指先 | ナノ
三成との未来への決意を固めてから数日。
溜まりに溜まった政務を片付け、大阪城内には、再び戦の気配が漂い始めていた。

「能島の鶴姫は未だ東西どちらに付くか表明をしていない様子です」
「彼女については吉継が対応しているらしいから任せておけばいいさ。あとは官兵衛だが…こちらも吉継に委ねていいだろう」
「では、我々はいかがいたしましょう」
「以前からお前に準備させていた、あの件を始末してしまおう」

次に俺たち長束隊が狙うは、―――東軍参陣を目指す清正と正則だ。
秀吉さまの御恩にも報いず、家康に尾を振るとあらば滅ぼすしかあるまい。
同じ秀吉さま子飼いといえど、俺たちは親しいともいえず、互いに憎しみ合っている。
みすみす家康に戦力を与えるつもりはない。
三成にも吉継にも伝えず、今夜俺はこの二軍を滅ぼす。

「今夜とは、また急ですね」
「調略によって寝返らせていた者より、二人とも今夜闇に紛れて大阪を発つと連絡があった。大阪から出させはしないよ」

こんな闇討ち、三成は良しとしない。
知られればきっと、俺は幻滅される。
だから悟られてはいけない。
清正にも正則にも、自軍に裏切られて死んでもらう。

「鳳以外に変装が得意な者はいるかな」
「忍なれば別人に化けるなど朝飯前です」
「よし、誰か一人俺に扮装させろ。いいか、鳳。今夜俺は一歩たりともこの城から出ないのだ」
「は、仰せのままに」

立ち上がり、忍隊に戦準備をさせる。
俺は普段纏う陣羽織ではなく、真っ黒な衣装を手に取った。
忍に見間違えられるくらいで良い、今夜の戦は誇りなどない、厭わしいものになる。
決して三成に顔向けできない、そんな戦。

「は、……これでいい…これでいいんですよね、半兵衛さま…」

半兵衛さまならば、きっと、秀吉さまのためにこれくらい、わけもなく対応しただろう。
秀吉さまだって、そんな半兵衛さまをお認めになられた。
だけど三成は、三成は…。

「三成との明日のため、俺はなんでもしてみせる。鳳、手伝ってくれ」
「当然でございます。我が力は正家様の御為に」

部屋の窓からそっと抜け出した。
今は夕方、すぐに夜が更ける。
三成、俺は、お前のためであればどんな汚い手だって使ってみせるよ。

* * *

月だけが照らす道を馬で駆ける一軍がある。
先頭を走る男に、数人が焦るように声をかけた。

「清正様! やはり東軍に付くなど義に悖ります! 今ならまだ間に合う、戻りましょう!」
「ええい、五月蝿い! 三成が率いる豊臣など、負けの道しか残っておらぬ! 俺は勝ち馬に乗る、忠義など腹の足しにもならぬわ!」
「―――愚かですね、加藤清正」
「! 何奴!?」

馬の脚を止め、一団は急停止した。
突如目の前に現れた黒衣の隊。
忍然としたその者たちに、清正は声を荒らげる。

「どこの軍の者だ、俺たちを足止めに来たのか!?」
「足止めなど笑止千万。我々は貴方達を消しに来た」
「は! 愚かな忍め、堂々と姿を現しておいて、俺が遅れを取るとでも!?」
「我らが正面から立ち向かえばな」
「…? 何を、…ッグゥ…!?」

馬上の清正は、ぐらりと姿勢を崩し落馬した。
彼の胸を貫く刀は、鍔が背中側にあった。
そう、背後から―――仲間から刺されたのである。

「あ…っ貴方が悪いんだ、清正様! 豊臣を裏切るなどあってはならない! 私たちは止めたのに!」
「き…さまァ…! 私を…裏切ったのか…!」

黒衣の集団は一切動かない。
清正を制止しようとしていた加藤軍の者たちが他の者に襲いかかり、次々に斬り捨てていく。
地に伏した清正は、這って落ちている刀に手を伸ばした。
せめて、正体不明の忍たちの一人でも殺さないと気が済まない。
あと少し、柄に手が届くというところでその手は踏み躙られる。

「ぐ…ッ!」
「無様だな、清正」
「その…声は……正家…!」
「心の臓は辛うじて避けたようだが、出血量を見るに、長くはなさそうだな」

一人、顔の半分すら布で隠した男が、顔を顕にした。
冷徹な瞳で清正を見下ろす。
その姿は、既にこの世から去った軍師のような冷たい光を放っていた。

「この先の関で、正則と落ち合う予定だったのだろう」
「くそ…ッあいつらも貴様の息がかかっていたのか…!」
「だが、残念ながら正則が姿を現すことはない」
「正家…貴様…貴様を決して……許しは…しない…」
「それで構わない。もとより地獄に落ちる覚悟だとも」

