指先 | ナノ
「なー、聞いてやー、正家ー。あ、書き物中やった?」
「んー……平気だけど…何ー…?」
「うわ、この上ない上の空やん。聞く気ある?」
「あるある。何?」
「あんなー、儂最近気になってたんやけどー、清正たち…鬱陶しくあらへん?」
「…………清正、ね。うん、俺もそう思ってた」

帳簿をつけていた手を止め行長に向かい合う。
そこには、普段はしない、しかめ面を浮かべた行長の顔があった。
への字に曲がった唇は、その不機嫌さを如実に表している。

「やっぱり正家も気づいてたん?」
「ああ…目つきが気になっていたな。それと…もう一人、」
「「福島正則」」
「あーっ! 思った通りや! やーっぱりあの二人を筆頭にうざったい奴おるよな!」
「いわゆる武断派…な」

……俺の勘違いじゃなかったか。
戦場で武功を挙げている将たちが、やけに突っかかってくると思っていたんだけど…。
俺にだけじゃなく、行長にもか。
………ともなると、あいつらが目の敵としているのは…。

「ん。その脳筋どもは儂ら頭脳派が気に入らんー…と」
「…そうだろうなあ。まあ俺はこれといった武功を挙げてないのに大蔵大輔なんて地位に就いてるが…行長は首級を獲っているのに……」
「でもどちらかーてと儂らは陣に引きこもおて策巡らしたり、オイシイとこ貰たりまあ好かれるわけないやろ。あいつらからしたら、今まで踏ん張って首取ろおした敵将を横からちょちょーっと、まあ憎いやろうね」
「………そうか」
「せやで。吉継が言うてはったから確かや」
「吉継の受け売りかよ! よく考えてると感心したのに!」
「あはー」

軽く小突けば力ない笑顔で笑む行長。
それにため息を吐き、腕を組む。
まあ…見過ごすわけにはいかないよなあ。
行長が吉継から聞いたということは吉継にも似たような態度を取った…ということで。
きっと、俺たちより酷いことを言われているはずだ。

「…なら、次の九州平定、俺らは行かないか」
「……は?」
「陣も張らない。好きにやれよーってさ。官僚が嫌いならその策と布陣にも頼るなよ、と俺は思う」
「…そんなん、半兵衛様が許すわけ、」

* * *

「いいよ」
「…半兵衛様、何言うてはるんですか。九州平定をしくじったら北条攻めが難しくなるんじゃ?」
「いいんだよ。そもそも、君たちのような子たちが居なければ戦すら成り立たないというのに…育て方を間違ったかな」
「……………負けはったら、どないするおつもりで」
「うーん…そうだな……。君たちが、清正くんたちにバレないようにどこかに陣しておいて、危なくなったら出て行く…これでいいだろう」
「…本気で言うてはります? 半兵衛様らしからん策な気ぃしますけど」
「なんだか憑き物が取れたように気分が軽くてね。……正家君お墨付きの食事を摂るようになったからかな」

行長を連れて半兵衛さまのお部屋に参った。
先ほど行長に提案してみた考えは、俺が思っていたより容易に認められた。
投げやりな策のように思われたのか、行長が半兵衛さまに食ってかかる。
しかし半兵衛さまはそんな行長を軽く流すだけだ。

「まったく…清正君たちにも困ったものだよ。昼夜をかけて策を講じてくれる君たちを疎ましく思うなんてね」
「ほんまやで! 半兵衛様、半兵衛さまの美しくも恐ろしいお怒りで何か言うてやってくださいよ!」
「うーん…そうしてあげたいのも山々なんだけど……。多くの者を束ねる僕がどちらかの肩を持つわけにはいかないんだ」
「うぐぐ……」

…うんまあ、とにかく次の九州平定で清正たちには痛い目を見てもらうってことで。
言ってしまえば、俺は清正とか気にかけていられる状況じゃないんだよ…!
行長には悪いけど、これ以上俺に厄介事を抱えさせないでくれ!
ただでさえ、来月に迫る小田原攻めに胃が痛んでいるというのに!

