指先 | ナノ
「正家様。上杉軍の動向を調査してまいりました。西軍、東軍、どちらに降る様子も見られません」
「そうか。…甲斐の虎が病に倒れて以来、戦に対する熱を失ったと聞く。家康が力尽くで降すとも限らない。せめて護衛を置きたいな」

軍拡を図る中で、各国の動きを帳簿に示す。
その中でも特に大国、上杉が静かすぎることが気にかかっていた。
上杉といえば軍神と讃えられるほどの戦上手。
そんな人がここまで趨勢を眺めているとも思えない。
川中島での、甲斐の虎との幾度にも渡る力比べは有名すぎるほどだ。
上杉に力を貸してもらえたら百人力なんだが…今回ばかりは難しいだろうか。
秀吉さま、半兵衛さますら手こずった相手だ。
仲間に引き入れられたら重畳、せめて東軍に降らないよう手を回すのが関の山、かな。
越後に向かおうと兵を整えていると、三成が顔を見せた。

「正家」
「三成。越後の龍に会いに行くよ」
「…軍神か。無理はするな、戦になるようであれば即座に撤退しろ」
「分かってる。さすがに俺だけでは上杉相手に勝ちの目はない。ただ話すだけだよ。戦う意思のない人を戦場に引きずり出すつもりはない。せめて、中立を保ってもらうように願い出ようと思って」
「貴様がそこまで下手に出る必要があるのか? 私たちは豊臣、上杉すら首を垂れる力を持っている」
「話の分かる相手だ。誠意を持って話せば分かってくれるだろう」
「………傷を負うことは許さない。必ず無事に戻ってこい」
「うん、ありがとう。行ってくるね」

最小限の兵を連れ立って越後への道を行く。
北上するごとに空気から暑気が奪われていくことがわかる。
近江、信濃、と超え、越後との国境付近。
警備するように立っている男を見つけた。

「あんた…何者だい?」
「豊臣軍の長束正家と申す者。上杉殿にお目見え願いたい」
「秀吉の…。悪いね、謙信に会わすわけにはいかないんだ。あいつは、今心を休めているところだから」
「…あんたは…前田の風来坊か?」
「おっ! 俺も有名になったもんだねぇ。そうだ、俺が前田慶次。今は上杉に身を置かせてもらってる」

かぶいた風体の男。
体は大きく、だけど表情は元気がない。
秀吉さまのお名前を呟き、眉を下げたかと思えば、越後への道との間に立ち塞がった。
風来坊が前田から離れていることは耳にしていた。
上杉に身を寄せていることも。
知己を守るためだったとはな。
戦をするつもりではないことを示すため、両手を上げて穏やかに話を続ける。

「ただ話しに来ただけだ。西軍に降れと命じるつもりもない。中立を守るのであれば徹底してほしいと伝えに来た」
「それなら、俺が伝えておくよ」
「…上杉殿本人と話したい。あんたは根無草だろ。此度の戦の重要性は分かるまい」
「………。分からないよ。戦がそんなに大事かい? 誰かの大切な人を奪い、みんなから笑顔を取り上げる戦が?」
「戦の善悪を論じるつもりはないが…後の世の笑顔のためだ。今は皆、歯を食い縛り耐えるときなんだ」
「…そんな時間、無ければ無いほどいいだろ。いつでも幸せなら、それに越したことはない。……あんたは豊臣だから、分からないだろうけど」
「……先ほどから随分と知ったような口を聞く。あんたは何だ? 豊臣に恨みでもあるのか」
「恨み………」

くしゃりと表情を歪め、風来坊はどっかりとその場に座り込んでしまった。
まさかその横を通り抜けるわけにもいかず、仕方なしに俺もその場に腰を落ち着ける。
軍神の説得の前に、こいつを説き伏せなければならないのか…。
風来坊が反戦主義であることは知っている。
恋だ祭だと騒いでいる婆娑羅者。
この乱世、生きづらいだろうと慮っていたのだが、上杉への道を塞がれるのは困る。
会話を重ねることで通してもらえるのであれば、いくらでも言の葉を紡ごうとも。
風来坊が口を開くのを待っていると、苦々しげな表情のまま、言葉が投げかけられる。

