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「あーっはっはっは!! お、おかし、ヒヒッ、はははは!!!」

広間に正家の笑い声が響く。
あれがこうも笑うのはいつぶりだったか。
腹を抱え身を捩り、たまらないという様子で笑い声を上げる。
広間に集められた各国の将たちの反応は様々だ。
正家のように笑う長曾我部と島津、官兵衛馬鹿
困ったように私たちを見ている真田と金吾。
表情を崩さない毛利。
事の発端は刑部の元に届いた一通の書状。
長く調略を試みていた先見の巫女から届いたものだった。
内容は大坂に向かうというもの。
西軍降下のためかと思われたが、読み進めていくとそうではないことが分かった。

「あ、あんなに『おなごの扱いはわれに任せよ』なんて自信満々に言ってたのに、ふひっ、ふ、フラれてやんの!」
「童貞のぬしに言われたくないわ」
「ど、…真田だってそうだよなあ!!」
「そ、某は…そ、その…破廉恥でござる!!」
「ククッ…『大谷さんの嘘吐き! 孫市姉様にすべてお聞きしたんですから! 私を騙していたんですね! 怒りました! 大谷さんには必ずお仕置きをしますからね』!」
「やれ、誦んずるな」
「上手におべっかを使っていればいいのに、盛りすぎなんだよ!」
「………」

刑部が美辞麗句を並べ、巫を思い通りにすることを試みたようだが失敗したらしい。
巫は東軍へ向かむべく船を東に舵取り、その道すがら大坂を攻めると宣戦布告してきた。
苦い顔をしてそれを私たちの元に持ち寄ってきた刑部の表情はいまだに覚えている。
文を読んでいの一番に笑い声を上げた正家が事前に想像できていたらしい。
一国程度といえど、私たちの本拠である大坂を襲撃すると文を送ってきたのだ。こうして将を集め、対応を協議しようとしているというのに。

「正家」
「ひー…、怒らないでくれよ三成…だ、だって、情けなさすぎる! 時間をかけてこの結果って…」
「話が進まぬ。笑うのはそこまでにしておけ」
「ふふ…はーい」

正家は力の抜けた笑みを浮かべたまま姿勢を正した。
…まだ笑いを堪えているのだろう、肩が震えている。
静かにしていればいい、貴様が笑えているのならばそれが最優先だ。
改めて将たちに視線を向けると、場の向きが変わったことに気づいたらしい、全員真剣な表情へと変わった。

「伊予河野への対応について私の意見を述べる。有用な先見の能力を持つといえど、宣戦布告をしてきたのならば豊臣は全力で滅ぼすのみだ。それでいいな、正家」
「ああ、異論はないよ」
「おぅ、石田。鶴の字は大坂を攻める意味も分かってねえ。見逃せとは言わねえが殺すのは避けてもらえねえか」
「ではどうする? 捕らえて牢にでも繋ぐか? 無駄に食糧を与えてやる考えはない。情報が漏れる懸念もある。殺す以外ないだろう」
「俺が見張っておく。無駄な殺生は避けるべきだろ」
「フン。やはり貴様は脳が足りぬな、長曾我部。我は討つべきと具申しよう。あの能力はいずれ新たな争いを呼ぶ。何より、我が安芸の近くに敵を置きたくはない」

毛利が賛同し、刑部が視界の隅で頷いてみせた。
他の者から意見は上がらない。
巫を生かしたいという長曾我部を力尽くで納得させるのも良いが、半兵衛様はそのようなやり方を好まなかった。
戦は全軍一致した認識を持つべきだと教えを賜った。
説得してみせよ、と正家に視線を送ると、得意げに微笑みを返される。

