指先 | ナノ
周辺諸国を大方従えた俺たち豊臣軍は、久方ぶりに戦のない日々を過ごしていた。
戦の間、直吉一人に政務を押し付けていたが、当然一人で片付けられる量ではなく、三成たちと手分けして政務を処理する。

「本当に僕はつらかったんですよ! 一人で処理できる範囲にも限界があります!」
「悪かったって。だから今こうして、みんなで手伝ってるじゃないか」
「政務を滞らせるわけにはいかないことも分かりますが…いくら僕が婆娑羅者ではないからって…」
「分かった、分かった、謝るから恨み言はもう止めてくれ。直吉には補佐に鳳をつけるから!」
「…それなら…仕方ないですね…」

対応すべき書面を両脇に積み上げ、文机に互いに向き合う。
事務仕事は、秀吉さまご存命の頃から俺たちの担当ではあったけれど、この量を片付けるのは久々だ。
領内の諍い、制度や御触書を一つずつ対応していくうちに、未処理の案件は勿論減っていく。
早朝から続いた政務は、正午頃には残り半分にまでなっていた。

「ふう…戦続きというのも考えものだな…」
「そうですよ。徳川に勝利し、一早く我々が日ノ本を統べなければ。豊臣の教えがあれば、民も将も効率よく統治することができますから」
「…うん。軍も大きくなってきた。豊臣の天下も目の前だ」

未だ、豊臣が勝つべきか滅びるべきか、決めきれていない俺は、直吉の言葉に曖昧に返す。
俺の願いは全て真実だ。
三成に生きていてほしい、真田や長曾我部たちに死なないでいてほしい、秀吉さまや半兵衛さまの教えを絶やしたくない。
賛同者が増え、着実に力を増している豊臣軍を前に、動けなくなっている自覚がある。
考えに耽り、文字を記す手を止めたせいで墨だまりを作ってしまった。

「ああ…やってしまった…」
「長束様、いらっしゃいますか?」
「ん、ああ、入ってくれ」

書き損じた紙を丸め、屑箱に放る。
ふう、と一つため息を吐くと、外から声がかかった。
それに応じてみせれば、襖が開き、三成の隊に所属する平塚殿が頭を下げていた。

「三成様がお呼びです」
「三成が? 珍しいな、俺、何かやらかした…?」
「いえ、あれほど穏やかな表情をなさった三成様は久方ぶりです。ご機嫌はよろしいかと」

平塚殿もまた、落ち着いた表情で微笑んだ。
その言葉に胸を撫で下ろし、政務もそこそこに立ち上がる。
非難を込めてじろりと直吉に見上げられるが、へらりと笑ってその場を後にする。
まだ数日、こうして政務に勤しむことが決まっているのだから、残り半日くらいは三成との時間にしたって許されるだろう。
それに直吉には、鳳をつけたわけだし。
心の中で言い訳をして、平塚殿の後ろをついていく。
ああ、本当にここ数月は戦続きの日々だった。
…いや、違う。
秀吉さまがお亡くなりになったあの日から、こうしてゆっくり過ごせる時間はなかったに等しい。
三成と会うときは互いに戦装束だったし、表情は強張っていた。
もしかすると、三成も話したいと思ってくれていたのであろうか。
三成の部屋に着くと、平塚殿は膝を付き中にいる三成へと声をかけた。

「三成様。長束様がお着きです」
「入れ」
「長束様、こちらに」

平塚殿が開けてくれた襖から、三成の部屋へと入る。
俺と同じく、政務に追われていると思われた三成の部屋は、すっかりと整理されていた。
袴姿の三成は文机に向かっていたが、筆を置いてこちらを振り返った。
平塚殿の言うように、その表情は穏やかで、ほっと息を吐いた。
良かった、三成が少しでも気持ちを休められているようで、安心した。

「正家」
「どうした、急に呼び出して。俺は三成と話したいと思っていたから嬉しいけど」
「私もだ」
「うん?」
「貴様と、話がしたかった」

真正面に腰を落ち着けると、真っ直ぐな瞳に射抜かれる。
予想をしなかった三成の言葉に、虚を突かれ、思考が止まってしまう。
家康の首を取るための最短距離を、三成は突っ走っている。
それなのに、寄り道、無駄としか言えないにも関わらず、三成は俺と話したかったと言う。

「……嬉しいよ。でも、どうしてまた俺と話がしたいだなんて」
「…刑部も、ある男も。私と正家は会話が足りないと、そう言うのだ」
「まあ…軍議以外になかなか時間は取れなかったな。大将と軍師が違う方向を見ていては駄目だ、吉継の指摘通りだね」
「…………。私は貴様を信じている。疑う余地などない。…だが、ある男が、貴様が死ぬつもりだと……そう宣うのだ」

ある男、と濁される者が三成に要らぬことを吹き込んだようだ。
三成が意図的に伏せているのか、興味がなく覚えていないだけなのか、どちらでも良いが余計なことをしてくれたものだ。
勝手に俺の心を断じ、三成に不安の種を植え付けたのだから、ある程度の意趣返しはしてやりたいものだが。
ただ、その男の指摘は全く的外れなわけではないから、言葉に窮してしまった。

