指先 | ナノ
「お前さんも苦労人だな、こんな穴蔵まで遣わされるなんて」
「まあ、一応豊臣の官人だからね」

くすりと笑う正家を髪の隙間から見る。
豊臣から小生の様子を見る役を任されたらしい正家は、こんな穴蔵に似つかわしくない小綺麗な格好をしている。
確かに豊臣の他の将に比べたら質素な服なのだろうが…小生には当てつけに見える。

「様子ならもう見ただろう。早く帰ってくれ」
「…三成の友である俺とは一刻も早く離れたい、と…そういうことか?」
「お前さんが個人的にってなら大歓迎なんだがな、豊臣のためとあらば話は違う。それに正家は三成を好いている。それだけでお前さんが憎いさ」
「はは」

憎いと言われているにも関わらず笑って流せるこいつは…良く言えば懐が広く、悪く言えば小生に興味がないと言える。
一見すれば、これほど良い人間は見つからないが、こいつは三成や刑部といった、本当に長い仲の奴以外に関心がない。
三成たちが良ければその他はどうでもいいと考えているような奴だ。
そう考えれば、まだ三成の方が可愛いかもしれない。
元服直後からこいつとは知り合いだが…あの頃はこんな奴ではなかった。
正家もまた、戦乱の世によって人格が狂わされた者なんだ。
小生は、正家が哀れで仕方がない。
豊臣がため、戦の中大切なものを守りきるため、この世で起きる全てに悲しまないため、根本をねじ曲げた悲しいほど真っ直ぐな正家が。

「それがなあ、まだ帰るわけにはいかないんだ」
「…何かあるのか?」
「ああ。今豊臣ではある計画が進んでいる」
「……面倒くさい話になるっていうニオイがプンプンしているぞ」
「そうかも。小田原を──北条を攻めるという計画なんだ」
「………北条、なあ。半兵衛もまた手間のかかることを…。あのデカい領を攻めるとはな」

キリリと、先ほどまでふにゃふにゃだった表情を引き締める正家。
…こうしていりゃ、美味そうな男だっていうのに。
正家の話の展開から、恐らく小生は北条を攻めるという戦に駆り立てられるのだろう。
小生を暗がりに放り込んでおいて、調子のいい話だ。
だから小生は豊臣が嫌いなんだ。
豊臣なんて滅びてしまえば…

「官兵衛?」
「…っ! な、何だ」
「お前は考えていることが全身に出過ぎなんだ。…次、そんなこと考えやがったらこの穴蔵までもを潰してやろう」
「…」
「ああ、で、話を戻すけど。此度の小田原攻めは俺に全指揮権が委ねられている」
「な…半兵衛は、」
「……半兵衛さまには本陣にて秀吉さまと共に待機して頂く。俺が、願い出たことだ」

目に剣呑な光を宿らせて正家が小生を見遣った。
…ああ! お前さんは確かに豊臣…半兵衛が育てた将だよ!
何で豊臣の知将はこうも腹黒いんだ!
…ああ、半兵衛が育てたから、か。
小生、よくこんな中で頑張ってたな、褒めてやりたくなるよ畜生!
殺気を一瞬のうちに纏った正家は、段々と、その鬼気迫る雰囲気を削いでいった。
だが、その目に宿るは確固たる覚悟。
その覚悟、決意が小生に見せているのか、秀吉と見紛うほどの覇気がその背に見える。

「……何故、正家、お前さんが…」
「……………。まずは、一年をかけ小田原周辺の米を買い占める」
「………、…………。…何故わざわざ米を……」
「北条氏政は矮小な男だ。いくら風魔小太郎がいるとあれど、豊臣が兵に適わぬだろう。そう知るやいなや、専守策…といえば聞こえが良いが、つまりは籠城策に切り替えるだろう。籠城するには大量の兵糧が必要になる。…あとは説明しなくとも、官兵衛なら分かるだろ?」
「……どうしてお前さんはそうも顔に似合わないえぐい手が思いつくのかね」

何故、と問いても正家は答えない。
…小生に教える気はないらしい。

「………で、官兵衛、お前には北条を落とすのに一役買ってほしいんだけど…」
「はん! そっちが小生を爪弾いたんだろ! 何を今更…」
「働きによっては伏見城付近に領を与えてやらんこともない、」
「よし、どの月を予定にしているんだ? この慧眼、黒田官兵衛が手伝ってやろう!」
「って言ってみて食いついてくるか調べてみろって半兵衛さまより言付けを賜ってきた」
「な…ッ!」
「その様子じゃあ、まだ野望は潰えていないようだね、官兵衛。そうなるとこっちに戻してやるわけにはいかないなあ」
「やっちまったーーーー!!!」

