指先 | ナノ
正家と鳳の初会合

「お初にお目にかかります、正家様」
「…こんにちは。君が甲賀の里長一押しの優秀な忍さんかな?」
「はい、その通りにござります」
「初めまして、俺は、知っているだろうが長束正家だ。よろしくな。お前の名は?」
「……名、ですか?」
「ああ。名を聞かなければ呼べないからな。教えてくれ。里長も教えてくれなんだ」

長束正家が豊臣秀吉より預かりし城、水口城の一角。
城主である正家の部屋には正家と一人の忍。
頭と口元を隠した忍に対し微笑みかける正家。
微笑んでいる、城主であり主である正家を無感情な視線で見つめ返す忍。
忍は訳が分からぬといった表情…は出さないが声音で言葉を返す。

「名などありませぬ」
「……名がない、だと?」
「ええ」
「…今までどうしてきたんだ」
「…正家様、私は一介の忍。いわば草にござりますれば。草に名をつける物好きがどこにおりましょうか。桜や梅といった大別はつけますが、花の一つひとつに名前はつけませぬ。それと同じで、忍もまた忍という一つの括りに出来れば良いのです。忍、と呼んでくだされば誰某が参じましょう」
「……………そうだな、それでは、俺は花一つひとつに名をつける数寄者だ。名がないと言うのならば、俺がつけてやろう」
「……………………は?」

ニコニコと楽しそうに話す正家に、忍は顔には出さないが厄介がる。
こうも面倒な主は初めてだ。忍が何たるか分かっているのか。
忍から溢れ出る雰囲気に正家は顔を困惑に染める。
──忍とは、悲しいものだな。
脇息に置く肘に体重をかけ、忍の主は心を曇らせる。

「せっかくだから縁起の良い名がいいな」
「………正家様が名付けてくださるのならば『呪』でも嬉しゅうござります」
「何を言っている。それでは、俺まで不運に見まわれそうだ。……そう、だな…」
「……………」
「……、…こちらへ」
「は」

来い来いと手招きする正家に近寄る忍。
先ほどより良く見えるようになった忍の顔をまじまじと覗き込む。
忍は、黄土の瞳に見つめられ、些かながら居心地の悪くなるのを感じた。

「うーん……。…もう少し、肩の力を抜いてくれよ。素のままでいいんだぞ」
「これが私の常態でござります」
「…………感情をそこまで隠す必要はない。お前は己を草と呼んだがな、忍もまた人だ。悲しみも苦しみも喜びも。さらけ出してくれよ」
「…正家様」
「何だ?」
「貴方様は忍の主には向いておりませぬ」
「な…」

真っ直ぐに正家を見つめる目に曇りはない。
その忍の目に、主であるはずの正家はたじろぐ。

「忍はただの道具。使えるだけ使い、壊れたならば捨てれば良いのです。道具に、感情など無用なものでしょう。ですから、正家様が私に対しその御心を痛める必要もないのです」
「──…なあ」
「は」
「顔を見せてくれ」
「……は?」
「主として、お前の顔くらい見分けられようにならねばならぬだろう。情けないが、俺は他の忍がお前に姿を変えても分からぬと思うのだ」

忍は冷たく、年若き主に警告をしたつもりだった。
しかしその主はニッコリと警告を流し笑う。
しかも、隠している顔を晒せと言うのだ。
…一体如何様なつもりなのか。
今度は逆に忍が正家を見つめる。

「…この顔は晒せませぬ」
「何故だ? 俺はお前の主じゃないか。警戒しないでくれよ」
「……………」
「…くの一だからといって、戦場に出さないなどと言わないよ」
「、」
「ふふ」

目を大きく開く忍に、正家は悪戯が成功した童のように無邪気に笑う。
その様にも忍は驚く。
将でありながら、何故斯様に純でいられるのか。
少なくとも、今まで仕えてきた将たちは――。

「驚いたろう? これでも人を見る目はあるんだ」
「…まさか、一目で察せられたので……?」
「ふふ、さあ、どうだろうね」
「…」
「驚く心があるのだ。感情がいらぬなど…言わないでくれ。皆がいる場では忍であってもいい。ただ、俺といるときくらいは人であれ。無理は承知している。俺が忍という者たちに不慣れな所為でお前に負担をかけるだろうが…」

そして忍は思い至った。
この、年若き主は、戦乱の世を生きるには相応しくないと。
狡賢くなく狡猾でもなく、欲もない。
己を雇ったのも、豊臣が為。
下が上を討つこの世で珍しいくらいに無欲な男。
時代に畳み込まれるように消えていくのが目に見えている。
……なんと、まあ。
純な所以が分かるというものだ。
守らねば。自然とそう思わされる。
惹かれるというのは、このようなことなのだろうか。

「……晒せば良いのですね」
「な、いや、無理にとは、」
「いえ、見て頂きましょう。私を見分けて頂けるよう」

そして、戦場にて私を見出して頂けるよう。
頭と口元を覆っていた布を外す忍。
布の下から現れるは絹をも彷彿とさせる白き肌。
ほう、と正家は感嘆の息を洩らす。

「…忍という者たちは、これほどまでに美しいものなのか」
「美しい…私が、ですか」
「お前以外に誰がいる」

顔を満面の笑みに染め、忍の頬に触れる正家。
その目に情欲の色は無い。
ただ単なる、美しきものへの感動。
正家はぺたりと、頬の郭に手を這わし、慈しむように微笑む。

「三成のようだ。いや、三成より赤みはあるが…」
「三成…豊臣秀吉が左腕、石田治部少輔三成様で…」
「ああ、俺と古仲の、」
「正家様が想われるお方」
「…!? 何故それを、」
「…申し訳ございませぬ、主とする前に身辺を調べさせて頂きました」

瞬時に頬を赤く染めた主に、さすがに忍も申し訳なく思ったようだ。
おろおろと視線を泳がせる正家の様子に沸々と湧き上がる「感情」。

「……ふ、ふふ、」
「! 笑った!」
「、な…」
「…よし、決まったぞ、お前の名! 鳳、はどうだ?」
「鳳…? 瑞鳥鳳凰のことでしょうか」
「ああ。鳳凰の、先の字だ。本当は『凰』の字がいいんだが…字面的になぁ」
「……………鳳…私の、名……」

告げられた己の名を笑んで、囁くように零した忍、鳳。
鳳が微かに浮かべた笑顔を見、満足げに笑い立ち上がる正家。
それに倣い鳳も立ち、先を行く主を追う。
この一時だけで主の人と為りの全てを見たような気がする。
一筋縄にはいかぬ主の様に鳳は密かに息を吐いた。

「お前は鳳だ、忘れるなよ!」
「主より頂いた名を誰が忘れましょうか」
「ふふふ、よろしくな! 鳳!」
「! …正家様のお命は、この…、鳳、がお守りいたします」

己の名に込められた意味を、思いを、鳳自身が知るのはこれから先起きる、彼らはまだ知る由もない大戦、関ヶ原の戦いの戦場にてである。

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