「……正家、顔色悪いで。どないしたん」
「胃が……、胃…」
「…ああ、そうか。北条のことだね?」
「はい……。心配で心配で…」
「ふふ。そんなに気にすることもない。僕や秀吉が戦場に出ないと言えど、陣には待機しているんだ。何かあれば相談してくれればいい。それに、ようやく大谷君が戦場に復帰するんだから」
「…そうですね!」

キリキリと痛む胃を押さえて笑みを浮かべる。
そうだ、そうだよな。
吉継とまた、戦場を駆け回れるんだ!
それだけで大分心に余裕が出来る。

「にしても、何でまた正家が指揮を?」
「経験を積むためだよ。そうですよね、半兵衛さま」
「ああ。そろそろ僕の後継者のことも考えようと思ってね」
「そうですかー」

何だか、見透かすように半兵衛さまと俺を見る行長の目にドキリとする。
だが、あっさりと引いてくれて安心した。
……どこか鋭いところがあるから怖いんだよなあ、行長は。

「それでは儂らはお暇させていただきますー」
「おや、もう行くのかい? 久々に行長君と話すから、僕はもう少し話をしたいのだけど」
「あらー、そないなこと言われてしもうたら行かれへんわー。ではでは、お茶とお茶請けにあやかろうかなぁ」
「ふふ、いいよ。──正家くん、君は?」
「すみませんが、まだ準備が整っていないので…」
「そうか。それじゃあ、僕の夕餉を持ってきてくれるときにでも一緒にお茶にしよう」
「はい、是非に」

半兵衛さまの笑みを見、俺も浮かべる。
一礼する俺の髪を半兵衛さまがかき回すように撫でた。
驚いて、慌てて顔を上げると満面の笑みを浮かべている。
半兵衛さまの向こうで、行長がニヤニヤと笑っている。
熱が集まり、赤くなっていく顔を押さえて半兵衛さまのお部屋から退出した。

* * *

「う゛ーん…」
「……如何した、正家」
「先程から喧しい、何をそうも唸っている」
「……忍を、雇おうと…」
「…正家が忍を雇うのか? 豊臣が、ではなくて?」
「俺が、ね。…そうだ家康、お前、一国の主じゃないか! 忍一人の相場はいくらくらいだ? あと、忍隊長くらいの地位の者を一人雇うつもりなんだが…。そうだな、甲斐の猿飛や風魔くらいのを、と考えているんだが、そうなるとひと月いくらだろうか」

正家の突拍子のない言葉に、家康だけでなく私ですらも目を見張る。
…こいつのこういうところは相も変わらず、昔からのものだな。
私を背にもたらせたまま、何やら書いている正家の頬を背後から腕を伸ばし引っ張ってやる。
痛い痛いと言いながらも嬉しそうにしているのは…そういった気でもあるのだろうか。

「今更ぬしらの近さに文句はつけぬが…。正家、ぬしは何を考えて忍を雇おうと?」
「この体勢は三成の猫背対策だよ。――ほら、やっぱり小田原を攻めるとなるとたくさんの人手が必要だろう。それならば忍かなあ、と。兵は雇うより豊臣の古参の方が信頼おけるし、今回指揮権を頂いたのは俺なのだから、豊臣の金で雇うよりかは俺の金で、俺の忍として雇った方がいい、とな!」
「ふん。貴様にしてはよく考えたな。そうだ、豊臣がためにその力も金も奮え」
「おお…まさか三成に褒められるとは…!」

どこか気に障り、正家の腹を抓る。
痛がり暴れる正家の背から離れ、私の安寧を壊した正家の頭を軽く小突き、記していた何やらを覗き込む。

「…金の計算か」
「うん。さあ、家康、相場は…」
「うむ、今考えていたんだがな…一人あたり一月五十両だな。ワシの国では」
「忍頭になれるほどの者は?」
「まあ…百両が妥当、か?」
「百両……」

考え込むような正家の仕草に、刑部が笑いを滲ませながら足りないのか、と言う。
ぶすくれた顔で刑部を振り返る正家は足りる、と言い張った。
ただ…と言いよどみ、視線を泳がせながら続ける。

「……南蛮の甘味を、なかなか食べられなくなる…」
「…は?」
「いやな、なかなか高いんだ、あれが! 行長を通して買っているんだけど…」
「…それは、ざびー教やら何やらを通しているからであろ。あれは無駄に金を巻き上げる。次からはやめよ」
「……………」
「…分かった分かった。堺でも南蛮菓子は売られておる、大坂まで運ばせてわれが買うてやろ」
「やった!」

