指先 | ナノ

「すまないな、生憎、三成は別件で外していて」
「構いませぬ。元はと言えば、突然押しかけた某たちが無作法であった。相すまぬ」

わざわざ大坂城を訪ねてきた武田の大将―――真田幸村と、三成の名代として相対する。
俺たちと似た状況で、突如大将の重荷を背負うことになった眼の前の男は、存外に落ち着いているように見えた。
真田の武田信玄への敬愛ぶりは三成に並ぶほどと噂で聞いていたものだから、三成のように憔悴していると思っていたが、誰もが三成のようになるとは限らないらしい。
…だが、豊臣と武田では決定的に違う点がある。
武田は、病に倒れたとはいえ、存命だ。

「信玄公の病状はいかがか」
「……」
「病のこと、伏せててもやっぱり漏れちゃうか。そりゃそうだよな、こーんな子犬みたいな大将が空元気吹かせてるんだもの」

答えない真田の代わりに、後ろに侍る忍が答えた。
鳳から聞いた情報だと、真田…いや、武田の副将は忍の猿飛佐助という。
うちの隊と似た構成だな、顎に手を添え、忍に話しかける。

「武田軍の現副将、猿飛だな」
「副将のつもりはないんだけどねー。…それで、なに?」
「情報が漏れるというのはお互い様だ。お前も俺たちを探ってただろ」
「……」

猿飛は口角を上げて肯定してみせた。
言葉に出さないのは、清廉な真田の前で露呈させたくないから。
…鳳もそうだけど、忍というのはやけに主を美化するきらいがある。
将として、戦の汚い面も知っているというのに、そういうものから遠ざけようとするのだ。
だからこそ、真田も臣下が同盟相手を調べていた事実を追及しようとしない。

「さて、願い出てくれた同盟の件だが、ぜひ。武田が西軍に参加してくれるとは心強いよ」
「! かたじけない!」
「せっかく大阪まで来てくれたんだ、三成にも会っていってほしいが…」
「甲斐を空けて来ている故…もともと長居するつもりもありませなんだ」
「そうか。…なあ、それならば、せめてあと少し話し相手になってくれないか。お前は三成と、少し似ているから。話していると楽なんだ」
「某が…石田殿に…?」

崇拝する相手がいて、本人はとても純粋で、そして、尊敬する相手を失ったとき、ただ一人を目指してしか生きられなくなる可能性を孕んでいる…脆い魂。
ちらりと猿飛に視線を移せば、同じことに思い及んだのか、真田をじっと見つめていた。
真田には好敵手たる伊達、信玄公が目指した家康、固執し得る男がいる。
なにかを違えれば、真田もまた容易に三成になる。
そうならないよう、猿飛が常に気を張っているんだろう。

「真田と同じように、三成は主たる秀吉さまを敬っていてな。…ふふ、お前と信玄公のように、賑やかではなかったけれど」
「…豊臣秀吉……某も、お館様を殺されていたならば、石田殿のようになっていたのであろうか……」
「お前はきっと大丈夫。良い縁に恵まれている。猿飛を大事にしろよ」

猿飛は真田に光を見出しているようだし、みすみすその輝きを絶やすことはない。
真田が、三成のように鬼に堕ちることは起こり得ないだろう。
…そう考えると、いかに俺が至らなかったかを痛感する。
そばにいながら、秀吉様が殺されるまさにその場に居合わせながら、三成が復讐に染まるのを止められなかった。
三成の、秀吉さまへの依存が強かっただとか、俺と三成の絆が弱かっただとか、言い訳はいくらでもできる。

「…長束殿、貴殿が気落ちしている理由を某は知りませぬ。だが…たった一人で軍を率いることなど不可能、と…某、まさに強く感じておりまする。石田殿のそばには長束殿がいるべき、と…差し出がましくも、進言させていただきたく」
「ああ、…ありがとう。まさか、真田に励まされるとは思わなかったよ」
「次に大阪へ参る機会がござらば、ぜひ石田殿とお会いしとうござる! 一度手合わせ願いたいと、お伝えいただけるか」
「もちろん」

力強く頷いて見せれば、真田はにっこりと笑んだ。
大将を任されて以来、思い悩んでいた様子と聞いていたが笑みを見て安心した。
真田は問題ない、この戦いが終われば、必ず再起して武田を興すはずだ。
…ああ。連帯してくれる軍が増えるごとに、思い知らされることがある。
俺たちは泥舟だ。
世は日に日に徳川の治世を望む声が強くなっている。
それはそうだ、ただ家康を殺すことのみを念頭に掲げている豊臣と、住み良い世界を作ろうとする徳川。
どちらに国を任せたいかなど、一目瞭然だ。
こんな沈みゆこうとしている船に、なぜ輝かしい未来が待ち受けている男を乗り込ませられようか。
三成を生かしたい。本願を果たさせたい。でも、それ以上に。俺たちは日ノ本の未来に求められていない。
秀吉さまの統治が誤っていたわけではないのにも関わらず、だ。
国が強くなれば、それだけ侵略の危険性が低くなり、添い遂げたい相手と永く共に在れる。
秀吉さまは俺たちに情を持つことを禁じたけれど、民にそれを求めたことはなかった。
少なからず、大阪の民たちは秀吉さまを主として戴いていた。
それを悪しきものとして一方的に断罪したのは、家康だっていうのに。

―――真田」
「? いかがされたか、長束殿」
「いや。…悪い、なんでもない。俺たちの手で、必ず日ノ本を良い国にしよう」
「うむ! よろしくお頼み申す! それでは某たちはこれにて」
「ああ」

門まで真田たちを見送って、遠くなる背中に大きく手を振り続けた。
三成を生かしたい。真田や長曾我部たちを死なせたくない。それは両立し得ない選択。
真田たちが見えなくなって、上げていた腕を下ろす。
なんのために力を蓄えるのか。
織田のように、主を失ったのであれば静かに衰えるべきではないのか。
滅びるべきといつ頃からか気づいていた。
それでも、俺も家康を殺したい。
ざまあみろと笑ってやりたい。
俺たちが味わった絶望は、こんなものではなかったのだと、日ノ本中に叫んで回れたら、幾分か溜飲は下がるのだろうか。
三成のそばにいられれば、それで良かった。
秀吉さま、半兵衛さまが創られる世で、腕を奮えればそれで幸せだった。

「………三成」

三成に会いたい。
こんな考えは秀吉さまへの裏切りだと、一蹴してほしい。
家康を殺して、この国を平らげ、秀吉さまの教えで導くべきだと叱ってくれ。
なんで、どうして、愛おしい人は死んだほうが幸せだと思わなければならないのか。
たとえ秀吉さま亡き世でも、生きていたほうが満ち足りていると、どうして胸を張って言えないのか。
分かりきっている。
秀吉さまを失い、憎むべき相手を葬り去り、誰もがいなくなった世で三成は何を心に灯して生きていけばいいのか。
そんな問いが、ずっと、胸にこびりついているからだ。

「……鳳、ひとつだけ、弱音を聞いてくれないか」
「正家様……?」
「俺が、三成の生きる目的になれたならば、どれだけ良かっただろうなあ…」

後ろに控える鳳から応えはない。
心配そうな表情を浮かべているだろう鳳が容易に想像できて、無理矢理に笑顔を象り振り返った。

「悪かったな! さて、三成の帰城に備えよう。どこに行ったのかは聞いていないが、きっと不機嫌で帰ってくるぞ」

門をくぐり、城へ足を向ける。
きっと、三成と言葉を交わせば、俺はまた元気になれるのだから。

* * *

「三成!」
「正家。私が城を空けていた間、何もなかったか」
「そちらに忍を送ったろう。武田と同盟を組んだよ」
「武田…? 甲斐の虎か」
「今虎は病に伏していてな。大将は真田幸村だ」