「…ある男とは誰だ?」
「話を逸らすな。正家、貴様は死ぬつもりなのか。島津が、貴様の望みは私との未来だと言った。貴様の本音はどちらだ」
「…島津に話したことは本音だ。俺は三成に生きていてほしい。家康を殺した後は、三成と共に、日ノ本を豊臣の教えで統べていきたいと思ってる」
「………」
「…………その上で、悩んでいたことも本当だ。世の趨勢は徳川に傾いている。秀吉さまももういらっしゃらない。…豊臣は、世に、未来に、求められていないのだと…」

斬られる覚悟で葛藤を打ち明ける。
こんな悩み、秀吉さまへの裏切りだ。
きっと三成は怒るに違いない。
秀吉さまの教えはいつだって正しくて、だからこそ、日ノ本を強い国へと導いていくのだと、胸を張って答えるべきなのに。
半兵衛さまのように強い心を持てなかった俺は、こうして惑い、足を止めてしまう。
三成は呆れただろうか、怒りのあまりに、俺を見捨てるだろうか。
知らずのうちに項垂れていた頭を上げられない。
三成の顔を、見ることができない。

「…何を言うかと思えば」
「ごめん……」
「家康は秀吉様を裏切っただけでなく弑逆した。義は私たちにある。悩む必要などない」
「…………」
「だが、貴様がそう苦悶するのは、私が道を示していなかったことの証左。秀吉様は常に行く先を照らしていた。私もまた、秀吉様の後継として力が及んでいなかったのだ」

三成の言葉には、俺を責める気色は一切なかった。
恐る恐る顔を上げれば、先程と変わらない表情で俺を見つめる三成がいた。
…怒ってない。呆れてもいない。
在りし日の、凪いだ海のような落ち着きだ。

「世の趨勢と言ったな。大坂の民は未だ私たち豊臣の治世を望んでいる。秀吉様の教えが行き届いていない東国は家康の聞こえの良い言葉に惑わされているのだ。自ら戴いた男が、矛盾を抱えた裏切り者だと見えていないのだろう」
「……三成…」
「苦しむ必要などない。家康を殺すこと、そうすることで、世は漸く秀吉様の正しさを理解するのだ。貴様が、私たちが滅びなければならない謂れなど、この世にはない」

俺に言い聞かせるように、三成はゆっくりと言葉を紡ぐ。
秀吉様を、三成を疑うような悩みを持った俺など、斬り捨ててしまえばいいのに、三成は必死に俺を説得するかのようだった。
その真っ直ぐさに心打たれ、俺は再び顔を伏せてしまう。
三成、三成。
その言葉に、俺がどれだけ救われているか、分かっているのか。
俺を気にかけてくれたんだね。
邪な想いをお前に向けているというのに、こうして、俺の心を救ってくれるんだね。
目頭が熱くなるのを必死に堪えて、視線を上げた。
三成の真摯な瞳に応えて、俺は頷く。

「ありがとう、三成。俺は、堂々と望んでいいんだね。生きていきたいと。俺たちの勝利を」
「フン。負けるつもりで仕掛ける戦などなかろう。貴様は時々、官兵衛以上の馬鹿だ」
「そうなんだ、俺はいつも駄目なんだ。半兵衛さまに申し訳が立たない」

眉を下げて笑みを模れば、三成が片眉を上げる。
膝立ちになり、片膝を踏み出して、俺の目尻を指で撫でた。

「……紛らわしい、泣いているかと思った」
「自分が情けないくらいで泣かないよ」
「…貴様は些か卑下するきらいがある。豊臣の軍師は正家、貴様だ。私を勝利に導け」

踏み出した膝を戻し、三成は座布団の上に腰を落ち着けた。
そして、俺に自信を持たせるように語る。
俺が、豊臣の軍師。三成の軍師。
その言葉だけで、俺はいくらでも踏ん張れる。

「うん。見ててくれ、三成。必ず三成に勝利を」
「そうだ、それでいい。私たちは家康に勝ち、その首を取る。秀吉様の墓前へと捧げるのだ」

三成が未来を語ってくれた。
それだけで俺は何でもできる。
迷うことも、惑うこともない。
復讐さえ叶えば、希望も野望も要らないと言う三成が、俺に未来を示してくれた。

「三成」
「何だ」
「…三成との未来も、望んでいいんだろうか」
「誓いを交わしたことを忘れたのか。離れることは許さない。私の側で生きろ」

首に下げている飴色を、袴の上から握る。
そうだ、俺たちは約束したんだ。
ずっと一緒にいると、離れないと。
三成を恋しく思う衝動が抑えられず、思い切って口を開く。

「三成、俺は変わらず三成が大切だよ。いついつまでも、俺を側に置いてくれ」
「改めて言うまでもない。私たちは永劫離れぬのだ」

三成の口元が緩んだのを見て、思わず満面に笑みを浮かべてしまった。
自らの滅びを定めなくて良い、三成の死を望まなくても良い。
それどころか、三成との明日を望んで良いのだと、他ならぬ三成から示され、心のモヤが晴れるようだった。
それから、俺たちは日が暮れるまで、他愛も無い話を続けた。
こんな穏やかな日々が、戦の後も続けばいい。
そう願わずにはいられない一日だった。

美しく、おだやかな貴方


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