嬉しそうに笑う正家を見、……若干、ほんのわずかに、刑部に対してぐるぐるとした熱い感情が湧く。
…?
これは、一体…?
何だか分からぬ感覚に胸を押さえる。
……まさか、これが噂に聞く、

「三成?」
「! な、んだ」
「胸を押さえて…苦しいのか? 医者を呼ぶか? まさか、三成まで病に…」
「…そう心配せずとも、私は貴様を残して病に伏したりしない」
「三成…」
「もうよい、ぬしらのそれは見飽きたわ。それで正家、ぬしは結局、忍を…」
「ん、雇う。ざっと三百人くらい」

帳簿に何か書き記して、正家が言った。
……忍など、信用に値しないが戦力にはなるからな…。

「九州平定の戦で御披露目になるねぇ。どうせ、清正たちは音を上げるだろうから」

まだ見ぬ忍たちに思いを馳せたのか、はたまた、清正たちの泣き面を思い浮かべたのか、うっそりと正家は笑った。

* * *

「………始まった、なあ」
「ヒヒ…いつまで保つか、賭事でもするか」
「不謹慎だぞ、刑部。戦で賭事など」
「どうでもいい。早く…秀吉様がためにこの力を奮いたい……!」
「…てーか徳川さん、おまん、知将ちゃうやろ」
「半兵衛殿のお気遣いだ!」

法螺貝の音、怒声、馬の嘶き、発砲音。
戦が始まったことを示す音が辺りそこら中に響く。
俺らが陣しているのは本陣、主戦場から少し離れた林の中。
ふう、と息を吐く。
清正たちは、陣のない戦に喜んだらしい。
どうやら、半兵衛さまが俺たちの策に見切りをつけたと思っているそうだ。
……なんというか、めでたい奴らだよな。

「正家様」
「、おおとりか。大局は」
「豊臣の優位にござります」

気配なく背後に跪いた忍を振り返る。
顔を俯かせ、恭しい体勢で戦場の戦況を伝えてくる。

「正家、その忍は…」
「ああ。鳳だ」
「長束忍隊長の鳳にござります。以後お見知りおきを」
「鳳には長束の家紋が入った短刀を渡してある。少しでも怪しいと思ったらそれを見せてもらってくれ」
「正家様。そういった極秘のことは軽々しく口になさらないでください。間者に聞かれでもしたら見分けることが難しくなります故」
「す、すまん!」

なんというか、忍というものに慣れていない所為で勝手が分からない。
何を言っていいのか悪いのか。
鳳の目は無感情に俺を見つめる。
…困ったなあ、もう少し仲良くなれば事態は変化を見せるのだろうか。

「…貴様……主という柄ではないな」
「言われなくたって分かっているよ。…三成は様になってるよな。堂々たる態度で…仕えるんだったら三成みたいな主がいいな」
「な…貴様、今何を言ったのか分かっているのか! 貴様の主は秀吉様で、秀吉様以上の主などいない!」
「あー、はいはい」

ぎゃんぎゃんと喚く三成から逃れるように鳳に歩み寄る。
依然として跪いている鳳と目線を合わせるようしゃがみ、笑いかける。

「それじゃあ、戦況に変化が生じたらまた報告してくれ」
「は」

返事と共に姿を消したのを確認し立ち上がる。
クスクスと忍ぶように隠される笑い声が聞こえ、三成たちの方を振り返る。
笑っていたのは行長らしい。

「どうした、行長」
「いやあ、正家も相変わらずと思うて」
「は?」
「全くよ。忍に斯様な態度を取るとは。成長のない男よな」
「?」
「行長、刑部、今は戦中だ。気を緩めるな」

クスクスとまだ笑い声を抑えられぬ行長と、嫌みのような言葉を紡ぐ吉継。
…恐らく俺の鳳に対する態度が原因だろう。
……しょうがないだろ、忍の勝手が分からないんだから。

