指先 | ナノ
夜着を深く被ったというのに、あまりにも冷えた空気が肌に刺さるようだったので目を覚ましてしまった。
昨夜は雪が振るのではないかというくらいの冷え込みで、半兵衛様に何枚も着物を渡されたというのに。
まだ朝餉には早いが、目が冷めてしまったのであれば仕方がない。
すでに起きているであろう半兵衛様のお手伝いをしようと、起き上がり身支度を始める。
着替えを終え、半兵衛様のお部屋へ向かう途中、楽しげな声が外から聞こえた。

「あははっ、行長ののろま〜!」
「黙りや! ちょっと手加減したからって調子に乗らんといてや!」
「…貴様ら、何をしている」

見ているこちらが寒々しく感じるほどに薄着の正家と行長が雪まみれになって笑っていた。
庭を見ると、昨夜だけでかなり雪が降ったようで、足首が埋まるほど積もっていた。

「見て三成! 雪!」
「見れば分かる。まったく…そんな薄着では風邪を引くぞ」
「やあ、三成くん。それは僕のせいでね。この通りさ」
「は、半兵衛様…! 御前で失礼いたしました!」
「いや、いや。寄りかかりたかったとはいえ、柱のそばにいた僕が悪い、気にしないでくれ」

柱のすぐ側に腰掛けている半兵衛様に声をかけられ、急いで頭を垂れる。
半兵衛様は身の丈には合わない大きさの羽織で着膨れして、困ったように笑っている。
少し前に元服を迎えた正家の背丈では、まだまだ半兵衛様の御身を包むには小さい。
半兵衛様を冷やさないように、という配慮には感心するが、これでは身じろぎ一つもしづらいだろうに。

「子供は風の子とはよく言ったものだよ。僕は寒くて仕方がないというのに、正家くんったら、僕に着ているもののほとんどを被せていってね。行長くんとああして雪遊びをしているんだ」
「私は見ているだけで寒いです」
「僕もだよ」
「おーい! 三成! 三成も一緒に遊ぼう! こっちでは雪、珍しいだろ!」

ぴょんぴょんと、うさぎのように跳ねている正家に、行長が思い切り雪玉を投げつける。
横っ面にそれを食らった正家は、悪戯を企む子供のように笑って、応戦を始めた。
…あいつは体温が高いからいいだろうが、私ではすぐに冷え切ってしまいそうだ。
しかし、あれだけ楽しそうな表情を浮かべているのであれば、こうして遊んでいてくれる方が良いのかもしれない。
少し前までは、初陣での失態に酷く落胆していたのだから。

「正家くんが元気になって良かったね」
「は、……半兵衛様には、考えていることが筒抜けなのでは、と思うことがよくあります」
「ふふ。顔に書いてあったよ。……初陣では、一人も斬れなかったからね。それがあの子の良いところだと、僕は思うけれど」
「私たちは秀吉様の手であり足でもあります。それにもかかわらず、戦で敵を屠れないのは、秀吉様の手足として、相応しくありません」
「君がそうやってキツく言うから、ただでさえ気にしいな正家くんが落ち込んじゃったんじゃないかな?」
「う………」
「冗談さ。君の言う通り、戦場では敵を多く殺した者が偉い。それでいえば、正家くんは出来損ないだ」

先程まで浮かべていた柔和な笑みはすでに消えていた。
豊臣軍の軍師は、厳しい表情で正家を見つめている。
今まさに、自らが見定められているとは知らず、子供のような声を上げて正家は行長と雪玉を投げあっている。

「でもね。豊臣軍に、そういう出来損ないが一人くらい居たって、いいと思わないかい?」
「……私は…あれを責めるわけではありませんが…秀吉様の兵は強くあるべきだと…」
「全員強い兵になって、一体誰が、民草と同じ視点で物を考えられるんだろうね?」
「…!」
「僕たちが強くあるべきなのは、日ノ本を強い国に導くためさ。だが、国の半数以上は農民や商人といった弱い者たちだよ」