「……豊臣のやり方は間違ってる。力で人を、世を統べようとするなんて、反感を買うよ」
「世界に負けないためだ。俺たちは強い日ノ本を作る」
「…その結果が秀吉だろ。世界に戦火を広げようとして、平和を重視する家康に討たれたじゃないか」
「秀吉さまは日ノ本を誰よりも想っていた。力を持つことで他者から身を守る。日ノ本全体を守るための選択だったんだ」
「知ってるよ。長束正家。朝鮮出兵を止めたらしいじゃないか。あんたも間違ってると思ったんだろ?」
「…出兵自体を止めるためじゃなかった。あのときは半兵衛さまが亡くなった直後。まずは内政を整えるべきだと諫言しただけだ」
「……そっか。あんたでも、秀吉は間違ってないと言うんだな」
「…風来坊、お前は……秀吉さまの何を知っている?」

懐かしむように、惜しむように、ゆっくりと男は言葉を紡ぐ。
その顔色には後悔も見て取れて、何かに痛みを感じているようだった。
俺の知る限り、秀吉さまと風来坊に関係はなかったはずだけど。
半兵衛さまも言及なさったことがない。
あれほど、他国の人材にも関心をお持ちだった半兵衛さまが語らなかったのだ、この男は豊臣には不要だったのだろう。
無駄に交流を重ねる方たちでもない、であれば、この男と秀吉さまとの関係とは一体…。

「俺たちは、ともだちだったんだ」
「友…?」
「あんたも知らないくらい昔の話さ。豊臣の中で、俺はなかったことになってるんだな。…当然かぁ、半兵衛、すげぇ怒ってたもんなぁ…」
「………」
「袂を分かったとはいえ、俺は今でもともだちだと思ってる。…思ってた。でも、秀吉は家康に討たれちまった。俺…どうすればいいか分からなくて…」
「…道を違えたとはいえ、友人を奪われたんだろ。それなら、俺たちと共に家康に復讐しないか」
「復讐か…。考えたこともなかったよ。俺、戦は嫌いだし…家康とも知った仲だし…」
「…だから上杉に逃げてるんだな」
「ッ!」
「好敵手を失い、領地に引きこもっている上杉の元なら心持ちも安らかだろう。それは逃げだ」

核心を突いたらしい、瞬時に顔色を変えた風来坊は、俺を睨むように真っ直ぐに見つめてくる。
その視線を受け、俺は視線を返す。
悲しいのは嫌だ、だけどそれを拭うために復讐に走るのも厭う。
何もできないから、何もせず受け入れてくれる人の元に身を置き、迷っている風を装ってぬるま湯に浸かっている。
復讐は苦しい、痛みがつきものだ。
だから家康に反旗を翻すこともなく、ただ「どうすれば良いか分からない」と童子のようなことを言う。
そんな男に楯突かれたんじゃ、豊臣も笑い種だ。
これ以上話すことはない、対話を試みたことが馬鹿みたいだ。
立ち上がって、その横を通り抜けようとすると、大刀で道を塞がれる。

「……前田」
「分かってるよ…俺は逃げてる。三成さんにも、家康にもつかずに日々、虚無を過ごしてる」
「理解しているのならこれを退けろ。あんたと話すだけ無駄だ。上杉殿と直接話す」
「だけどこんなやり方間違ってる! 見てみろよ! 民は誰も笑ってない! こんな戦望んでない! それだけは俺だって分かる!」

立ち上がった風来坊に刃を向けられ、凄まれる。
すでに鳳は臨戦体制だ。
こんな男だ、突然刃を交えることにはならないだろうと見越して、鳳を制止する。
刀を放り投げ、戦意のないことを示しつつ、一歩、また一歩と風来坊へ近寄って行く。

「前田」
「来るな! 謙信には会わせない! 俺は…俺たちは…っ、もういっぱい傷ついてきたんだ!」
「そんなの、誰も彼も同じだ。俺が傷ついていないように見えるか? 三成は? お前にはどう見える?」
「だからって戦をしていい理由にはならない!」
「必ずこの日ノ本を強い国にして、民草が笑って過ごせる世にしてみせる。強さを司るのは俺たちだけでいい。弱い者も生きていられる世界にする。そのための戦だ。絆と嘯く狸を殺し、豊臣の教えで世を導く」
「…っ秀吉は! 自分を愛した女を殺した! 力のためにか弱い女をだ! それを正しいって言うのか!」
「……その話は聞いたことがある。それだけの覚悟をお持ちだった。我欲を殺してでも、世のために。滅私奉公、良いことじゃないか」
「あんたは三成さんを殺せるのか!? 友達なんだろ、強くなるために三成さんすら殺すのか!?」
「………前田。あんたは一つ勘違いをしている。俺は秀吉さまのように崇高な考えは持っていない。世のために己を殺すことはできない。三成のため…秀吉さまの教えを守ろうとする三成のため、戦をするんだ」

