指先 | ナノ
「正家様!」
「どうした? 鳳。そんなに急いで」
「徳川が豊臣に宣戦布告いたしました!」
「……何…?」

顔を青くして現れた鳳。
家康が…謀反だと?
あり得ない、あの家康が?
つい先日話したばかりだと言うのに。
……いや、謀反とは限らない。
朝鮮出兵を止めるためにやむを得ずに兵を挙げたのではないか。
もしそうならば、家康を討たせるわけにはいかない。

「…鳳」
「は」
「戦準備をせよ。水口城にいる兵たちにもそう命令してくれ。直吉にもだ」
「承知!」

鳳に命じて立ち上がる。
戦装束に着替え、防具を持って廊下に出た。
思い出されるのは、最後に会った時の家康の様子。
俺を徳川に誘い、己が天下に泰平をもたらすと言った家康。
……まさか、豊臣を潰して徳川が天下統一すると…そういう意味だったのか…?
不安が胸を締め付けるままに、早足に歩く。
廊下は騒々しく、鎧を着込んだ兵たちが行き交う。
戦装束に着替えながら廊下を行く。
廊下の先に目的の姿を見つけ、駆け足で追いかける。

「吉継!」
「…正家か、久しいな」
「皮肉は後でいいよ。家康が豊臣に宣戦布告ってどういうこと」
「やれ正家…待っていてやるからまずは防具を身につけよ」
「う…分かったよ」

半端な恰好を揶揄され、防具をつける。
吉継は俺に手を伸ばし、鎧の隙間を埋めるように紐を結ってくれる。
…吉継は、普通だ。
いつも通りに戦の支度を整えている。
俺は手がもたついてなかなかいつも通りにいられないのに。
吉継は、謀反だと思っていないのだろうか。
家康の宣戦布告に対して、不安を覚えていないのだろうか。

「…吉継、」
「ぬしの言いたいことは分かる。徳川が真に謀反を働いたかどうか、であろ」
「ああ。吉継に何か報告は…」
「ない。ぬしの忍が言うた通り、徳川が豊臣に対して反旗を翻した。それだけよ」
「……本当に謀反なのか? その…朝鮮への出兵を止めさせる為、ではなくて」
「さあなァ。われには分からぬ。当人に聞いてみなければ」
「……………分かった。じゃあ、俺に先鋒を任せてくれ。布陣は…、えっと、今から決めようか」
「──そうであったな、賢人は既に、沈黙したのであった」
「…ああ」

兵たちへの命令を済ませた鳳から紙と筆を受け取る。
戦場となる地を聞き、その地の地形を図に示す。
…一つ前の戦では、半兵衛さまと共に考えていた布陣。
そうか…これからは俺と吉継だけで軍師としてやっていかなければならないんだ。
布陣を決め、吉継と別れた。
後ろに控える鳳に声をかける。

「兵たちの準備は」
「滞りなく」
「俺が先鋒だ」
「承知いたしました」

鳳から刀を受け取り城を出る。
頭をぐるぐると回る考え。
それをなるべく深く考えないようにして馬に乗った。

* * *

戦場に立ち、一つ息を溢す。
久々の戦だな。
謹慎していたとはいえ、鍛錬は毎日欠かさずしていた。
体が鈍っていることはないだろう。
後方から大軍がやってくる音がする。
振り返れば、ここ数日見なかった姿。

「やあやあ、正家。ご機嫌麗しゅう」
「…戦前にそんなこと言うの、行長だけだよ」
「やぁって、話すん久しぶりやん」
「皮肉は後で! …それより行長はさ、」
「徳川の挙兵は明らかに豊臣に対して敵意を含んでるで。正家は徳川の大将とよぉ仲良うしとったから分からんかったやろうけど…。徳川の大将サンは、豊臣傘下っちゅうことに屈辱を覚えとったで。耐え忍ぶ、ゆうんかな」
「……嘘だ」
「…さあ、正家、奴さんが来る。刀、抜いとき」

俺の言葉の先を捉えて行長は淡々と言う。
ぽん、と優しく肩に手を置く行長。
ぐるぐるぐる、頭が回る。
家康が、豊臣臣下であることに耐えていた?
俺たちと共にいることに、屈辱を感じていた?
それじゃあやっぱり…これは、謀反、裏切り、なのか。
秀吉さまの意を変えるため兵を挙げたのではないのか。
分からない、分からない。
あの太陽の心が、分からない。

「正家様!? どこに行かれるのですか!」
「正家!」

後ろから聞こえる鳳と行長の声を無視して馬を走らせる。
目指すは敵方本陣、家康の下。
俺を阻むように群がる兵に馬が足を止める。
馬から下り、雑兵を相手取る。
横に薙ぎ背後に回って斬りつけて。
突いて斬って蹴り飛ばして。
俺に追いついた鳳、兵たちも徳川の兵たちを倒していく。
目にちらつく葵の紋に、敵が本当に家康だということを嫌でも理解させられる。

「鳳! 敵本陣はどこだ!」
「此方より南東、左手の崖にござります」
「…また、ずいぶんなところに陣を布いたな」
「徳川家康を守るための布陣なのでしょう」

左に見える崖を見上げる。
崖と共に見える空の色は暗く、今にも一雨来そうだ。
ごろごろと音が空から鳴る。
ああ…神も怒っているのだ。
そこで脳裏を過ぎったのが三成だ。
三成も怒っているのだろうな、家康が秀吉さまに弓引いた、歯向かった、斬滅してやる、と。
そういえば、あの会議で喧嘩した後、顔すら合わしていないんだなあ…。
鳳たち忍衆が敵を片づけてくれていることをいいことに物思いに耽る。
このまま話せなくなったりして。
…それでも俺はあの日の約束を守るだけ。
首にかけてある「ねっくれす」を見る。
俺は何があろうと三成のそばにいるよ、三成。

「正家様! 火急の知らせが!」
「何だ!」
「秀吉様が本陣より出、徳川方本陣へと向かった模様!」
「な……!? 本陣前には正則と清正を置いておいただろう! 二人が大人しく通したというのか!」
「秀吉様に脅され、通すしかなかったとお二方はおっしゃっておりました」
「…くそ! 己に振り分けられた役割も分からぬほどの馬鹿だったか! 知将を一人置いておくんだった…! 俺の失態だ!」
「正家様…如何致しましょうか」
「…徳川本陣への道を作れ! 敵方本陣を急襲し、後退させる!」
「承りましてござります」

俺の命を受けた兵と鳳に指揮された忍衆が敵に襲いかかる。
道とは言い難いがそれでも敵がいない隙間が出来る。
そこを縫うように走り、崖の比較的緩やかな斜面を駆け抜ける。
崖の頂上に辿り着いた瞬間、稲光が空を走った。
あまりの光に目を瞑り、開く。
ちかちかと光る視界に、秀吉さまと家康が対峙している様子が映った。
良かった、間に合った。
刀を抜いて家康に斬りかかろうと重心に体重をかけた。
かけた、のだが。

「半兵衛よ…次は何を目指そうか……」

弱い声でそう呟き、秀吉さまのお体が後ろに、ゆっくり、倒れていく。
どしん、と酷く鈍い音をたてて地に付した秀吉さま。
その胸やお顔、腹は血に塗れていた。
秀吉さまの前には、拳を紅に染めている、家康。

「…ひで、よし……さま?」

からん、刀が力の抜けた手から落ちる。
かたかたと震え、、目の前の光景を信じたくないと震える体。
震える足で秀吉さまのお体の横に跪く。
心の臓が鼓動している筈の箇所に手を当てるも、その振動は伝わってこない。

「秀吉さま………ッ」
「…正家、」
「家康、家康、家康…! お前、一体、何を!!」
「……見ての通りだ」
「家康…ッ!! お前ッ!」

淡々と答える家康に、刀を拾い斬りかかる。
喉を斬り裂く──その寸前に、腹に重い衝撃が走る。
殴られたと理解する前に体が吹っ飛ぶ。

「か、は……………ッ」
「正家様!」
「おお、とり…っ」
「徳川家康、何てことを!」
「いい、いい…から、早く……全兵、撤退させろ…!」
「! …承知致しまし、」
「正家様! 此方に三成様が向かっておいでです!」
「…近づけるな! 無理にでも押し止めろ、撤退だ!」
「いえ、もう…!」

痛みを訴える体を無理やり起こし、報告に上がった忍を振り返る。
切迫した顔のすぐ後ろで、何かが崖から現れた。
…しまった、遅かった。
肩で息をし、いつも以上に顔を白くしている三成が、そこにはいた。

「三成…!」
「はぁ…ッ、は、…っはぁ……!」
「三成、駄目だ、撤退だ、早く帰ろう、三成、」
「邪魔だ!!」
「!!」

三成にあの光景を見せまいと立ちはだかる。
しかし、三成に押しのけられ、転んでしまう。
その拍子に、家康から受けた一撃が痛み、血を吐いてしまった。

駄目だ、三成、見るな───。
胸を押さえ、手を伸ばすが、空を切るばかり。
三成は、秀吉さまのご遺体の前に立ち竦む家康に斬りかかる。
それを家康は軽く跳んで避ける。
家康は地に着地することなく、後方から飛んできた本多の背に降り立って去っていった。
家康が去っていった曇天から、大きな雨粒が落ちてくる。

「いえ、やす……ッ!! 降りてこい、家康!!!」

小さくなる姿に届かないとは知りながら叫ぶ。
…分からない、何故、こうなってしまった?
家康を目で追っていた三成は我に返ったようによろよろと秀吉さまのお側に歩み寄る。
そしてそのまま秀吉さまの傍らに崩れ落ちた。

「あ……あああ…ああ……」

か細い声で嘆くように声を零す三成。
震える手で秀吉さまの御手に己の手を重ねる。
俺の隣には、いつ来たのか、吉継がいる。
縋るように視線を合わせるが、静かに首を横に振るだけだった。

「うおおおおおおおおお…っ!!」
「……三成…」
「…」
「家康…貴様を許さない…ッ! …っうあああああああああ!!」

う、う、と嗚咽を漏らし泣き咽ぶ三成。
俺も吉継も声をかけられずただ嘆き涙を流す三成を見守るだけ。
───どうして、こうなってしまったのか。
頬を雨が滑る。
大切な、愛しい日常が音もなく崩れ去ったことに、嫌でも、気づかされた。

狸と狐と蝶と隼


そうか、裏切られたのか。
思い至ったその瞬間、家康に殴られた胸が痛んだ。
いや、違う、この胸の痛みは────。

「秀吉さま…っ」

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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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