「巫殿が西軍に捕えられたようだ」

俺たちを広間に集めた家康の一言目。
東軍への参加を宣言していた先見の巫女、鶴姫が捕縛されたらしい。
…まあ、それもそうだろって話だけどな。
わざわざ西軍お膝元である大坂に攻め入ったと聞いている。
良くて捕縛、悪くて斬首、の道しか残ってなかったってわけだ。

「よぉ、家康。そうなるだろうことは予想できてただろ。俺のときみてぇに本多を遣わせなかったのか？」
「わしの風魔が救援に向かっておった！　……しかし…西軍の忍どもに邪魔されたらしく…巫女殿が捕縛される報を持ち帰るのに精一杯だったようぢゃ…」

西軍の忍。
猿飛と長束ンところの忍か。
風魔といや忍の中でも頭抜けている印象だったが、さすがに二人相手では対象の救援はちとキツイか。
しかし、伊予河野みてぇな小せえ軍はそこまで考慮に入れる必要もねえと思われるが。

「ワシは巫殿の救援をしたいと思う」
「我らは反対だ、徳川。決戦を前に小規模といえど弾薬の消耗は避けたい」
「俺も孫市に同意だ。今riskを負う必要はねぇ」
「しかし巫殿は東軍に参陣しようと東上のために船を出し…」
「いやはや、その擁護は難しいと思うよ、家康君。我輩のように戦の知見があれば捕えられることは日の目を見るより明らか。真っ直ぐに三方ヶ原こちらへ向かっていれば良かったんだよ」
「しかし…」

救援を送りながらも助けられなかったことが気がかりなのか。
家康はなかなか折れない。
こうも諸将に反対されても、どうにか、と意見を通そうとする。
鶴姫を助けてぇならやることは一つだろ。
完膚なきまでの勝利。
石田を殺し、長束を捕らえ、西軍に降った各国を潰す。
そうすりゃ女一人捕縛し続けるなんて無理だ。
軍の瓦解、崩壊、これが一番簡単な救出方法。

「なに、小さな一国のことなど気にしないでくれたまえ、家康君。我輩、絶賛前田家を調略中だよ！　近いうちに東軍参加の文を渡せる！　…と思う！」
「…へェ？　あの前田を…ねぇ。最上殿は随分人の心を掴むのがお得意らしい」
「政宗君！　そういうチクチク嫌味ったらしい物言いはやめてくれたまえ！　まあ？　我輩ほど優秀な大将は？　人心掌握もお手のものというものさ！」
「…さて、ではこれで軍議は終わりだな。私は下がらせていただこう」
「いや、待ってくれ孫市！　…巫殿のことは、分かった。皆の意見を呑もうと思う。ただ、今日はこうしてせっかく集まったんだ。西軍の対策を皆に知っておいてもらいたい」

鶴姫救援を諦めたと明言した家康は、佇まいを正し、真剣な顔で語り始めた。
西軍。豊臣秀吉の遺臣たちが興した同盟軍。
古巣であれば勝手が分かることも多かろう。

「皆も知っての通り、現状、軍の規模ではワシらが負けている。しかし、あちらの出方は読めると思う」
「西軍の軍師、長束が採る軍略だな」
「ああ。考えの癖、得意な戦法、大軍の動かし方。布陣を見ればおおよそは推測出来るはずだ」
「そう構える必要はねえだろ。本多にしてやられるくらい、長束は詰めが甘い」
「独眼竜、そう正家を侮らないほうがいい。あの男は、追い詰められるほどに冴え渡る」
「…………」
「独眼竜を逃したことも自身の失策と考えているだろう。そしてワシへの憎しみ…必ずワシの首元に刃を届かせるはずだ」

…北条攻めを思い浮かべれば、たしかにあれは見事だった。
大軍を支え得る兵糧の輸送、将の配置、兵糧攻め、すべてが噛み合っていた。
万が一の北俺たちへの抑えに石田を置いたのも長束の策だろう。
みすみす罠に嵌った俺たちは、それで痛い目を見た。
……そうだな、考えを改めたほうが良さそうだ。

「正家の策だけじゃない。今は表舞台から姿を消しているが、刑部の慧眼も侮れない。この二人で策を練ってくるだろう」
「…大谷の話はあまり聞かないな。姫から調略の文について聞いたくらいだ」
「ああ。おそらく故意に潜んでいると思われる。正家に派手に立ち回らせて、裏で何か企んでいるのだろう」
「その企みをどうにかしねぇのか？」
「刑部が意図的に隠しているのであれば、ワシたちが探るのは難しいだろう。西軍の動向に注視するしかない」
「Hum……」

それなら現状できることはねえじゃねえか。
長束の採る策も布陣を見ないことには分からねえんだろ。
家康が俺たちを集めた意図が読み取れずに首を傾げる。
軍議の場だと思っていたんだが、要領を得ねえ家康に言葉を投げかけようと口を開きかけたところに邪魔が入った。

「それでは、わしらは戦が始まるまでどうしていればいいんぢゃ？」
「…そうだな、まずは対西軍の戦略を徳川で立てる。それに合わせて兵の修練を進めてもらいたい」
「それは構わないよ。だが、西軍は鶴姫君との戦で実践形式の確認を終えている。我輩たちは遅れをとっているんじゃないかな？」
「だが…ワシたちは絆を重んじる。他国を力尽くで屈服させるなど……」
「おい、家康。そんな甘いことを言ってて勝てる戦なのか？　お前が見てきた石田や長束は、それほど弱い男だったのか？」
「………いや…」
「最終的に俺たちは豊臣を滅ぼす。殺し合うことには変わりねぇんだ。豊臣遺臣の…加藤と福島だったか？　あいつらもここを目指す道中殺されてる。長束は未だ自分の手を汚していねえが、覚悟はお前より固まってるように見えるぜ」