戦なんてしたくない。
痛いことは嫌いだし、人を殺すことだって出来やしない。
そんな俺が、自ら戦を望む理由なんて、三成のためだけでしかない。
三成が復讐を望むから。三成に未来を生きてほしいから。
…そして、その横に、俺がいられればこの上ない。
自ら死を望む弱い俺は打ち捨てた。
三成のため、三成と生きる自分のため、俺は戦の道を選んだ。
大切な人のために刀を取ることすら出来ない奴に、とやかく言われる謂れはない。
向けられた刃が首筋を撫でる。
ツ、と肌の切れる感覚と共に、血が流れる感触もある。
それにたじろいだ前田は、三歩後ずさる。

「最後の戦だ。約束する。日ノ本最後の戦になる」
「………」
「俺たちは必ず勝利を掴み、秀吉さまに家康の首を奉じる」
「…………」
「そのためにも、上杉殿には中立を守っていただきたい。護衛も置く。その話をしたいだけだ。ここを通せ」
「………秀吉は…」
「…?」
「秀吉は…最期…なんて言ってた…?」
「…『半兵衛よ、次は何を目指そうか』」
「! …は、はは…そうか……恨み言でも怒りでもなく…未来を…」

再び、力無く風来坊は座り込んだ。
泣いているらしい、漏れ出る嗚咽が隠せていない。
しばらく涙を流す彼の前に立ち竦み、進むも退くもできない状況が続いた。
やがて泣き止んだ風来坊は、先ほどよりかはすっきりした顔立ちで立ち上がった。

「秀吉は、俺のことなんかとっくに忘れ去っていたんだな」
「……」
「それなら、ああ! ともだちとはいえ、もう吹っ切れなきゃな! …いまだに、家康にどんな顔をして会えばいいか分からないし、三成さんも…秀吉の忘れ形見に会う勇気はないけど…」
「…」
「でも、秀吉の最期を教えてくれたあんたにはちゃんと礼を尽くす! ありがとな、秀吉のこと、支えてくれて。秀吉の最期に立ち会ってくれて。俺ができなかったことだ。半兵衛にも…できなかったことだ。あんたがそばにいてくれて良かったよ」
「俺は…間に合わなかっただけだ。お救いできなかっただけなんだよ。礼を言われるようなことじゃ…」
「死ぬとき一人は寂しいだろ。そりゃ、戦だって賛成できるわけじゃないけどさ、あんたと話してたら、謙信を無理やり戦場に連れて行くような奴じゃないっていうのも分かった。怒鳴ってごめんな」
「いや…」

無理に笑っていることが分かる。
快活に笑顔を見せる風来坊は、まだ後悔を表情に残している。
でも俺が伝えた、秀吉さまの最期のお言葉に、納得するものがあったらしい。
俺に道を譲るように、道の端に寄ると、手で先を示す。
開かれた道の先を目指し、行軍を再開する。
鳳を伴って振り返らずに歩いていると、背後から声がかかる。

「正家さん! あんた、半兵衛の後継者って柄じゃないねぇ!」
「…侮辱として受け取るけど、事実だから斬らないでおいてやる! 感謝しろ!」
「褒めてんだって! あんたが創る豊臣になら、任せてもいいかもって思えるからな!」

仕方なしに振り返ると、長い腕を大きく左右に振る風来坊が見て取れた。
よくもまあ、こんな離れた場所にまで声を届かせるものだ。
片手を上げて応じ、再度越後への道を行く。
…秀吉さまの過去を知る男、か。
三成が風来坊の存在を知ったなら、何を言うのかな。
こんな軟弱な男、秀吉様には似合わない、なんて言うかもしれない。
嘘偽りを述べるな、と断じる可能性の方が高い。
それでも、この世に残った秀吉さまの残滓だ。
戦を終えた後、三成と風来坊を訪ねてみるのもいいかもな。
俺たちの知らない秀吉さまは、どんなお人だったんだろう。
意外と、やんちゃだったりして。
半兵衛さまとはどんな風に出会ったんだろう。
大切な、失ってしまった人の思い出話。
お二人を思い出したいときに、城に呼ぶのも楽しそうだな。
忘れないように、色褪せないように、悼んで偲んで。
そうやって俺たちは、大切な人の死を乗り越えていく。
…三成が、戦の後も希望を持って生きることができるように。
良い縁を持った実感を伴い、上杉の元へ行軍を続ける。
どうか、三成に幸多からんことを。

あはれいづれの日まで歎かん
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