指先 | ナノ
裏切り、謀反、内応、返り忠。
三成が最も嫌うもので、俺たち豊臣が一番に憎むべきもの。
それを企む者が軍にいるのであれば排斥しなければならない。

「増田長盛の東軍内応は確実なんだな」
「はい。西軍内部の情報を徳川に送ろうと使いを出したところを我々が捕縛。使者が捕まったことを察したのか、現在三方ヶ原に向けて逃走中です」
「……長盛、お前だって秀吉さまにたくさんのご恩をいただいただろうに……」

昔馴染みだ。
三成たちと共に、若い時分から文官として行政を執り行ってきた。
そんな奴が、俺たちを裏切り東軍につこうとしている。
なぜだ、秀吉さまの恩顧に報いず、主を殺した男に傅くなど。
考えても仕方ない、長盛は俺たちを裏切った。
それならば、その罪を裁く他ないのだ。

「追討軍を出す。先鋒は行長。先に行かせておけ。このまま大坂を出すわけには行かない」
「は。同盟軍には出陣を命じないのですか?」
「……いい機会だ。同盟軍は本陣にて待機させろ。豊臣俺たちを裏切るということがどういうことか、思い知らせてやろう」
「かしこまりました」

さて、戦の準備だ。
とはいえ、増田軍相手であれば行長単体でどうにかなるだろう。
だが、三成に報告を入れ豊臣全軍を動かす。
これは見せしめだ。全力で叩き潰す。
……三成が知ったら、単騎で追いかけて殺してしまうかも。
これもまた軍律を整えるための策だと伝えて大人しくしていてもらわなければ。
今すぐ殺してやりたい気持ちはよくわかる。
鳳が差し出してきた文には、俺たちの情報の他に、真田や長曾我部、毛利軍などの内部事情も記載されていた。
よくもまあ、こんなに細かく調べたものだ。
まだ公にしていない戦略や布陣図が長盛でも入手できなかったという点は安心すべきか。

「鳳、お前も戦準備を」
「いつでも万端でございますれば」
「では、行長と共に出陣し、戦況を報告してくれ。小西軍の兵を待つより早い」
「承知いたしました」

鳳を送り出し、三成の部屋へと向かう。
苛烈な怒りを目にするだろう。
まったく…長盛も勝手をしてくれるものだ。
三成の怒りを抑えるのが誰か分かっていたろうに。
なんとなく重い足取りに苦笑いを浮かべ、廊下の先へと進んだ。

* * *

平地に築かれた本陣。
長束は忙しなく兵たちに指示を与えている。
西軍に裏切り者が出たらしい、その追討に駆り出された俺たちだが、戦闘には参加せず本陣での待機を命じられた。
石田も本陣に控えている。
ただ、その表情は鬼のようで、今すぐにでも裏切り者を斬ってやりたい、と考えていることがよく分かる。
裏切ったのは増田長盛とかいう石田たちの昔馴染み。
簡単に身上を調べてみたところ、豊臣には恩がありそうだったが。
家康の野郎に味方する益があるのか?
アイツは卑怯にも、俺が留守にした四国を襲いやがった。
石田や長束を復讐の鬼にしちまった。
こんな真っ直ぐな男たちを、だ。
絆を掲げているが、その一方で他人の絆を踏み躙る。
アイツが大切にしたい絆とやらはあくまで自分の周りのものだけで、それに反する奴らは知ったこっちゃねえってこった。
…一体、増田とやらは家康の何に惹かれて石田を裏切ったんだかな。

「正家様。行長様が増田長盛の姿を捉えました」
「ああ。分かっているな。足を奪え。馬を狙うんだ。その次に従者から痛めつけていけ」
「は」

逃げる奴から馬を奪うとは、戦の常套とはいえやられた方はたまったもんじゃねえな。
長束の顔からは、普段の柔らかさは失われ、冷酷な光を帯びている。
俺は知っている。あれは竹中半兵衛のそれだ。
何度か軍をけしかけたことがある、チラとしか目にしなかったが、確かに同じものが宿っている。
毛利と並び立つ軍師と騒がれた男。
病で倒れていなければ今頃天下は豊臣が手にしていただろう。
そんな男と同じ光を持つ男、長束正家。
他者を愛し、弱きを慈しみ、公平な法を以て民を統べる男が、残忍残忍な策を躊躇いなく発する。
…なあ、長束。あんた、本当は苦しいんじゃねえか?
あんたみてぇな男は根本からして竹中にはなれねぇ。
敵兵一人殺したことがねえあんたが、殺す命令すらかつては忌み嫌ったあんたが、拳を強く握って殺戮を命じるのは、痛みを伴うんじゃねえか。

