指先 | ナノ
風来坊と別れて数刻、春日山城城下町に到着した。
国主の様子とは異なり、町は賑わっている。
良い統治をなさっているのだろう、民は活き活きとした様子。
自然と大坂城下の者たちが思い浮かび、たった数週間離れただけなのに大坂の民たちが恋しい。
秀吉さまを失った俺たちを、いまだに主と慕ってくれる民たち。
視察のため町に降りれば気遣わしげに声をかけてくれる者、皆で食べてくれと野菜を差し出してくれる者。
皆を守るためにも負けるわけにはいかない、軍神には中立を貫いてもらわねば。
先触れはすでに出している。
今日伺うことは伝わっているはず。

「待て。お前は何者だ」
「豊臣軍の長束正家と申す者。上杉殿にお会いしたく、文も出していたのだが」
「…ああ、謙信様から聞いている。こちらだ」
「案内感謝申し上げる」
「…貴様が長束ということは…後ろに控えるのが鳳、か」
「? ああ、俺の補佐をしてくれている忍の鳳だ。なんだ? お前たち、知り合いか?」

門前に露出の高い格好のくのいちが控えていて、名を問われる。
答えれば、しっかりと伝わっていたらしい、城内に招かれた。
後ろをついて行けば、くのいちがこちらを振り返り、俺の背後を歩く鳳に視線を遣る。
問いに頷けば、くのいちは表情を緩めた。

「同じ里の出だ。頑なに名をつけようとせず、何と呼べば良いかいつも困ったものだ。鳳、変わりないか?」
「ああ、かすが。私はあなたと同じで良い主に恵まれた。元気にやっている」
「そのようだな。名を呼ばれ応じる様子を見れば分かる。…その話があったから謙信様がお会いくださるきっかけにもなったんだからな! 長束、お前はこれからも良い主であるよう心がけろ!」
「もちろんだよ、鳳にはいつも助けられているから。待遇改善にも日々取り組んでいる」

どうやら、くのいち――かすがというのか――の助け舟もあって、今回の会合が設けられたようだ。
下心があって鳳を重用してきたわけではないが、上手い具合に転がったらしい。
応接間らしき部屋の前で、くのいちは跪くと中に声をかける。

「謙信様。豊臣の長束をお連れしました」
「はいりなさい」

中から招かれ、くのいちが襖を開く。
上座に座すのは軍神その人。
中性的な容姿、細い線の体、その裏苛烈な戦運び。
…あくまで俺は賓客で、戴くべき将ではない、という扱い。
上杉と豊臣は同格であり、降る意思はないという分かりやすい表現。
それを指摘せず、下座に敷かれた座布団に腰掛ける。
三成に知られたら、それこそ烈火の如く怒り出しそうな扱いだ。
だが、これでいい。
俺たちは上杉に中立維持を頼む立場。
西軍参加を取り付けられれば上々だけど、この様子では難しそうだ。

「にしのこうみょう、あなたはなにようでこちらへ?」
「光明…いえ、そんな、畏れ多いです。上杉軍にはぜひ、このまま中立を保っていただきたい、とお願いに参りました」
「…ちゅうりつでよいのですか? あなたたちならば、むりやりにでもせいぐんへのさんかをしいることもできるでしょう」
「真田からあなたの様子を聞き及んでおりました。甲斐の虎が病に伏せてから、お元気がないと。戦も、積極的に参加なさるご意思はお持ちでないでしょう」

西の光明。
まさか軍神にそのように喩えられるとは思わず面食らいつつも、用件を述べる。
もちろん、上杉が北から、俺たちが西から徳川を挟撃できれば理想的だが、強欲すぎるだろう。
越後の上杉、加賀の前田が動かないだけでも俺たちとしては助かる。
吉継曰く、前田は織田という主を失って以来、戦に参加していないという話だし、懸念があるとしたら上杉のみだった。
今日上杉に中立の約束を取り付けられれば、西軍としては良い、という結論だ。

「…あなたは、かのぐんしにはにてもにつかないのですね。こうけいときいていましたが」
「……半兵衛さまには遠く及びません。あのような天才、稀に現れるからこそ輝くのです。俺は半兵衛さまの教えを受けただけの凡人です」
「あなたがぼんぷであれば、このよにしゅうさいはいないでしょう。ひにくってなどいませんよ。かれはしゅだんなどえらばなかった。あなたは、わたくしにせんたくしをくださるという。ゆえに、にていないとつげたのです」

独特な、ゆったりとした話し方。
ああ、真田が軍神に救われたと言ったことに納得してしまう。
この人は、導く側の人間だ。
俺すらも覆ってしまうような包容力。
風来坊にも指摘された、半兵衛さまとの相違点。
それは、そのままでいいのだと思わされてしまう。
三成だって、俺は俺のままでいいと言ってくれる。
それは納得していたつもりだけど、だけど、やっぱり、半兵衛さまの後継として力不足と言われてしまうのは歯がゆく思っていた。
軍神は、力不足ではない、ただやり方が異なるだけなのだと諭してくれるようだ。