「長曾我部」
「…おう」
「お前の考えは分かった。吉継への文を見るだけでも、巫女殿は戦というものを知らないと分かる。それでいきなり命を奪うのはたしかに乱暴だ。そこで、一度捕らえて東軍への降下を見直さないか提案するのはどうだ。お前も説得に回ってくれ」
「…! ありがてぇ! そうだ、アイツに戦なんて分かりゃしねえ! ずっと社の中にいたんだ、それが戦だなんだと担ぎ上げられて…礼を言うぜ、長束!」
「三成もそれでいい?」
「…良かろう。猶予を与えてやったにもかかわらず東軍参陣の意思が変わらない場合は私手ずから斬首する。長曾我部もそれは呑んでもらう」
「おうよ! 俺に任せてくれ!」

正家の案で決議を取り、全員の同意を得る。
そうだ、こうして私たちは一つの軍となる。
他国も腹の内にそれぞれ抱えていようが、今はそれでいい。
豊臣が世を統べた後になって何を言おうとも後の祭り。
秀吉様がお示しになった通り、日ノ本一丸となって覇を世界に広げる。
今は家康との戦の前に分裂を避けるべき時期だ。
それは私も分かっている、況や正家が把握していないわけがない。
だからこその融和策であり、正家の柔らかさなのだ。

「では私は行く。皆、戦の準備を整えよ。正家、布陣は貴様に一任する」
「ああ、承知した」

視線が交わり、熱が伝わる。
これほどの大軍を動かした経験は正家にもない。
いろいろと戦術が湧くのだろう、正家は微笑んでいる。
それに一つ頷きを返し、広間を後にした。

* * *

「伊予河野軍、大坂湾に接岸しました! 直にこちらまで進軍してくると思われます!」
「よし。では手筈通りに。各軍に伝令を放て!」
「はっ!」

先見の巫女殿は思い立ったら吉日、といった性格のようだ。
文が届いてからわずか二週間ばかりで攻め込んできた。
しかしこちらもただ手をあぐねていたわけではない。
迎え撃つ準備は万端だ。
説得を申し出た長曾我部を先鋒に、各軍を配置している。
俺が守る本陣前まで至るには六つの国の将を倒す必要がある。
まさかおなごである巫女殿に成し遂げられるはずもない。
俺が接敵することはないだろう。
長曾我部にあっという間に説得される可能性すらある。
大友の支援でこちらは鉄砲も兵も潤沢だ。
東軍との戦の前に良い練習ができるというもの。
伊予河野がここで降下しようがしまいが構わない程度には一つの軍として整っていると言えよう。
むしろ、扱いに難儀することが予想される巫女殿はここで倒してしまった方が俺としてはありがたい。

「長曾我部軍、鶴姫と相見えました! 武器は交えていない様子!」
「うん…やはり武器を持たずに真っ直ぐ行ったか、長曾我部…。馬鹿正直というか、なんというか」

腕を組み、最後に話した長曾我部の様子を思い返す。
巫女殿とは旧知の仲らしい、必ず我々豊臣と取り持ってみせると張り切っていた。
奸計を巡らせることが苦手…というか、頭にもない男だ。カラッとしていて気持ちがいいとも言える。
そんな男に手を伸ばされて、跳ね除けることが果たしてあの乙女にできるだろうか?
直接接したことはないが、文を見るだけでも夢見る少女ということが伺えるおなご。
さらには世間知らずときた。
巫女殿が西軍に降下したならばどうしようか。
先見の能力で東軍の布陣図でも描き起こしてもらおうか。
いや、そこまで精緻な能力なのか分からない。いつ東軍とぶつかるか分かるだけでもありがたいか。
できる限りの予知をさせ、あとは官兵衛あたりにでも押し付けるのが良さそうだ。
ああ見えて官兵衛は面倒見がいい方だし、頼られて無碍にできる性ではない。

「正家様! 鶴姫、逃走! 長曾我部の陣からするりと逃げ出しました!!」
「…うん? 長曾我部もそれなりの人数を連れていただろう、そこを、逃走?」
「は、はい…信じ難いですが、ひゅーんと…」
「ひゅーんと……」