「おい、長束…」
「長曾我部。何か気付いたことでもあったか? 俺の策に不備でも?」
「いや……痛くねえのか」

強く握りしめられた拳を両の手で拾い上げる。
そっと指を解かせれば、防具の上からでも分かるほどの深い爪傷。
ほらな、あんた、つらいんだよ。
兵の恐怖が分かるんだろ、殺したくねえんだろ。
増田はしょうがねえ、あんたに憎しみを向けられるほどのことをしたんだろうさ。
だが、従者は違う。主の命に従っただけだ。
あんたは従者の立場が長かったろう、気持ちが移っちまうんだろ。
自分の矛盾が許せねえか。殺したくねえのに立場上殺さざるを得ないのは、あんたを苦しめてるんじゃねえか。

「離せ。正家に触れることは許さん」
「…石田、あんただって分かってンだろ」
「? 何だ。正家の命は合理的だ。分かっている」
「ちげぇよ…本当にあんたらはよぅ…」

長束に触れた手が腕ごと弾かれる。
石田に視線を移せば剣呑な表情。
へぇへぇ、あんたのモンには手を出さねえよ。
それより、石田、あんたが長束の苦しみに気づいているかを知りてえんだ。
大切なんだろ、失いたくねえんだろ。
このままじゃ戦が終わった後、長束の心は壊れちまうんじゃねえのか。
そこに、あんたは気づいているか?

「…長曾我部、心配をありがとう。俺は大丈夫だ」
「…………」
「古馴染みのせいかな、少し力んでしまっていたようだ。でも、裏切り者には罰を。俺たちの為すべきことだろ。お前たちはただ見ててくれ」
「……おう」

柔和な笑みで、俺の心配を拒絶される。
長束は俺が、ただ手の傷を気遣っただけではないことに気付いている。
その上での拒絶だ。取り付く島もねえ。
そうやって誰にも触れさせねえで、アンタは一人で壊れていくつもりかい。
石田にも気づかせねえで、隠し通して、猫みてえに死んでいくのかい。
そりゃあ、ねえだろう!
アンタが石田を大切に想ってんのは見ていて分かる、すぐ分かる。
アンタが傷つくことで、石田もまた傷つくことも分かる。だから隠すんだろう。
だけどいつまでも隠し通せるものじゃねぇ。いずれ石田も知ることになる。
そのとき、石田が自分を責めるだろうことは、俺より賢いアンタなら考えればすぐ分かることだろ!
会話が足んねえんだよアンタらは。
互いが大切すぎるあまり、踏み込むことができねえ。
いや、大谷曰く、以前よりは対話が増えたらしいが、まだ足りねえ。
考えていること、相手を思っていること、未来に描いていること、全部、ぜーんぶ話さなきゃならねえ。
まったくよう、こんなに手のかかる奴らだなんて知らなかったぜ。
こりゃ、家康の野郎を殺した後に時間を作るので間に合うか? 戦前に無理にでも思いの丈すべてを話させた方がいいんじゃないか。
長束は兵への指示に戻り、俺から離れて行った。
俺も同盟軍の輪に戻ると、ジロリと毛利に睨め上げられる。

「フン、貴様も愚かよな」
「なんでぃ、顔を合わすなりそりゃねえだろ」
「何故長束が似合わぬ策を取るか、その足りぬ頭では分からぬか」
「あァ?」
「我らへの牽制よ。いわばこれは見せしめ。『自分たちを裏切れば貴様たちもこうなる』とな」
「…………」
「……聞こえてしまった故口を挟ませていただくが、長束殿は某に豊臣の兵法を手解いてくださっておりまする。それは我々を信じている何よりの証左。見せしめというのは、毛利殿の考えすぎでは」
「それなら見ているがいい。増田への罰は何も奴自身の命を奪るだけではない」
「……」

確信している様子の毛利。
真田の考えは、俺から見てもちと甘い。
俺も毛利に同意だな。
じゃなきゃ、長束があんなにも追い込まれた表情をする必要はねぇ。
俺たちは追う側だ、制裁する側だ。余裕があるはず。
にも関わらず、長束の苦しそうな表情は、その性根に似合わぬ残酷な真似を今からするからだろう。
長束の様子を見ていると、忍から増田長盛捕縛の報が入る。
直にこちらへ引きずられてくるだろう。
その報告を聞くと、伝令の忍に何かを命じて装束の袷に触れる長束。
…短刀でも仕込んでいるのか、自分自身で増田を討つつもりか?
しかし長束は不殺を貫いている。
このまま西軍の正義の象徴として歩むのならば、ここで手を汚すのは得策じゃねぇ。
しばらく本陣で待っていると、遠くから間延びした小西の声が聞こえてくる。