「……騒がしくなってきたようだな」
「清正たちが押されとるか押してるか…。儂としては、前者やと思うんやけど」
「そりゃああの鬼島津の軍相手に陣も布かずに戦っているんだ」
「ふん…私たちを侮辱するからだ」
「…武将も知将も分け隔てなく接すればいいじゃないか! お前たちは清正や正則と、共に秀吉殿の小姓として仕えていたのだろう?」

困ったような顔で家康が口を開く。
それは難しい話だな、家康。
知と武の間にはどうしても壁が出来る。
知も武も兼ねたお前には分かるまい。

「……家康、貴様は馬鹿か」
「…ワシは、」
「私たち家臣が二分される。それが意味するは意味のない争いや裏切りが起きる…秀吉様の御威光を疑う者が増えるということ。なれば不安分子は去ぬべきだろう」
「……三成、それは間違ってる! 邪魔だからといって無闇に殺すなどと、」

「御前失礼致します! 豊臣軍が撤退を始めた模様! 至急本陣に参陣ください!」

「!」
「……………行くぞ、刑部、正家、行長」
「久々の戦よ…やれ、血が踊る」
「清正たちは根性がないなァ、のう? おまんもそう思うやろ、正家」
「俺たちに詫びの一つでも言えりゃあ根性ねえとは言わないよ、俺は。…さ、行こう、家康。本多を呼ばなくていいのか?」
「…ああ、そうだな。……忠勝、出撃だ!」

背後にいる家康に笑いかける。
ぎこちない笑みを家康が返してくる。
三成を見れば、もうその背は小さく霞んでいて…ああ、そうも急かずとも良いのに。
駿に飛び乗り急ぎ走らせる。
戦場から既に悲鳴が上がり始めている。

「やれ正家。ぬしと徳川は光の婆娑羅者。われと三成から離れやれ。眩しくて適わぬ」
「吉継、そんなこと言うのかよ! ふんっ、いいよ俺は家康と行くから! 行こうぜ、家康!」
「な、おい正家!」
「じゃー儂は風の婆娑羅者として一人で寂しくやっとるわ」

拗ねたような声音の行長に手を振る。
本多に乗る家康を案内するように先を走る。

「怒らないであげてな」
「ん?」
「三成のことさ。あいつは、豊臣のやり方しか知らないから」
「…」
「秀吉さまが全てなんだ。三成にとっては。三成を見出された、秀吉さまが」
「……ああ、分かっている。分かっているからこそ、ワシは悲しいんだ」

悲しげに笑った家康の表情があまりにも痛々しくて。
…他人の為に、これほど胸を痛ませることが出来る人間が、この戦乱の世にいたのか。
向こうに敵兵が見えてきた。
家康に視線を投げかければ一つ頷きが返ってくる。

「出来るだけ殺すなよ」
「ああ! それこそ、分かっている!」
「怪我もすんな!」
「! 正家もな!」

撤退を始めた豊臣軍を追う島津の兵を倒していく。
遥か前方で、こちらを振り返っている正則を見ながら。
顔一面で驚いてみせる正則にほくそ笑んでやった。

生きた場所


「……俺らを嵌めやがったな」
「半兵衛さまより命じられたことだ」
「その飄々とした態度が気に食わねえんだよ、臆病者め…!」
「…なんだと?」
「そうだろう、お前たちはいつだって、仲間内で群れて俺らの後ろに控えてやがる。ああ、それとも、さすがにお前たちもあの吉継は敵前に晒せないか? 豊臣の恥だもんなあ」
「…………何をもって、お前は、恥と言う」
「ハッ、分からないのか? 業病になぞ罹りおって、我らすら仏の加護にあやかれなくなるではないか。穢れた病躯が、ッ!」
「死にたいのか」
「……………油断したなあ、お前にまさか首もとを取られるなど」
「先ほどの、吉継への暴言、取り消せ。さもなければ殺す」
「……殺す、なあ…お前に出来るのか? 不殺の将よ」
「…」
「それに、吉継のことなど今や誰でも言うておる。秀吉様、半兵衛様、そして文官くらいさ、吉継を悪く言わぬのは」
「……………もういい。俺は行く。…何突っ立ってんだよ、家康。帰るぞ」
「……正家に、少し驚いて、な…。三成の如き剣呑さだった…」
「…そりゃ、まあ。久々に怒ったし……」
「………」

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -