指先 | ナノ
「………業病にござります」

軍医が告げた言葉に、周りの者が騒ぎ出した。
今朝方われは、政務中に倒れた。
足が痺れ、皮膚に結節ができ、顔や肢体が崩れていった。
賢人が連れてきた医者は、われが業病を患っていると言う。
前世での業が引き起こす病。
われの世話をしていた者たちが数瞬のうちにわれと距離をとった。

「……………。政務や戦に影響は出るのかい?」
「これからの症状を見なければなんとも言えませぬ。ただ…足はもう使えぬものとお思いになっておいた方がよろしいかと」
「…」

唯一われの脇を離れなかった賢人が表情を暗くする。
足が、動かぬと?
動かぬ足で、戦場に出られるわけがない。
もう、三成や正家と戦場を駆け回ることは叶わぬ…そういうことか。
…予想もしていない不幸がわれに降りかかったことよ。
業病など、何故われが罹らなければならぬ。
仏はわれを見捨てたか。
沼地に堕とし、われにだけ不幸を降らせるつもりか。

「半兵衛さま、正家にござります」
「…ああ、入っておいで」
「失礼いたしまする」

閉め切られていた戸が開く。
開いた先には床に額をつき、頭を下げる正家の姿があった。
賢人に促され、顔を上げて見えた目の奥の光が強く、煌めいていた。

「吉継が病に倒れたと聞きました。病名は」

部屋に入ってきて真っ直ぐ、われの寝床の脇に来て正座した正家。
真剣な表情で医者の方を見遣る。
ここ数月、こんな真面目な顔つきをしているところを見た記憶がない。
こうしていれば、整っていると言えなくもないというに、損な男よ。

「業病にござります」
「───……業病…」

業病と聞いた瞬間に正家の顔色が変わった。
次に表情が苦悶を見せ、そのまま弱った視線がわれを射抜いた。
既にわれの肢体には皮膚を隠すように包帯が巻かれている。
顔はまだ病がそこまで進行していないらしく、包帯は巻かれていない。
そんなわれの顔に、正家の手が伸びてきた。

「な……」
「いずれは、この顔も覆い隠さねばならないのか」
「ええ…。それが病に良いでしょうし、……なにより、大谷様の為になりましょう」
「…そうか」
「正家、手を離しやれ。ぬしの手が穢れてしまう」
「穢れる? そんなことないだろ。だって、吉継の容はこんなにも美しいじゃないか。…でも、そうか。この貌形まで隠さねばならぬのか…。なんてもったいないことだろう」

慈しむようなしぐさでわれの頬を撫でる正家。
その手の優しさに皮膚が粟立つ。
正家は穏やかな表情を浮かべてわれに触れる。
この病に侵された体に触れるなど、正気の沙汰ではない。
正家の手首を掴んで顔から離す。

「あ」
「…どうした」
「手は既に隠されてしまっているか。吉継の手つきは女より美しいのに。残念だなあ」
「……正家、われの体は病に侵されている。そう不用意に触れてはならぬ」
「ええ? そんなの関係ないって」

くすくすと笑いながら、われの手指を撫で回す正家。
…これはもう、いくら言っても聞かぬな。
諦めて好きにさせておく。
部屋の外から隠そうともしていない足音が聞こえてきた。
…やれ、またうるさいのが来やった。

「刑部ゥ! だから埃だらけの書庫には篭もるなと言っていたのだッ! 病などに罹りおって!」

スパン、と大きな音をたてて襖を開けた三成。
…こやつも正家くらいの冷静さがほしいものよ。
入ってきた勢いそのままドシドシと畳を踏みしめてわれの枕元に向かってきた。

「三成、半兵衛さまがいらっしゃるよ」
「…はっ! 無礼をお許しください半兵衛様…!!」
「あーもう、僕のことはいいから。大谷君でしょ、まずは」
「有り難き幸せ! …して、刑部、貴様の病とは」
「ヒヒッ、業病よ、前世の業により起きる永遠の不幸よ」
「…」