四国防衛の人員を残し、すべての兵を連れてきたと長曾我部は言っていたはず。
今回、本戦の準備として、動かせる全軍を動員した。
長曾我部軍は少女が逃げ果せるほど寡兵ではない。

「鶴姫はやはり兵を引き連れていたのか?」
「いえ、単騎です」
「―――」

絶句してしまう。
長曾我部軍は海賊と表現しても良いくらい荒くれ者が集う軍だ。
単騎で…いや、どこかで情報が捻じ曲がったんじゃないか?
長曾我部から直接報告を上げさせるよう命じ、返答を待つ。

「正家様! 長曾我部からの言伝です!」
「! 待ってたぞ! なにかの間違いだったんだよな? 単騎であの大軍から逃げるなど…」
「『悪ィ長束! 逃げられちまった! あいつ、全然話を聞きやしねぇ!』…とのことです」
「…………」

本当に長曾我部の包囲から抜け出したのか。
いや、だがこんな奇跡は二度も起こるまい。
後詰に真田を配置している。
真田は俊敏な男だ、まさかおなご一人すら捕えられないことはない…はずだ。
いや、おなご相手だからこそ、触れられずに逃す可能性もあるが…そこは猿飛が援護するだろう。
優秀な忍だ、心配していない。
それに真田には豊臣の兵法を授けてある。
まだ半分にも満たない知識ではあるが、戦に関する勘はいい、うまく活用すると信じている。
とにかく、巫女殿はここで捕えなければならない。
全軍動員して少女一人捕まえられなかったと世に広まれば、寝返りや東軍への降下を誘発してしまう。

「真田軍、鶴姫とぶつかりました! 真田殿はすでに槍を構えています! また、猿飛が影に潜み様子を伺っております!」
「よし、今のところはいいな。長曾我部は下手に説得しようとして油断したに違いない」

真田が戦意を高く維持し、猿飛もまた真田の支援にまわっているのならば安心だ。
長曾我部の説得に応じなかったのだ、巫女殿にはここで消えてもらう他ない。
真田軍の陣へ、倒したら三成の本陣まで引き連れるよう使いを送り、戻りを待つ。
しばらく待つも、忍は戻らない。
手前味噌だが、俺の忍隊は仕事が早く、伝令に対する返答も即座に持ち帰ってくるのだが。
鳳に様子を見に行かせようかとしたところに突如現れた使い。

「正家様!」
「戻ったか! 真田は巫女殿を連れてこちらに向かってる?」
「いえ…その…鶴姫逃走! 真田の陣より離脱いたしました!」
「…? ………大の男が三人がかりで何をしている? 猿飛に報告に来るよう伝えろ」
「はいはーい、命じられる前に参上ってね。いやあ、俺様がいながら情けないよほんと」

足元の影からぬるりと姿を見せた猿飛は、苦笑いを浮かべている。
決まりが悪そうに頬を掻くと、鳳から顔を逸らして口を開く。

「そのぉ…ばびゅーんとね…何なんだろうあの子…気がついたら大将の間合いからも俺様が追える範囲からも飛び出して行っちゃってさぁ…」
「おなご相手だからと油断したのか? 正直猿飛、お前ほどの忍がこのような失態を見せるとは思わなかった」
「それは俺様も! だから訳がわからないんだってあの子! いつの間にか目の前から消えて空跳んでるんだもの! 忍ですら例外はいるけど使い魔を使ってようやく空飛ぶのよ? 人間の動きじゃないって!」
「………現人神、なわけないよなあ…長曾我部はともかく、猿飛が撒かれるなら何かあると思うんだけど…」