真剣な表情で、着膨れた半兵衛様は語る。
その釣り合わないお姿に、つい気が緩んでしまう。
豊臣の兵であるべき私は、緩んだ気持ちのまま、つい本音を口走ってしまった。

「正家は、心優しい子供のままで良いと、思ってしまいます。武士らしくなくとも、豊臣の兵に相応しくなくとも、その分、私が斬り捨てます」
「……」
「秀吉様が武力の象徴となり、国を率いるのであれば、あれが不殺の将として民の心を掴み、内治の礎となりましょう。戦場で前線に立つのは農民などの足軽たちです。それを殺さないのですから、人心を掌握するという意味では良いかもしれま…せ……ん………」

正家を視界に留めながら、滔々と語り、ふと半兵衛様に視線を移すと私をしっかりと見つめていた。
そこで、半兵衛様を気にせずに語り続けてしまった、己の失態に気づく。
慌ててその場に跪こうとしたところを、制されて半兵衛様の隣に腰掛けた。
私の顔を観察するようにじっくりと見遣って、半兵衛様は微笑んだ。

「君の言う通りさ」
「半兵衛様…?」
「僕たちは武力一辺倒に見えがちだからね。一人くらい、民心に寄り添う者がいたっていいのさ」
「それは…正家の弱さを、認めるということでしょうか」
「はは。人を斬れないこと。殺せないこと。それが弱いと誰が決めたのだろう?」
「…強い将は負け知らずです。つまり、戦ったら必ず相手を殺しているからで…」
「この戦国乱世で不殺を貫くのであれば、僕はあの子は一等強い子だと認めるよ。まあ、つまり、そうだね。敵を斬れないことを認めるということになるのかな」

意地の悪い表情を浮かべ、半兵衛様は正家に視線を移した。
つられるようにして、私も正家に向き直る。
その表情は真剣で、未だに行長と雪玉を投げあっていた。

「行長くんは驚くほど、何事も無いように首級を取ったのにねえ…」
「あれはいつも、こともなげに事を成します。私は心配しておりませんでした」
「なんやなんや、儂、今貶されてませんか〜!? こっちゃ真剣勝負の真っ最中っちゅうに!」

耳聡い行長がこちらを向くと、まっすぐに私の顔へと雪玉が投げられた。
それを軽く避けると、避けた先にも雪玉が迫っており、見事に顔面に食らう。
雪だらけになった私の姿に、正家と行長は楽しそうに笑い声を上げ、半兵衛様までも、堪えきれないように吹き出された。

「……ゆぅきぃぃなぁあがあああ!!!! 貴様! 半兵衛様に雪が少しでも掛かったらどうするつもりだったんだッ!!!」
「あ、そこなん気にするん。叱りたいなら儂に雪玉を投げえ! 儂は今日ッ! 雪で遊びまくると決めたんや!」
「そうだそうだ! 俺も雪で遊び尽くすぞ!!」
「貴様らは半兵衛様の元で政務を学ぶのだ! 遊んでいる暇などないッ!」
「今日くらい良いだろう。正家くんに笑みが戻った記念とでもしようか。三成くんも遊んでおいで」
「半兵衛様、しかし…!」
「言い方を変えようか。命令だ三成くん。今日はたっぷりあの子たちの相手をしておあげ」

優しく微笑んだ半兵衛様は、しかしどうして、有無を言わさない笑みを浮かべていた。
渋々と草履を引っ掛け雪に踏み出すと、体温で溶けた雪がすぐに水滴となって足袋を濡らしていく。
耐え難い寒さだ、だがそれは正家たちも同じなのであろう。
頬も鼻先も赤く染め、それでも楽しげに笑っている。

「来い、三成!!」
「……フン、良いだろう。こうなってしまえば二人とも負かす! 昏い後悔に身を沈めるのもすぐだ!」
「よっしゃ! 普段言い負かされる分やったるで〜!」

素手で雪玉を固め、雪玉を投げてくる二人に応戦する。
すぐ後ろで刑部が半兵衛様に近づき、なにやら話し始めることにも気づかず、私はすっかり雪遊びに熱中したのだった。

ある雪の日


「やれ、賢人よ。ぬしはあれらに甘すぎる」
「やあ、大谷くん。なに、将来有望な将は囲っておくに限るだろう?」
「……あれらは必ず明日、風邪を引くであろう。その世話はわれに押し付けるおつもりでは?」
「さすがだね。そのつもりだよ」
「………はあ、われはいつも損な役回りよな」
「あっはっは! 本当に僕は、君たちが可愛いよ」
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