指先 | ナノ

目が覚めて分かったことは、夢を見ていたらしいということだ。
とても恐ろしくて悔しくて、しかし涙が出るほど嬉しくもあった。
目を開いた瞬間、唇から零れたのは三成の名だった。

「…なんかすっきりしないな」
「お水をお飲みになりますか」
「うわっ!? …ああもう、鳳……驚かせないでくれよ」
「…声はかけたのですが」
「……悪い、俺が気づかなかっただけだな」

ふう、とため息を吐いて起き上がる。
着替えの用意を始めると、静かに鳳が部屋から出て行った。
別に着替えくらい見られたっていいんだが。
…昨日まで忙しかったからあんな夢─といっても内容は覚えていないが─を見たのだろうか。
戦後処理で大変だったからなあ。

「――…みつなり、」
「何だ」
「!!? 何で三成がここに!? いつの間に!」
「貴様を呼びに来たのだ。貴様が来ないために食事を作れんと女中が私の元に来た。その様子では寝過ごしたようだな」
「あー…っと、うん…変な夢を見て」
「……早く朝餉を用意させろ。半兵衛様が待っていらっしゃる。刑部もだ」

起き抜けに口にした三成の名。
それは、己の普段の様子からは想像もつかない程の甘さを孕んでいた。
その時と同じように、三成の名を呼んでみる。
甘やかな響きを伴って音となった、返事など返ってこないはずの呟き。
それに本人からの返事があったのだから、驚かずにはいられない。
驚いて後ろを振り向くと襖を開け放っている三成がいた。
不機嫌そうに顔をしかめ、俺の頬を軽く引っ張った。
そんな三成の些細な行動にさえ愛しさが溢れ出る。
苦しくなり、涙が出そうになるくらいに三成が好きだ。
あの寝言はきっと、そんな俺の思いの現れなのだろう。

「ん。ごめんな、これから厨に向かうよ。半兵衛様も吉継も、今朝は調子良さそうだった?」
「ああ。顔色も悪くなかった」
「それなら良かった」
「私が刑部の包帯を替える。貴様はさっさと朝餉の監督に向かえ」
「はいはい」

三成が部屋から出て行くのを見送ってから厨へ向かう。
いつの間にか鳳が後ろに控えている。
良い忍を雇えたものだと今更に思う。

「…さて」

今日は何にしようか。

* * *

「はいっ、三成、吉継。待たせて悪かった」
「全くだ。半兵衛様には渡し申したのだろうな」
「ああ」

膳を持った忍二人を引き連れ正家がわれの部屋へと入ってくる。
われが女中を近く寄らせるのを厭うわれを思ってのことだ。
にこにこと、常よりやや顔色を青くさせた正家が座敷に腰掛ける。

「正家」
「何?」
「顔が青い。如何した」
「……鳳にもバレなかったのに。吉継には隠し事が出来ないな」
「何…? 貴様らしくもない…。……まさか、貴様まで病などと言わないだろうな!」
「いやいや…病ではないけど……夢見が悪かったんだ」

ひょいひょいと箸を素早く動かし食事を平らげている正家。
これほどの食欲があるならば病ということはなかろう。
夢見が悪いと言い笑う正家の顔色はやはり優れぬ。
…こやつは何かと、先々のことを感じ取る者。
悪夢を見たとは何と縁起の悪い。

「どんな夢だ」
「さあ…よくは覚えていない。ただ、酷く恐ろしく、そして甘やかな夢だった」
「……貴様らしく、意味の分からない夢だな」
「俺らしくってどういうことだ? え? 三成」

軽口を叩き戯れる三成と正家の姿はなんと歳不相応であろうか。
胸が暖かくなるのを感じながら二人を見遣っていると、食事を食い終えた正家が三成の真正面に正座した。
なかなか食事に手を付けない三成と、三成が食事に手を付けるまで見つめ続ける正家の根競べ。
三成との根競べなど、あの徳川ですら裸足で逃げ出すほどよ。
だが正家は持ち前の根気強さでいつも三成を負かす。
全てを平らげないにせよ、半分を食せば正家は満足そうに微笑んで膳を下げさせる。
賢人、三成の生活の管理にわれの世話…。
一日の仕事の半分は武士のそれでないこの将は。
…なんと、……。

「三成」
「椎茸は嫌いだ」
「好き嫌いするな」
「……………刑部」
「われは助けぬぞ」
「…………」
「うん! よく食ったな、三成」
「私は童ではない」
「…われには、ぬしらがただの昔馴染みには見えぬわ」

三成の髪を乱すように撫で、今日は全てを平らげた三成から正家はこちらに視線を向ける。
われの膳を見、満面に笑みを浮かべる。
にこにこと嬉しげに此方へと近寄り膳を持ち上げた。