忍の優秀さは鳳で知っている、同等の実力を持つ猿飛が捕えられないほどの機動力。
何か秘密があるのだと思われるが、今の状態では情報が少ない。
真田軍の後には島津が控えているが、島津は力押しが得意で素早い動きは不得手だ。
おそらく島津軍も突破されるだろう。
その後ろの官兵衛、毛利にも期待できない。
官兵衛は島津と同類だし、毛利は今回の戦に兵を動員しただけで本気ではない。
豊臣本隊とぶつかるのも時間の問題だ。
さすがに吉継、行長は全力で鶴姫を止めにかかるだろう。
同じ内容が長束忍隊を通して二人にも報告されている。
今回の事態を引き起こした吉継はもちろん、普段はへらへらしている行長も今回は真面目に事に当たっているんだ、俺の元まで来ることはない…と思いたい。
まあ、俺の元に来れば、忍隊総動員で捕まえるのみだ。
普段東軍を監視させている分隊長も呼び戻してある。
手筈は整っている。
…それなのにこの胸騒ぎはなんだ?

「じゃ、俺様、陣に戻るね。頑張ってくれよ、軍師殿」
「敵を逃しておいて正家様に馴れ馴れしい口を聞くな!」
「おー怖。なーんでうちのくのいちたちはこんなのばっかなんだか」

ぼやきながら猿飛は戻って行った。
その後も続々と届く「鶴姫逃走」の報。
友軍最後尾の毛利が突破され、とうとう豊臣本隊が鶴姫と相対する。
まずは行長。
行長は戦上手だ、口もよく回るからあの少女とは相性がいい。

「行長様、接敵!」
「…」
「鶴姫、初めて武器を構えました! 弓矢です! 行長様と交戦しております! 逃走の前兆は伺えません!」
「よし! さすが行長、うまいことやったな」

ここまで何度も逃走の様子を見てきたんだ、忍を通してうまく情報をやり取りした甲斐があった。
鶴姫の逃走はなんてことない、異常なほどの跳躍力が成せるものだった。
脚の筋肉が発達しているのだろうか、高く跳び上がって陣形を組む兵たちを飛び越えて行ってしまうのだ。
長曾我部が言うように閉じこもっていただけの少女には思えない。
俺が守る本陣前まで鶴姫が迫った場合の対処を鳳と話していると、小西軍の甲冑を着た兵が陣へ駆け寄ってきた。

「長束様! 鶴姫捕縛! 行長様が鶴姫を捕縛いたしました!」
「! よし! よくやった!! 鳳、俺たちは先に本陣へ行こう。三成の判断を仰ぐんだ」
「承知いたしました」

まあ、処刑しかないだろうけど。
うら若き乙女が大軍の面前で首を落とされるのは残酷に見えるかもしれない。
しかし、自身の助命を嘆願した長曾我部の説得に応じなかったのだ。
自分の運命を他でもない自分で選んだ。
文句を言われようと、自分を恨んでもらうしかない。

「三成!」
「正家。行長の兵から報告は聞いた」
「うん。もう少しでここに鶴姫を引き連れてくるはずだ」

馬から降り、三成に駆け寄る。
三成は俺の体に傷がないことを確認し、一つ頷く。
二人でしばらく待っていると、行長がへらへら顔で縛り上げた巫女殿を連れ本陣へと足を踏み入れた。
…鶴姫、吉継を苦労させた巫女殿。
尼削ぎの髪、巫女装束に身を包んだ少女は、不服を顔いっぱいに表現していた。

「正家三成鶴姫サン捕まえてきたでー」
「よくやったよ、行長。すばしっこかったんだろう?」
「おーおー、そりゃもう素早くてなあ…長曾我部たちの報告がなければ捕まえられんかったわ」
「私! 大谷さんのお説教に来たんです! どうして縛られないといけないんですか!?」
「その吉継なら…ああ、ほら、来た来た」

鶴姫捕縛の報を受けて、各所に陣した将たちが本陣に集い来る。
その中にはもちろん、行長の陣近くに布陣していた吉継もいるわけで。
素知らぬ顔で巫女殿の横を通り抜けると、三成の隣にふよふよと浮いている。