「こうみょう、あなたのねがい、ききいれましょう。もとより、こたびのいくさにうえすぎはたいぎをもちません。とうぐんもせいぐんも、すきにすればよい」
「はい、ありがとうございます。それだけで、我らに有利に働きます」
「……わたくしたちは、どちらのぐんにもかたいれしません。ただ、こうみょう、あなたのゆくすえ…」
「…?」
「…あなたがつかむみらいを、みてみたいとおもうのです。あなたがかなえるゆめを。うえすぎはいくさにはさんかしません。ただ、せんじょうへのさんじんをきょかいただきたく。あなたのあゆむみちを、いっとうちかくでみさせてほしいのです」
「戦場に、わざわざいらっしゃるのですか? 戦の結果など、終わり次第すぐにご連絡しますよ。俺の補佐、鳳は優秀な忍です。勝利しましたらすぐに鳳を使いに出します」
「いえ…このめでみたいのですよ。あなたのいきざまを、しっかりと。せいじつにわたくしにせっしてくれたあなたに、わたくしがほどこせるさいだいのけいいです」
「そうですか…上杉殿が望まれるのであれば、安全な場所に陣を設けましょう。しかし…それでは、西軍に降ったと見えてしまいませんか?」
「ふふ…かのおとこであれば、みまがうことはないでしょう。もんだいありません」

鷹揚に微笑んで、軍神は頷いた。
豊臣にとっては上杉の陣を用意する時点で、傘下に加えたように見える。願ってもない申し出だ。
…家康が、それを中立軍だと見抜くかどうか、俺には分からないけれど。
ただ、そこに少しでも疑念を持たせることができればいい。
中立軍だろう、だが、もし西軍に降っていたら?
上杉が加われば、東軍は戦力で大きく遅れをとることになる。
それが少しでも家康の脳裏に過ぎればいい。
下手に動くことはできないはずだ。
…それを、軍神が分からないはずはないと思うんだけど。
豊臣に利がありすぎる提案。
裏を訝しんでみるけれど、微笑むその顔に企みは見えない。
そも、甲斐の虎と真正面から刃を交えるような人だ。
謀略を練るようなことはしないだろう。
信頼を示す意味でも、ここはなにも問い立てないほうがいい。

「では、念のため書を認めてもよろしいですか。上杉殿を疑っているわけではないのですが、確たる証拠が欲しいのです」
「ええ、もちろん。かすが、かみとふでをここに」
「はいっ」

くのいちがサッと用意した文机で軍神が筆を滑らせていく。
手渡されたそれに目を通し、中立を保つこと、戦の際には参陣する旨が書かれていることを確認する。
末尾に三成の名代としてこの書を確認した旨を書き記し、署名した。
これで、ある種の同盟が結ばれたわけだ。
この結果は上々どころじゃない、結果としてぼた餅を得たようなものだ。
懐にしっかりと書を仕舞い、立ち上がる。

「おや、もういってしまうのですか。いちにちくらいとまっていかれては」
「いえ、待たせている者もいるので。…ああ、失念していました。越後には我が忍隊から護衛を置きますよ。東軍に攻められないとも限らないので」
「きづかいにかんしゃします。わたしがまけるともおもえませんが…むだなたたかいはさけられるのならばそれがのぞましい」
「はは、ええ。あなたが負ける姿は想像もつかない。ただ、念のため、ということで。もちろん、監視という名目ではありません。俺はあなたを信じています」
「ふふ。わかっていますよ。じゅんすいなあなたのはいりょでしょう。ありがたくはいじゅします」
「はい。…じゃあ、鳳。配置は任せる」
「は。お任せください」

軍神に会釈し、応接間を出る。
来たときのようにくのいちに案内をされ、城門をくぐった。

「おい」
「? なんだ、なにか失礼でもあったかな」
「……お前は…謙信様が見初めた数少ない人間だ。真田もお前も、死ぬようなことにはなるな。あの方が悲しまれる」
「ああ、もちろん。俺たちはこの戦に勝って明日に繋ぐんだ。真田も死なせはしないよ」
「それならばいい。……もうあのお方を悲しませたくない。いいか、死んでくれるなよ。私が聞いていても破格の契約だ、お前たちには勝ち以外許されない」
「分かってる。そう言い募らなくても大丈夫。勝つよ、俺たちは」

俺の言葉に満足したらしい、くのいちは姿を消した。
…忍とするには、感情豊かな者だな。
あれではつらいことも多かったろうに。
彼女も包み込んでみせたのだろう、軍神が思い浮かばれて一人笑う。
この契約が違う形で俺たちを救うことを、このときの俺はまだ知らない。

誰そ加護あるや


「謙信様」
「かすがですか。かれらはぶじきろにつきましたか」
「はい。しっかりと見送ってきました。…一つ、よろしいですか」
「ええ。なんでしょう」
「参陣するなど、なぜ提案なさったのですか? 西軍に有利なご提案でした。長束の言う通り、戦の結果のみ伝え聞けば良いではないですか」
「かれにもいったとおりですよ。わたくしはかれのいきざまをみたい。ゆくすえをみまもりたいのです。それに、わたしのよそうどおりなら…」
「?」
「いえ、いまいうべきことではないでしょう。よいですか、かすが。わたしたちはさいていしゃ。びしゃもんてんのかごのもと、このいくさのゆくさきをみまもるひつようがあります」
「…?」
「そのときになればわかります。わたしたちは、あのわかものをすくうのです。きっと、かれもよそうしていないかたちで」
「…それが、謙信様の望まれることなのですね」
「ええ。とらわことにしのこうみょう…かれらのあゆむさきをてらしましょう。あのかたがいないいくさばで、わたしたちがなすべきことです」

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