そうだった、こいつは小生の様子見でこんなとこまで来たんだった!
それを忘れて小生はいらんことまで話しちまった!
自分の行いを悔いている小生の前で正家は呆れたように溜め息を吐く。

「…せっかく俺が、今回の計画が上手くいったなら半兵衛さまと秀吉さまにお前のことを進言してやろうと思ってたのに」
「な、何故それを先に言わないんだ正家! 小生だってなあ、先に聞いていたらあんなこと言わなかったぞ!」
「先に言っちゃあ意味ないだろ」

苦く笑って、正家は肩を竦める。
なぜじゃ…何故小生はこんなにも薄幸なんだ…!
枷を嵌められた手で頭を抱える。
くそ…それもこれも三成の所為だ!

「北条を叩く戦に…参戦してくれるよな? 官兵衛」
「何の見返りもない戦に誰が出ると思う! 小生はなあ、お前さんたちのように官位が上がるわけでも本領を増石されるわけでもない。つまり、小生にはなーんにも得がないわけだ」
「…見返り、ねえ…。……金なら見返りになるか?」
「金遣いの荒い豊臣に金なんざ余っていないだろう」
「ほう、それを俺の前で言うか」
「は? ──そう、言えば」
「俺は豊臣の財政を担ってるんだぞ。それに、此度の戦では俺に全権委ねられている」

にやりと、人の悪い笑みを浮かべる正家。
そうだ、そうだった。
正家が大蔵大輔に就いてから豊臣の財政はかなり潤ったのだった。
だからこそあれほどの兵を養うことが出来るし、庸平や忍を雇うことが出来ている。

「安心しろ。お前に特別恩賞をくれてやるだけの余裕はある」
「…まっこと、豊臣秀吉は末恐ろしい男だ。この稀有な才を幼少のお前さんに見出すのだから」
「ふふふ、そうだな、秀吉さまは真素晴らしきお方。俺と三成を引き合わせてくださったのだから」
「お前さんは本当にそれだけだな」

正家はくすくすと、艶ある吐息を零して笑う。
そこにあるのは驕りなどではなくて、ただただ純粋なる歓喜。
秀吉直々に召し上げられたことに、感謝はすれど付け上がりはしない。
小生は正家のそんなところを好ましく思っている。
豊臣の中で小生を無碍に扱わないのは正家だけではなかろうか。

「そうも煽てられては恩賞を弾ませなければならなくなるじゃないか」
「な、小生は決してそんなつもりじゃあ」
「そうだな…。小田原城無血開城で一万両、大将一人の首級で済めば五千両…人的被害が五千以下ならば千両…。これでどうだろう? まだ足りない?」
「いや、額云々よりまず難関すぎないか!? その条件は!」
「条件に見合った額じゃん、いいだろ」
「あのなぁ…」
「慧眼である官兵衛殿には易いものだろう?」
「………お前さんも賢い男だ」

小生の言葉を上手く使っての返しに何も返せずに口を閉じる。
…小生の力など頼らずとも、豊臣には賢い将が腐るほどいるではないか。
そう、腐るほど、だ。
正家をただの財政を担わせるだけの官人に留め、腐らせようとしているのだ。
ああ…勿体ないもんだ。
小生が大枚叩いて召し上げたっていい。

「…じゃあ、そういうことでいい?」
「はいはい、どうせ小生には拒絶なんて出来ないんだろうが」
「…ごめんなあ、いつもいつも三成と吉継が」
「まったくだ。……まあ、お前さんの頼みなら仕方がない。小田原攻め、出てやるよ」
「! 本当?」
「ああ」

小生の言葉に笑みを浮かべ立ち上がる正家。
そして足早に出口に向かっていく。

「じゃあ俺、もう行かなきゃだから!」
「早いな! 小生に会いに来たのはそれだけのためか!」
「いやあ、ははは。それがな、半兵衛さまに頂いた期限を三日程過ぎてしまっていて。早くしないと迎えが来ちゃ、」

「正家貴様ァ!! 半兵衛様に許可された刻限を過ぎた! 半兵衛様に迷惑をかけるなとあれほど!! 認可出来ん! 儘滅してやる!」
「うわあああ! やめろって三成!」
「どうでもいいが小生の住処を荒らすなぁぁぁ!!」

穴熊が見た彼


「行くぞ、正家!」
「か、官兵衛まじでごめん! じゃあな!」
「荒らすだけ荒らして…また工事に追われる日々の再来か…!? …なぜじゃぁぁぁぁ!!」

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