「お粗末様、吉継」
「食いたくなくとも箸が進むのよ。ぬしは本にわれの好みを分かっておるな」
「美味しく作っているのは女中たちだ、俺は何もしていないよ」

忍と共に膳を持ち部屋から出て行く正家。
たらふく食い一息吐く。
…あれも、少しは休めば良いものを。
小田原攻めの全権を担い、精神的に疲れているだろうに。
われにも三成にも、弱った部分を見せたがらないあれに忍が就いたのは良かったのかもしれぬな。
あの忍はあれの手によって草にあるまじきものを宿し、そして心底あれを慕っている。
良い意味でも悪い意味でも、な。
われが思考の沼に沈んでいると不意に三成が立ち上がる。

「…私は茶を淹れるぞ」
「そうか」
「……」
「…あァ、われも茶を飲みたい気分よ。頼まれてくれるか、三成」
「フン、……ついでだ」
「うむ。濃いめで頼むぞ」
「それくらい心得ている」

ああ、正家が出て行ってから随分と時間が経ってしまっていた。
われはそんなにも物思いに耽っていたのか。
あれのこととなると、…いや、あれと三成…あの二人のこととなるとわれの心は落ち着かぬ。
…そうか、きっと、そうよ。
われは、あれらに降りかかる不幸が楽しみでならぬのだ。
太閤しか目に入らぬ三成、三成しか目に入らぬ正家、そして天下にのみ目が向いている太閤。
太閤を失った三成は、三成を失った正家は、天下を誰某に奪われた太閤は、如何様な絶望を見せてくれるのか。

「吉継様!」
「…やれ、如何した」
「正家様と三成様が……ッ」
「……………はあ。われに休息はないのか」

正家の忍が表情を固くしてわれの部屋に現れた。
正家と三成が、何をやらかしたのやら。
そう言われてみれば、何やら廊下の先からけたたましい音が聞こえてくる。
……やれ。三成の怒声が一番耳障りよ。

「われの輿を」
「こちらに」

輿に乗り上げ廊下に出る。
騒ぎのする場所に近づくにつれ、正家の声が聞こえるようになってくる。
先程は三成の声で聞こえなんだが、近寄ってみればよく分かる。
あれがこうまで怒り心頭となるのは珍しきことよ、メズラシキな。

「その腐りきった根性を!! 叩き直してやる!!!」

まるで三成かのような怒号が響く。
それと共に聞こえるは鈍い音。

「刑部の何を知りその口で謗る! 言葉にするのならば本人を前にする度胸を持ってからにしろ!」
「武士たるが如何なる者か知らないのか! 豊臣の名を汚すならば俺が粛清してやろう!」
「止めやれ、三成、正家。大きな騒ぎとなっておる。賢人の手間を更に増やす気か?」
「っ、吉継」
「…………刑部」

目くじらを立てた三成、正家がこちらを振り返る。
二人の周りには片頬を腫らした男共が倒れている。
女中が賢人の御部屋に行くのが見えた。
これ以上騒いでは賢人の気苦労を増やすのみ。

「忍」
「は」
「賢人に伝えて参れ。『場は大谷が収めた』とな」
「承知」

頷くのと同時に姿を消した忍に背を向けた。
われに睨まれ気まずげに視線を落とす、手のかかる、賢人の言う、「弟分たち」。
はあ、とため息を吐くと二人して肩を微かに揺らす。

「…われの部屋へ戻るぞ」
「…はい」
「…………………」

しゅんと頭を下げる正家と不機嫌そうにあらぬ方を睨みつける三成。
まったく、こやつらはわれが失し後にどうするのだろうか。
行長がこうしてこやつらを止められるとも思わぬ。
賢人、太閤に手間をかけさせる訳にもいかぬ。
…どうしたものやら。

「事の経緯は」
「……膳を片付けに行ったときに…」
「…」
「吉継の陰口を言う奴がいて。かっときて、気づけば殴っていた」
「…私がそこにちょうど通りかかった。正家の周りに集まった中にも、刑部を中傷する者がいた」
「………それで殴り回したというのか」
「う………」

二人並べて正座をさせる。
正家は反省の色を見せているが、やはり、三成はその色を見せぬ。
この男は己を偽る術を知らぬ故、起こす行動は全て、確かにその意に沿い形となったもの。
正家も、己が真髄を曲げるのを嫌う性分。
自分の評価を上げるために起こした行動ではなかろう。
……………この愚かな男共は、われが為に斯様な騒ぎを起こしたのだ。
われが為に腹を立て、拳を赤くしてまで殴ったのだ。
…まっこと愚かしい。
われのような病躯の男を庇うなど、愚かとしか言いようがないわ。

「…もう良い。今後、あのような騒ぎは二度と起こすな」
「…」
「殴るのがいけないのか? ならば私は斬るぞ」
「そのようなことを言うているのではない。暴れては半兵衛殿に負担がかかる、と言うておるのだ」
「……でも、あのような輩を放っておくのも…」
「言わせておけば良かろ。われはどうとも思わぬ故」
「………そんなわけ」
「われが言うておる。われは、傷つかぬ」
「……………」