「大谷さん! 私に言った嘘を謝ってください!」
「はてなあ、嘘とは一体なんのことやら。われには全く身に覚えのないことよ、不可思議な」
「可憐だとか素晴らしいだとか、そういうことです! 謝罪を聞くまで私、許さないんですから!」
「そうはいってもなあ、鶴姫殿。君は一線を超えてしまったよ。宣戦布告に大坂への進軍…どれを取っても打首一択だ」
「…打首? 私、殺されるんですか?」
「長曾我部の説得にも応じなかったろう。そういうことになるね」
「海賊さんは…だって! 私が大谷さんに謝ってもらわないと! って言ってもへらへらへらへら、お前のために俺の手を取れだとか、俺が助けてやるだとか、私そんな話してるわけじゃないのに!」
「俺たちはずーっと、戦の話をしていたよ。君だけだよ、吉継にお説教だの、次元の低い話をしていたのは」
「次元が低いだなんて! 許せません! 長束さんですよね、私は大谷さんに嘘をつかれたんです! 謝ってもらうのは当然です!」
「だから、俺たちは戦の話をしているんだって…」

話が通じない。
つまり彼女は、大坂に向けて軍を動かす意味も知らず、吉継にただ一言謝罪してもらいたい一心で宣戦布告をしてきたというわけだ。
戦のいろはも知らない少女だ。
一生監視の元生かしてやりたい気持ちがないわけでもないが、毛利のいうとおり、先見の能力がまた新たな戦を呼ぶ可能性もある。
それを考えると、今ここで殺してやった方が彼女にとってもいいのかもしれない。
自らが戦の原因になるだなんて、この無垢な少女には耐えられないだろう。
いや、先見能力があるならば、自身の未来も見通しているのだろうか?
それであれば、今この状況が読めないほど愚かでもないだろうが。

「ハァ…ハァ…ギリギリ間に合ったぜ…! なあ、石田! 長束! やっぱり鶴の字は助けてやってくれないか! こいつ、ずっと大谷に謝らせるだのなんだの言ってるだろ! 今回の行動の意味もわかってねぇんだ! 許してやってくれ!」
「…それは…」
「ならん。この女はここで殺す。豊臣に弓引く意味をその身で知る必要があるだろう」
「石田…!」
「私がこの手で首を断ってやる。苦しみは一切ない」

ここまでずっと黙っていた三成が、愛刀を片手に一歩踏み出した。
吉継は相も変わらず涼しい顔だ。
自分の行いで少女の命が一つ消えようとしているのに、…なんて思えるほど、俺も清らかではない。
三成の言う通り。この少女は、訳を知らないまま大罪を犯した。
その命を以て償うのが道理というものだろう。
真田、島津、官兵衛たちも本陣に集まってきた。
皆に見守られながら、鶴姫の処刑が行われようとしていた。

「…宵闇の羽の方…! 私を助けてくれますよね? 今もどこかで見ているんですよね?」
「…? 鳳、周辺に敵影は?」
「報告すべきことはございません。本多忠勝も三方ヶ原から動いておりません」
「そうか。そういうことだ。鶴姫殿。諦めてくれ」
「……打首だなんて…酷すぎます! 孫市姉様が黙っていません!」
「そうか、それなら雑賀ごと滅ぼすのみだ」
「…………! …長束さん、あなた、死んでしまいます。今見えました。あなたは家康さんと戦って死んでしまうんです」
「見え透いた命乞いを…」
「…. 正家が…死ぬ、だと…? 巫! 貴様、余程死にたいようだな! 盲言を吐くな!」
「嘘じゃありません! 家康さんと対峙している長束さんが見えます! そして…倒れて…そのまま…」
「許さない! そのような偽り、たとえ幻惑であろうと許さない! ……だがッ! 本当に起こり得るのならば…先見で掴んだ未来なのだとしたら…私はそれを何としてでも避けねばならない…!」
「三成!」