絶命した清正を見下ろすその表情は、月光を背から受けて読み取れない。
加藤軍を討った豊臣の忠臣たちに向き直り、正家は微笑んだ。

「よくやってくれた。きっと秀吉さまもお褒めくださるだろう」
「勿体なきお言葉です、正家様! 我らを豊臣軍にて重用くださるとのこと、嬉しく思います!」
「ああ。あの世で秀吉さまによろしく伝えてくれ」
「あの世…とは…正家様…? 一体何を…」

知らぬ間に、男たちは黒衣の忍たちに囲まれる。
正家はその輪から一歩後退し、そっと瞳を伏せた。

「曲がりなりにも、加藤清正は豊臣の重臣。それを討ったとあらば謀反に他ならないだろう」
「正家様! 私たちも、貴方に応じた私たちすらも裏切るというのか!!」
「殺れ」

普段とは異なり、刀を持った忍たちが、次々に男たちに斬りかかる。
四方を囲まれ逃げ場を失った忠臣たちは、抵抗するも為す術もなく殺されていく。
やがて、剣戟の音が止む頃には、馬と加藤軍の家紋を掲げた武士の死体が転がるのみとなった。

「主」
「鳳か」
「福島も同士討ちにて滅びました。遺体を全て館に移動し、火を放っております」
「ああ、よくやってくれた」
「…お言葉ですが、こういった場で名を呼ばれるような行為は避けるべきでした。貴方様は、決してお顔を晒すべきではなかったのです」
「そう、だな。お前の言うとおりだ。それでも…清正に見せたかった。お前は侮った俺に謀られたのだと」

自らを、名を伏せて呼んだ忍に、正家は眉を下げた。
そうだ、鳳の言うとおりだ。
この作戦は隠密のもと行われているもので、長束隊が関わっていると知られてはいけなかった。
そう理解しながらも、正家は清正に知らしめたかった。
お前を殺したのはこの俺だと。
お前は、見下していた文官に殺されたのだと。

「……結局、汚れ仕事はお前たちにさせてしまったな。ずるい主だろう、俺は。ここにきてまだ、己の手を汚さないなど」
「何を仰るのです。この戦乱の世で、不殺の将は旗印になります。西軍は、最小限の被害に留めるよう努めていると。東軍との差異になるのです」
「…………」
「主、私たちは幸せです。貴方の思い描く未来の礎になれるのだから。汚れ仕事など、そうは思っておりません。私たちは、貴方の花道を飾っているだけなのです」

正家の手を取って、忍はうっそりと微笑む。
狂信にも似た敬愛で、忍は主に仕える。
黒衣に身を包んだ正家は、遠く、燃え盛っているだろう正則の館の方向に目を向けた。
ここに俺はいなかった。
鳳たちの報告を受け、初めて俺は二人が死んだことを知るのだ。
―――これでいいんですよね、半兵衛さま。
数刻前に呟いた言葉を、再び心の中で繰り返して、正家は苦悶の表情を布で覆い隠した。
これは三成と共に在るためだと、己の胸の内で言い訳をして。

* * *

「清正と正則が軍内で同士討ちにあったと聞いた」
「ああ、三成。俺も鳳に報告を受けて現場に向かったが、清正は背後から刺されていた。正則は…館ごと燃やされて死因はわからなかったが…」
「……家康のもとへと向かおうとしていたのだな。清正は、東に抜ける道中に倒れていたようだが」
「ああ…秀吉さまから受けた恩義を忘れ、東軍に降ろうとしたのだろう…止めた者たちは忠臣だった。せめて一人でも生き残っていれば…」

悔やむように眉根を寄せれば、疑うことなく三成が頷いた。
清正や正則の裏切りに憤らないのは、秀吉さまを慕う者たちに成敗されたからだ。
秀吉さまはいつだって正しくて、秀吉さまを信奉する者もまた正しい。
裏切ったから滅ぼされ、それはあるべき姿なのだ。

「三成、これで東軍の力を削いだことになったね。東軍は裏切りを誘発する軍だと市井でも噂されている」
「フン、そも、家康が秀吉様を裏切った男なのだ。当然だろう」
「ああ、まったくもってそのとおりだ」

三成に微笑んでみせ、俺はすべてを覆い隠した。
三成、俺はお前のためだったら何だってしてみせるよ。
お前の心を守って、家康を屠り、この世を死ぬまで二人で過ごすんだ。
少しずつ、己が歪み始めていることなど、俺は知るはずもなかった。

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