々考えすぎてまともな判断ができなかったみたいだ。

「泊まらせて貰ってんだから、十分だ」
「で、でも!」
「なら一緒に風呂入るか?」
「む、無理です!!」
「だろ?」

つい本音が。
こんなことになるなら以前お付き合いした人とセックスしておくんだった。
彼は目を瞑ってその場にしゃがみ込んでいる私を軽々持ち上げ、どこに連れて行くのかと思えばリビングのソファーだった。そこに私を乗せると、またお風呂に戻ってしまった。

そっと目を開ける。もちろん彼はいない。
はぁぁ、と大きなため息を吐いて、ソファーに寝転がった。
とりあえず、明日は彼の好物だと言う激辛ペペロンチーノでも作ろう。









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