一喝しても三成は止まらない。
地に伏せられた巫女殿の前に跪き、その肩を強く掴む。

「痛ッ」
「巫! 詳細に語れ! 正家はどのように死ぬ? どうすれば正家の死を避けられる!?」
「み、見えた限りですけど…家康さんと戦って、なにかに振り返ったところを攻撃されて…それが致命傷になるみたいです…」
「なぜ戦いの最中によそ見をするような真似を? 仔細を語れと命じただろう!」
「ちらっと見えただけなんです! いつ、何が見えるのかは私も自在にできなくて…」
「三成、命乞いだ。俺の死を餌に永らえようとしているだけだ。首を断て」
「正家! 私は貴様の死について話している! なぜ狼狽しない? 誰でもない貴様が死ぬ未来なのだ!」
「……三成。舐めてもらっちゃ困るよ。俺も武人の端くれ。死ぬことは怖くない。それが戦場での出来事なら尚更だ。武人の誉れだろ」
「私と永遠に生きると言った!」
「………」
「ならば途上で死ぬなどあり得ないことだ! 貴様が全力で避けるべきことだ! それが、誉れだと? そんなもののために貴様は私を置いて逝くのか?」
「……そりゃ、俺だって三成と生きられるのならそっちを選びたいよ。でも俺たちの勝利は何より家康を殺すことだ」
「家康は私が殺す! 貴様は軍師、私の横で見ていればいい! 貴様自ら相手取る必要はない!」
「ああもう、堂々巡りだ。その話は後で二人でするとして、まずは鶴姫の処断を…」
「長曾我部のもとで監禁だ! 牢に繋げ! そして正家の未来を見ることに注力させろ! いいな、長曾我部!」
「お、おうよ。……ありがとな、石田。鶴の字を殺さないでいてくれてよぅ…」
「正家のためだ! そのおなごのためではない!」
「それでも、だよ」

憤慨したまま大坂城へと戻る三成の背を見送る。
長曾我部は、縛られたまま地に伏せられている巫女殿を助け起こし、自軍へと連れて行った。
……三成の後を追わなければならないのに、足が重い。
俺の死を忌避しようとした三成。
豊臣への贖罪よりも俺の死の回避を優先した。
それは喜ぶべきことではない。
三成の、大将としての器に対する疑義を、各国の将に植え付けたに違いない。
どんな犠牲を払おうと、どれだけ血水を流そうとも、成し遂げるべきは家康の討ち取り。
俺一人の生死など、犠牲のうちにも入らないのだ。
…分かる、分かるよ。三成はもう何一つとして失うことはできない。
すでに秀吉さま、半兵衛さまを失っている。
これ以上失ってしまったら、三成は壊れてしまう。
それでも、将たちの前で、三成は俺の命一つ、笑って捨てなければならなかったのだ。
本音と建前ってものがあるだろう。
俺の死を願わないのは分かっている、知っているから、言葉だけでも「そんなもの」と笑い飛ばさなければならなかったのだ。
三成が勝利よりも俺の命を優先すること。
そんなこと、俺が望んでもいないことを三成は知っている。理解している。
それでも三成は嘘を吐けない。その心が清廉だから。真っ直ぐだから。
俺が一瞬本気で怒ったことも、三成は分かっているはずだ。
死を恐れて歩みを止めるとでも? 我が身可愛さで戦場から逃げるとでも?
そんなわけないだろう。俺は西軍の、三成の軍師だ。
戦場に立ってこそ、輝くというものだ。
俺が先頭に立って士気を上げなければならない。
そんな誇りを、踏みにじられた気分だった。
もちろん、三成にそんなつもりはない。
分かってる、分かってるんだ。
それでも儘ならなくて、だからこんなにももどかしい。