真田が帰路についてから数刻後、吉継を連れてどこかへ用を済ませに行った三成が戻ってきた。
吉継は疲れたとすぐに部屋に戻ってしまったため、こうして場内を歩きながら三成と状況の報告を行っていた。

「三成たちは? 今日は誰のもとへと行っていたんだ」
―――…他愛も無い、小国の将だ。兵卒の数を見ても足しにはならん」
「そんな規模の軍に、わざわざ三成と吉継が赴いたのか? …秀吉さまの昔なじみとか?」
「いや。…だが、そうだな。意義ある時間だった」

三成の手がぽん、と頭に添えられ、そのままぐしゃりと一度髪を乱して離れていった。
不機嫌で帰ってくると思われた三成は予想外なことに、殊の外穏やかに頬の力を緩めていた。
瞳も柔らかな光を携え、本当に良い時間を過ごしてきたと思われる。
…だというのに、どうして俺には相手を教えてくれないのか。
むすりと唇を尖らせて不満を訴えてみると、それに気づいた三成から厳しい視線が返ってくる。

「童のような真似をするな」
「教えてくれない三成が悪い」
「そう唇を尖らせていると、食まれるぞ」
「はま、……へえ、誰が好き好んで俺みたいな男の唇を食むんだか」

珍しい三成の冗談に、悪ノリして冗談を返す。
わはは、と笑ってそのまま歩を進めていると、急に腕を取られてつんのめった。
後ろを振り返ると、一歩後ろにいる三成が俺の腕を掴んでいる。

「…三成?」
「誰が、だと?」
「なんだよ、そんなに怒るなよ。卑下したわけじゃ、」
「貴様を好きにしていいのは、私だけだ」
「ッみつな、ぅ」

開いた距離を詰めるように三成が一歩大きく踏み出し、美しい顔が目の前に迫った。
そのまま本当に口づけをされるのかと身構えると、親指で唇をなぞられる。
俺の唇を撫でた指はまっすぐに三成の唇に向かい、そっと触れ合った。
あまりの淫靡な光景に、硬直したように体が動かなくなる。
なにを、なんで、どうして。
呼吸の仕方すら忘れ、棒立ちで三成を見つめていると、親指と重なり合った唇が、緩く弧を描く。

「何を呆けている。行くぞ」
「へ、あ、そう、だな。悪い」

そう、そうだ、俺は豊臣の将で、三成は豊臣の現大将で、つまり俺は三成のものだから、そう、三成には俺を好きにする権利がある。
みっともなく子供のような仕草をしたのだから、窘められて当然だ。
他意はない、そう、三成は昔のように、俺を躾けただけ。
炎が出るかと思うくらいに熱い頬を冷やすのに精一杯で、俺は先を行く三成の耳も同じように赤くなっていることに気づかなかった。

空く


「おたくの主さんもお硬いというか、陰気臭いというか。お前もよく仕えてるよね」
「黙れ。少なくとも貴様の主と違って正家様は惑ったりしない」
「えー? そうは見えなかったけどなあ、迷いっぱなしって感じで、さ」

明るい茶色の髪を持つ忍と、全身黒装束に包んだ忍が、大坂城すぐ近くの森で睨み合う。

「ま、これで俺様とお前の約定も果たされたってわけね。名実ともに盟友ってことでさ、そんなに殺気を向けないでくれない?」
「……正家様のためだ。武田は大阪と徳川を挟むのに良い国というだけで…」
「はいはい。じゃ、あとは上手くやってよ。俺様も大将に死なれるのは困るんでね」
「言われなくとも」

言葉少なに、忍たちは正反対の方向へと消えた。
彼らの主たちはこの邂逅も、何も、知らない。
草と侮られる忍だからこそ、彼らは願うのだ。
どうか、我を照らす光を奪わないでくれ、と。
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