そうか。
家康はまだ迷っている。
かつて仲間だった男たち。
そこに確かに思い出はあった。
絆だなんだと掲げる理想が足を引っ張り、石田や長束を殺す覚悟を固められていない。
それに対して、石田はもちろん、長束も決意を固めている。
主を殺した仇に復讐を。
アイツらのほうが余程分かりやすい。
日ノ本をほぼ統一していた豊臣、それを邪魔した徳川。
弔い合戦だとしたら、これほど分かりやすい戦はないだろう。
だが、徳川はどうだ。
豊臣の掲げる未来を否定して反旗を翻し、絆で日ノ本を統一するという目標を掲げてはいるものの、そのvisionは民すべてに至るまで浸透しているわけではない。
豊臣領の民たちは、石田や長束を崇めているという。
飢饉が起きれば税を軽くするだけでなく貯蓄米を配り、賊が出れば率先してそれを破る。
さすが吏僚として働いてきただけある、民の心の掴み方は心得ているらしい。
そう、俺たちには国の、将の、民の心を掴む方向性が固まっていない。
……虎が揃って迷走中とは、見ていられねぇな。

「家康、俺たちは豊臣を、石田を殺す。間違いねえな」
「……ああ」
「豊臣を否定し、新たな日ノ本を、絆で結ばれた国を作る。そうだな？」
「ああ」
「それなら大将のアンタが悩むな。惑うな。石田は殺す。長束も殺す。大谷も小西も残さず殺す。…西軍諸将はアンタの判断に任せるが…抵抗するなら迷わず潰す。アンタはその覚悟を固める必要がある」
「……はは…覚悟など…とうに決めたつもりだったんだが…」
「家康。東軍総大将に問う。アンタは、石田を殺せるな？」

この場に集った東軍諸将を代表して投げかける。
お前は、かつての友を殺せるか？
俺の問いに、家康は微笑んだ。
あまりに柔らかな微笑みだ、思わぬ怖気に鳥肌が立つ。
それは「殺せるさ」と肯定するようで、「殺すしかないだろう」と諦めるようなもので。
俺の詰問に不釣り合いな笑みで、家康はすべてを含み持ってしまう。
言葉での回答はない。
ただ、口角だけ上げられたその表情で、俺たちは全員黙り込むしかなかった。

「ワシは豊臣のやり方を否定した。独眼竜の指摘の通りだ。ワシは力無き民も、盾となり剣となるべき武士も皆、絆で手を取り合う世界を創りたい。そのために戦を起こす。皆の認識の通りだ」
「…………」
「必ず、平和な世を創る。永劫と続く安らかな世をワシの手で形作る。力で押さえ付けるような世界は息苦しい。だからこそ、豊臣を滅ぼすのだ」
「……そうぢゃ！　豊臣のやり方は気に食わん！　徳川殿の目指す世は生きやすい！　わしは賛成ぢゃ！」
「……フン。俺は石田との決着をつけられりゃ何でもいい」
「我らは契約を果たすのみ」
「我輩はどうしても豊臣が苦手でね…家康君とであればいろいろとやりやすい。全力を尽くすよ」

決定的な一言は発さずに、家康は行く末を語る騙る。
かつての同胞だろうと躊躇いなく殺しにかかる西軍。
明確に敵対しても、「殺す」の一言も言えねえ家康。
それでも、勝ちの目は俺たちにある。
先ほどの家康の微笑み、それがそんな確信を抱かせる。
痛々しいまでの葛藤、しかしそうせざるを得ない、自ら選んだ道。
家康は、元同僚の屍を踏み越える覚悟は固まっていない。
それでも、自分の信念を貫く強さは持っていた。
その信念のためならば、たとえ気持ちが固まっていなくとも相手を殺す。
…危ういな。
豊臣を滅ぼした先、アンタの心はどうなる？
民すべての笑顔を望む、アンタは笑えているのか？
……まあ、俺には関係のねえことか。
石田との決着をつけられればいい。
俺と家康は対等の同盟国。
なにかあったら尻ぐらいは拭ってやるよ。

「じゃ、対西軍の戦略を頼んだぜ、家康」
「ああ。……感謝する、独眼竜」
「Ha!　感謝されるようなことはしてねえよ」
「軍議はお開きだね！　では吾輩は日課の玄米茶の時間としよう」

諸将が広間を後にする。
俺も割り当てられた部屋へと戻る。
一人残された家康の独白など、誰も知ることがなかった。



「…忠勝、独眼竜の問いは厳しかったなあ」
「…………」
「…三成…正家……、あんなに想い合う二人を、ワシは殺そうとしている」
「………！」
「ああ、もちろん躊躇いなどないさ。自分で決めたことだ。……だが、なあ」
「…………」
「巫殿からの文をお前も見たろう。三成も正家も……変わらないんだ。あの時のまま……ワシの知る二人のままなんだ……」
「…………」
「秀吉を失い…復讐に駆られ……ああ、三成はたしかにワシへの復讐に染まってしまったと言えようが…雑賀荘での戦いを覚えているか？　三成は必死に正家を守ろうとしていた。……根本は何一つ変わっていないんだよ」
「……………」
「そしてそんな三成に、どんな手を使ってでも勝利を掴ませようとしている正家。……迷いはない。ワシにそんなものは許されない。……少しでも二人が変わっていれくれれば、なんて。甘えだよな」
「………！」
「はは、悪いな、忠勝。こんな弱音を聞かせてしまって。さて、鍛錬でもして汗をかくか！　相手を頼む！」
「…！！」