「………三成」

三成の背を追って声を掛ける。
俺の声に立ち止まった三成は、振り返らずに言葉を紡ぐ。

「私は認めない。貴様の死など許しはしない」
「分かってる。でも、あの場では俺の死など吐き捨てるべきだった」
「本心ではない! 正家、貴様、私に皆の前で嘘を吐くべきだったと、そう言うのか!?」
「そうだ。大将たるもの、時には本心でないことも宣言しなければならない。少なくとも秀吉さまはそういう方だった」
「私は秀吉様に及びはしないッ! 私はもう、失うわけにはいかないのだ…!」
「……三成。俺も、吉継も、行長も。三成のためなら死ねるんだよ。むしろ、三成のために死ななければならない。俺たちと三成の立場はこうも違うんだよ」
「知らぬ、関係ない…っ、私は何も失わない! 何一つとして取り零さない…!」

怒りで震える背に、そっと手を添える。
三成は背を向け、俯いたままだ。
俺がなんと言おうと、三成はこの理念を曲げないだろう。
俺たち誰一人を失わない、そして家康に勝利する。
戦場で「必ず」はない。どれだけ難しいことか分かっているのだろうか。
三成の理想を形にするのは俺の仕事。
だから、誰も死なせない、それを成すべき戦略を練らねばならない。

「……三成」
「………」
「どうにか誰も死なない戦法を立ててみせるよ。だからそう怒らないで」
「貴様が己の死すら駒にしようとしたッ!」
「仕方がないだろ、俺は軍師だ。自分のことも駒にするよ」
「私の唯一を、貴様は容易に捨てようとした…!」
「忘れないで。三成の唯一は秀吉さまだろ」
「私は…! 貴様を…!」
「ごめんごめん、もう許してよ。自分のことも大切にするから。最後の手段にするからさ」
「貴様は私の心を理解していない……ッ!」
「ごめん」

ぽんぽんとあやすように背中を軽く叩くと、ようやく三成の瞳と目が合う。
恨めしげに俺を睨み、ふつふつと怒りを煮え滾らせている。
その目元にそっと指を添え、目尻をなぞると三成はようやく目元を緩めた。

「貴様は私と共に生きるのだ…死ぬことなど許さない」
「うん。家康を殺して三成と共に生きる。俺の目標だよ」
「その先の景色を見せてくれるのだろう。死んでいる暇などない」
「分かってる。意地悪言ってごめんな」
「………分かれば良い。二度と貴様の死など想像させるな。貴様は死なない。私の隣に永遠侍るのだから」
「うん、そうだな。家康と戦おうとも、死ぬ前に三成に助けを求めるよ」
「…そうだ、貴様はそのように生きろ。私と…永劫に…」

きつく抱きしめられて腕の中で目を瞑る。
…まあ、東軍に下る一国を手中に入れたと思えば上手くいったと言えよう。
あとは、三成の大将としての器を、改めて諸将に見せつけなければならないな。
抱きしめ返して、三成が落ち着くのを待つ。
ああ、鶴姫、巫女殿。君は大きな嵐を呼び込んだよ。

真に無垢なる目


「石田殿は長束殿を大事にされているのだな」
「ありゃあ執着ってなモンじゃねえか? ま、周囲の人間を大事にすることは大切だよな」
「三成どんは情に厚か男ね! 友を失いたくない気持ちはよぉく分かる!」
「三成は昔から正家のことが好きだったからなァ…小生もまさかあそこまで拗らせているとは思わなんだが」
「フン……情だなんだとくだらない。だから主を失うのだ」
「ぼ、僕は…二人が仲良しなのは、いいことだと思うけど…」

正家の予想と異なり、諸将は三成の「仲間を思いやる姿勢」に感服を受けていた。
それは二人の知らぬこと。
西軍は、一つの軍として想定外にも上手く回っている。
それが、後の大戦の結果に、大きな影響を与えることなど誰も知らない。
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