分かった、と小さく零し正家は口を閉ざした。
…ああも悲しげな顔をされては、われが悪いことを言うたような気分にさせられる。
正家は、われと価値観を共にする者ではない。
これは、徳川と似た感覚を持っている。
豊臣の将には似つかわしくない感性の持ち主だ。

「吉継さん、入ってもよろしいですか?」
「…うむ、構わぬ」

襖の向こうから声をかけられる。
聞き慣れた声に返事を返す。
その声に正家が反応し笑顔を浮かべる。
あの三成まで、表情を緩めている。
開かれた襖から見えるは甘栗色の髪。

「失礼いたします。――兄様。やはりここにいらっしゃいましたか」
「直吉!」
「秀吉様がお探しでしたよ」
「久しいな直吉! 元気だったか? お前が秀吉さまの馬廻となってからあまり会えなく、俺は寂しかったんだぞ」
「もう、兄様、僕の話を聞いてくださっていますか? それに、先の小田原攻めで共に兵站奉行をこなしたではありませんか」
「それはふた月も前の話だろう!」

先程まで落ち込んでおったというに、瞬時にその機嫌を直し弟のもとへと走り寄った正家。
そのまま腕を広げ、弟を抱きしめる。
長束直吉。正家の弟御。
兄より濃い髪を持ち、兄より容姿に秀でた直吉。
正家は、そんな弟をひどく可愛がっている。
やれ正家、三成の機嫌が悪うなっておる。
早に直吉を離しやれ。

「兄様!」
「うん、なんだ? 直吉」
「秀吉様が呼んでいらっしゃいました!」
「ああ、分かった。今から行くと伝えてくれ」
「はい! …それで、あの、鳳は」
「? 鳳ならここに」
「いかがなさいましたか、直吉様」
「……ううん。ただね、顔を見ておきたくて」

照れたように笑った直吉を見て、…うむ、分かってしまった。
直吉は、あの忍のことを。
直吉につれられ正家が部屋から出て行った。
…やれ、このいじけ虫の相手はわれがせねばならぬのか。

「…刑部」
「何ぞ」
「私は不義を許さない」
「ぬしのことは知りすぎているくらいよ。われがそのようなことも知らぬと思うてか?」
「貴様がなんと言おうと、私はあのような下郎を捨て置けぬ」
「…ならば言葉を変えよう。いいか? ぬしが一人、われを謗る者を斬れば太閤の力を一つ欠くことに、」
「だから、貴様は私から離れるな。私と正家を置いて死ぬような真似は許さない。
秀吉様と、半兵衛様にご迷惑をかけぬ為にも」
「――…」

三成の思いもかけぬ言葉。
自然と胸が暖かくなる。
われに死ぬなと言うか。われに傍にいろと言うか。
ぬしは、われが何たるか理解しているのか?
うつるやもしれぬ業を抱える不吉の者ぞ。
不幸しか呼び寄せぬ悪鬼ぞ。
それを傍らに置きたがるなど、やはりぬしは自ら好んで損に向かう男よな。

「…あい、あい。よう分かった」
「その言葉、違えることはないな」
「当然よ。そしてまた、正家にも言えること」
「…正家もか」
「ああ。正家がぬしと道を違えることはまず無いだろう」
「……………そうか」

かすかに頬を緩める三成。
口角を上げることはないが、真に珍しきことよ。
…少なくとも、三成には表情を緩めることが出来る場所があるということ。
われは、それに何故か安堵してしまう。

「…では私は行くぞ。家康が共に鍛錬しようと煩いのだ」
「ぬしも面倒なものに好かれたことよな」
「まったくだ」
「われは勘弁よ」
「……刑部、茶はまた後で用意する。それまでは正家にでも用意させておけ」
「…なんと、まァ、律儀な男よな」

山井の末にて、君よ、いづこ


「正家、呼び出した用件だがな」
「はい」
「…近頃、半兵衛の様子がおかしいのだ。以前より更に痩せ、紅も濃くなった。目の下の隈もはっきりしてきている。お前は半兵衛とよく共に過ごしているだろう。何か知らぬか」
「―――いえ。恐らく、小田原の件でお疲れになっていらっしゃるだけかと」
「ふむ、そうか…」
「………」
「それならば、半兵衛には無理にでも休ませねばならぬな。正家、何か良い言い訳でも考えよ。半兵衛がぐうの音も出せぬような」
「言い訳、ですか? ……そうですね、ならば、秀吉さま」
「何だ」
「半兵衛さまと湯治の旅へ出られたらどうでしょう。お二方は親友でありましょう、久方ぶりに二人きりで温泉を巡ってみては。家康が治める辺りには名湯があると聞いております故、東にでも」
「湯治、か。……うむ、良いな」
「では、手配を致しましょうか」
「いや、まだよい。半兵衛が何やらまた練っておるようでな。それが済んでからとしよう」
「………。承知致しました」
直吉について

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