「おぉ〜い、捕まえたで〜。長盛や」

両手足を縄で縛られた男が本陣に投げ込まれる。
身体中に細かい傷がついているのを見るに、交戦し、小西に敗れたのだろう。

「他の兵たちは?」
「全員殺した」
「クソ…行長…正家…! お前らを許さない…この縄を解け!!」
「そうはいかない。分かるだろ、長盛。お前は俺たちを裏切った。何故だ? 秀吉さまの恩義に報いず、主を殺した家康に尻尾を振るなど、お前は猿より馬鹿なのか?」
「この情勢を見てお前たちに未来があると思う方が馬鹿なのだ! 家康殿の掲げる日ノ本を見ろ! 希望に満ち溢れている!」
「……家康についたこと、後悔していないんだな」
「ハッ! むしろ今までお前たちと同じ陣営にいたことを悔いておるわ!」
「そうか。残念だよ。鳳」

小さく溜息を吐いた長束は、緩慢に右腕を上げる。
それを合図に、忍は右手に持つ小さな何かを増田の右足に向けた。
パン、乾いた音が響く。

「ぐあああああッッ!!!」
「大友から供与された南蛮製の新しい鉄砲だ。痛いだろう?」
「ぐ………ッ! く、そが…!」
「さて、長盛。もう一度問う。なぜ俺たちを裏切った? 建前はいい、本音を聞かせろ」
「……すべてのことの始まりはお前だよ正家…!! なぜ裏切ったかって? 胸に手を当てて考えてみろよ!! 自分に裏切られた原因があるとは考えないのか!? 傲慢だなァ!!!」
「……俺が…裏切りを誘発しただと…?」
「そうだ! 秀吉様が殺された後、お前たち婆娑羅者が軍を掌握した! 俺だって秀吉様の下、功績を残してきたにも関わらず、だ! お前たち婆娑羅者が戦を掌握し、政からすら俺たちを排斥した! 婆娑羅者でもないお前の弟は重用して! 西軍軍師などと天狗にでもなったつもりだったか!?」

増田の言葉に、長束は一瞬よろめく。
それを石田が支え、黙って増田を見つめている。
長束は目に見えて動揺した。
自分の行動が裏切りのきっかけになったのかと狼狽している。
その指摘の行き着く先、それは俺でも分かる。
「家康の裏切りは、豊臣に原因があるのでは?」。
豊臣の描く未来を受け入れられなかった家康が裏切ったんじゃない。豊臣が作る日ノ本に欠陥があった。
そこまで思い至って、長束は動揺してんだ。

「俺は…ただ……戦は才ある者が担えばいいと…政だって……戦に付随するものばかりだから、俺たちが片付ければ効率がいい…はずで……」
「才ある者!? お前が!? 三成に守られてばかりのお前が戦の才に恵まれているだと!? 寝言は寝て言え! 俺たち凡人に毛が生えた程度だろう! 結局お前は、秀吉様亡き後の豊臣軍を我が物にしたかっただけだ!」
「違う…俺は…半兵衛さまが作った豊臣を守ろうと…後継者として……それだけは…!」
「後継者! 笑えてくるわ! お前が半兵衛様の後釜などと認めているのはそれこそ婆娑羅者くらい! 俺たちはお前たちが主導する豊臣を認めない! 秀吉様がお作りになろうとした豊臣は、日ノ本はこんなものではな、」
「黙れ」
「あ゛あああぁぁぁッ!!!」

長束の忍が、今度は左足に弾を放つ。
石田の視線を受けての行動だった。
本来の主たる長束の動揺を打ち払うかのような一発。
増田への罰を石田が引き継ぐように、片腕に長束を抱き男を見下ろした。

「秀吉様のご遺志を私が継いでいないと? 秀吉様のお考えを私が履き違えていると? 貴様はそう言うのだな、長盛」
「ぐ……ッ、そうだ…正家に軍師の座を与えてから何もかもが間違っていたんだ! 秀吉様はご逝去前、正家に蟄居を命じた! 徳川の戦でなあなあになっただけで、正家は罰されたままだ!」
「しかしその家康との戦に出陣する正家を秀吉様はお止めにならなかった」
「そりゃ反乱されているってのに正家一人に構ってられないだろう!」
「その反逆者に最も近く、応じる理由もあった正家の参陣を許した。秀吉様は貴様ほど愚かではない。正家が裏切るはずもないと、秀吉様は誰よりもご存知であった。故に、正家の出陣を許し、また、軍師として布陣を命じることをお認めになったのだ」
「………あの戦に…軍師として正家が立っていただと…?」
「フン、貴様程度では知る由もなかっただろうがな。良いか、これが秀吉様に認められた職権の差だ。私たちが貴様を排したのではない。秀吉様ご存命…いや、半兵衛様ご存命の頃から、貴様はすでに大局を知る立場にはなかったのだ。ただの文官の一人であったと知れ」
「………クソ…クソが…! 俺は…豊臣の重鎮………半兵衛様も俺をお認めになって…!」
「半兵衛様がお認めになったのはただ一人。私の軍師、長束正家のみだ」

石田の言葉を待って、忍が再度弾を放つ。
すでに増田は悲鳴を上げる気力もない。
土手っ腹を弾に貫かれた増田は、地べたに蹲ったまま。
石田の一連の言葉にいつもの調子を取り戻した長束が、懐から短刀を出し増田に突き出した。

「切腹の名誉を与える。これは秀吉さまから頂戴した短刀だ。せめて秀吉さまの御恩に感謝して死ね」
「………不要だ。お前に情けをかけられる恥辱をあの世に持ち込むわけにはいかない」
「……そうか」

目を伏せ、立ち上がる長束。
そして、忍に合図をすると、増田に背を向けた。
忍は無表情で手に持つ鉄砲を増田に向け、連続で発砲する。
肩、腕、手。
増田は痛みに悶え打つ。
無意味に苦痛を長く続けさせている。
…こりゃ、腹を切っても介錯はなかった、ってことか。
増田の足元に血溜まりができる。
出血量に意識も朦朧とさせ、増田は慈悲を求めた。
頭に銃口を向けられ、安心したような表情を浮かべて増田は死んだ。
額の真ん中に風穴を開けて。

「…豊臣を裏切った者には相応の罰を与える。長盛は良い手本になってくれたよ。お前たちも例外じゃない。よく見ておくんだな」

言い捨てて、長束は本陣から去っていく。
石田もその後に続き、二人の背中が遠くなる。
俺は堪らねえ気分になり、その背中に思い切り叫ぶ。

「……石田! 長束! 裏切らねえよ、俺たちはアンタらを裏切らねえ! 誰がアンタらのことを裏切れるってんだよ!」
「長曾我部殿のおっしゃる通り! 某、貴殿らと同じ目標を持つ武士もののふなり! 最後までお供いたしますれば!」
「…………」
「…正家、まさかここまで追い込まれているとはな。小生がもっと目をかけていれば…」
「若もんが傷つき、それ故に威嚇する……やはり戦の遺産は古きのオイがすべて引き受けるべきじゃ…」

俺たちの言葉が聞こえているのか、聞こえてねえのか。
二人の背中は完全に見えなくなった。
本陣に残された俺たちを、同じく本陣に残った大谷が大坂城へと導く。
同盟軍の中に、今回の長束の行動に恐れ慄く者がいるとも知らずに。

裏切らねえよ


「てててて天海様どうしよう! 正家くん、ものすごく怒ってた! 家康さんに手紙を何度も貰っていること、黙っていたら同じ目に遭うんじゃない? 僕、今からでも正家くんに謝ったほうがいいんじゃない!?」
「金吾さん、私が何度もお伝えしているでしょう。家康様に助けを求めるべきだと。そうでなければ戦場に駆り出されるんですよ。家康様ならばあなたを助けてくれるでしょう」
「でででも……東軍参加の国は少ないし………今なら三成くんたちが勝つんじゃないかな…」
「そう思いきれていないから悩んでいるんでしょう? その場になって判断するのも良いでしょう…そう…今はまだ西軍にいて、戦が始まったその時に考えるのです。東軍に協力すべきか、西軍として東軍と戦うべきか」
「でも………」
「大丈夫。私にすべてお任せください。金吾さんは何もしなくていいんですよ」
「天海様……」

「フフ………再びの地獄は私の手で開かれるんですよ…」

* * *

「正家」
「……三成」
「貴様は私の軍師だ。貴様が裏切りを呼ぶなどあり得ない。…長盛の言葉を真に受けているな」
「…………」
「先ほど言った通りだ。秀吉様はあの戦に貴様が出陣することをお認めになった。貴様もそれを承知で参陣した。そうだな」
「……ああ」
「それがすべてだ。私は貴様を疑わない。私の軍師は正家、貴様だけだ」
「うん……」
「…あのような男の言葉に心を乱されるな。貴様は私の言葉にのみ揺さぶられ、心動かされればいい。何者にも貴様の顔を翳らせる栄誉は与えない」
「……はは、俺の表情を変えることを栄誉と考える奴なんて、三成しかいないよ」
「…そうだ、貴様は笑っていろ。私の隣で花開いていればいい。貴様を枯らすすべてを私が打ち払ってみせる。私のすべてを賭けてでも」
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