指先 | ナノ
遠く先を見据える目は彼の賢人の如き光を携えている。
つい先日三成によって負わされた傷が開くやも知れぬというに、強硬に刀を帯び、ついてきた正家。
諫める忍の言葉を留めさせ、布で固く利き腕を固定し、刀を握っている。

「豊臣は死んでいないと世に示すときだ、吉継、この布陣にぬかりはないよね」
「なかろう。…いや、われらに布陣などあってないようなものよ。三成がおる故」
「あー…」

われの言葉に苦笑を浮かべ、正家が後ろを振り返る。
そちらからは三成が歩み寄って来ていた。
われら二人に目を向けることなく三成は先を行く。
その後ろ姿を、正家は眩しそうに目を細め見つめる。
…三成の太閤への崇拝をからかえぬ程には、ぬしも三成に傾倒しておるぞ、正家。

「三成はただ前に突き進めばいい。背は、俺らに預けてくれ。…俺らを、信じてくれるね、三成」
「……疑う余地などない。早く行くぞ」
「了解!」
「あい分かった、進め、ススメ」

傷により震える腕を三成の死角に隠し正家は笑みを浮かべる。
三成もそれに気づかなんだようで、一瞥もせずに一人先陣をきった。
…まっこと、世話のかかる奴らよ。
賢人があれらの面倒をわれに言いつけ逝ったのも納得がいく。
──ようやっと分かった、賢人。ぬしの労苦、傷み入る。
ふうと息を吐いて先を進む。
筆より重いものを持てぬ正家の道は、われが拓かねば。

「面倒よなァ…あれらの世話は」

嘆くように吐き出した文句に喜色が含まれていたことなど、知りようもない。

* * *

赤く染まった地に立っている私の他に命ある者はない。
常の戦ならば、私がこうしていれば半兵衛様が労りのお言葉をくださり、秀吉様が褒めてくださる。
声が掛けられはしないかと来た道を振り返るがお二方のお姿はない。
……そうか、お二方は、本当に、亡くなられてしまったのか。

「三成」

近寄ってくる足音に目を向ける。
戦が終わっても尚刀を握る手には布が幾重にも巻きつけてある。
柔和な笑みを浮かべた正家に怒りが沸いてきた。
半兵衛様が亡くなられた、秀吉様が亡くなられた。
それなのに、なぜ貴様はそうも笑っていられる。

「返り血くらい拭えよ」
「笑うな」
「…え?」
「なぜ笑っていられる。秀吉様が亡くなられたというのに」
「……いつまでも落ち込んでいたって、秀吉さまも半兵衛さまも帰ってくることはない。
だったら、先を、未来を見据えて笑った方がいいに決まっている」
「よく考えれば、貴様は悲しんでなどいなかった! 家康に秀吉様が討たれたあの時もただ撤退を命じていたな!」
「秀吉さまの死が兵に与える影響を考えただけだ。下手したら、俺たちは全員あの場で殺されていたかもしれない」

理にかなっている言葉に反論出来ずに口を噤む。
真摯な目は真っ直ぐ私を射抜く。
…刑部も、あの時の正家の判断は正しいと言った。
家康は躊躇なく正家を殴った。
…………………。

「……………私に、信じさせろ。貴様は、信用に値すると」
「……それは、今日までに何回言ったかな…。…三成を裏切るくらいなら、死ぬよ。裏切る前に三成が殺してくれ」
「何度言えば分かる。死ぬことは許さない」
「だから裏切らないって言っているだろう、もう」

噛み合っていないような言葉の応酬が続く。
私を真っ直ぐに見上げてくる正家の目に疑わしい色は見られない。
…いや、分からない。
あの男、…家康だって、偽りの光を目に宿していなかった。
信じたい、正家は、正家と刑部、行長は、信じていたいのだ…っ。
こいつらを信じられねば私は真の孤独に落ちる。
やめろ、私を一人にするな、この真っ暗闇に置いて行くな、──正家。

「ごめん」
「っ! やはり私に後ろめたいことが、」
「朝鮮出兵の談合で、怒鳴って悪かった」
「……は?」
「ずっとそれが引っかかっていた。だってあれ以来、俺らちゃんと会話してないんだぜ」
「…」
「俺は三成を裏切らないし、ずっと三成の傍にいるから! 今までだって一緒にいただろ?」

ぎこちなく右手から刀を離し、鞘に納めた正家。
そして、左手を伸ばして慈しむように私の頬を撫でた。
正家の笑みに違和感を抱き、ふと視線を落とすと──赤が滲む右腕の布。
それを視界に認めた途端に手が勝手にその腕を掴み上げていた。

「いたっ」
「これは何だ」
「…、戦で、怪我して」
「戦前から巻いてあっただろう」
「……………見てたのか」
「これは、………私がつけたのか」
「違う、その、打ち身、だよ」
「刑部が、私が半狂乱になり貴様を傷つけたと言っていた。まさか、私が、血の出る程の傷を、」
「…俺が悪かったんだ! お前が刀を抜いているのに迂闊に近づいたから、だから三成は悪くない、な?」

私の手を優しく握って正家は笑う。
その笑みを作る顔には脂汗が浮かんでいて、…無理をして、私のために笑っているのだ。
その、健気とまでに言えるような態度にたまらなくなり、握られた手を引いて正家を抱きしめた。

「! っな、み、みみみ三成!」
「馬鹿め」
「…え?」
「貴様は馬鹿だ。そうまでして私を守ろうとするな。その傷は私がつけたのだ…そう、責めてくれ」
「……………三成」
「…悪かった」
「……ああ」

私の謝罪に、驚いたような表情を見せた正家は腕の中で見上げてきた。
驚きの表情もすぐにはにかむような笑顔に変わる。
何故か赤くなっている頬もその笑みに花を添えているように感じる。
…そうだ、こいつは私を裏切らない。
何故私は正家までをも疑ってしまったのか。
…それもこれも、あの男の所為だ。
血に染まる、屍が横たわる戦場で抱きしめ合うこの光景はなんと異様なものなのだろうか。

「無理をして死なれては困る。貴様は出来ることだけをしていればいい、出来ぬと分からばすぐに退け」
「そうも言っていられない。今、豊臣は危ない状況なのだから」
「……死ぬことは許さない、傷を負うこともだ。私から離れるな、手の届く距離にいろ」
「……! 分かりましたよ、大将!」

楽しそうに笑って正家が言葉を返してくる。
何が楽しいのか、私を大将と呼ぶな、言ってやろうとしていた言葉は飲み込まれてしまった。
…この笑顔を見てしまってから、文句をつけるなど出来ようはずもない。

幼気な誓い


太陽の光の中で抱き合う二人の間に、飴色が光を反射し、輝いていた。

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