われの言葉を聞いてから数秒、黙っていた三成が立ち上がりそのまま部屋から出て行った。
三成の行動に正家と賢人は驚いたようで瞠目している。
あれが普通の反応よ、正家。
癩者に、誰が好き好んで近付こうとするか、よもや、触れようとするか。
今までと変わらずにわれを相手するなど、愚かしいことよ、オロカシイ。
三成の、当然の行動に笑っていると、またけたたましい足音が近づいてきた。
何事ぞと戸の方を見やれば腕いっぱいに何やらかを抱えた三成が入ってきた。

「…三成君、それは?」
「刑部の病は業病でしょう。前世での業を責める病ならば、今世で仏を厚く信仰すれば少しは良くなるのではと思いまして」
「それは良い案だな三成! 数珠に経、それに持仏か! 写経もいいぞ、一心に行えば願いが叶うと言うもんなあ」
「毎日一度経を読むのはどうかい」

三成が持ち寄ったものにわいわいと、豊臣が誇る智将たちが騒ぐ。
三人の様子に、われから離れた世話役の小姓や女中は目を丸くする。
普通では有り得ぬのだ、こんな光景。
業病に罹った者の周りに、楽しげにしている者たちが集まるというのは。

「……離れやれ、三成、正家。賢人もよ。奇異の目を向けられたくはなかろ」
「そんなの知らね。俺は吉継といたい」
「…? 何を気にすることがある」
「ふふ…君たち三人は本当に…」

正家は幼く笑い、三成は本に訳が分からぬといった顔をした。
そんな二人を見て、賢人は嬉しそうに顔を綻ばせる。
…戦なき平和な世となれば、なぞ、われらしくもない夢想が浮かぶ。
もし天下に泰平が訪れたのならば、われらは戦に身を固めることなくこうして穏やかに笑いあう日々を送るようになるのか。
………………。
それも、いいやもしれぬ。
戦に正家が苦しむこともなくなれば、三成がつまらぬ裏切りに心を削る必要もなくなる。
常から顔色の悪い軍師を休ませることが出来る。
われを囲ってくれる、温かい者たちが死なずに、済む。

「…吉継、どうかした?」
「……もう寝ろ。明日に差し支える」
「…」

病とは恐ろしいものよ。
気が弱くなるのか、誰かの一挙一動で心が動く。
そうよ、そうよな。今日はもう休むとするか。
先ほどの有り得もせぬ空想も、病の所為よ。
そうに違いない。

「あい分かった。今日はもう休むとしよ」
「そうか。しっかりと休め」
「やれ、ぬしには言われたくない言葉よな」
「朝になったら包帯巻きにくるよ。朝餉も持ってくる」
「正家、ぬしにはわれに構っている時間など有りもせぬはずだが」
「あるよ。そうでしょう? 半兵衛さま」
「はははっ。うん、君と三成君の朝の政務は他の誰かに任せるとしよう。君たちでなくても出来そうだからね」
「正家! 貴様、半兵衛様に無理を言うな!」
「いや、大丈夫だよ。三成君」

くすくすと賢人が笑い、正家もにこにこと笑う。
三成一人が納得いかぬような表情をする。
周りの者共は困り切ったような顔をする。
…この部屋から出て行けばよいものを、賢人の前だからか出て行こうとする者はいない。

「じゃあ、僕たちはもう行こうか。大谷君を休ませてあげよう」
「はい」
「何かあったら呼べよ、吉継!」
「あい、あい。早に行きやれ」

出て行くかと思えば、また何やら口うるさく言う智将たち。
体を冷やすな、温かい食事を摂れ、着物はこまめに着替えろなどと言ってくる。
やれ、そんなこと言われずとも分かっておる。
そう言い三人を追い出す。
暇な身でもないぬしらがわれを構うことはない。
不幸に見まわれたわれになど。
ぬしらにまでわれの不幸を移したくはない故。

「…癩者の中では果報者の方やもしれぬな、われは」

女中どもに遠巻きにされながら一人呟いた。

* * *

「刑部! 病に倒れたと聞いたが大事ないか!」

正家に言われた通り写経をしていると騒々しい奴が現れた。
一見しただけで健康と分かるその姿。
われにひけらかしているようにすら見える。
なんと憎らしいことだろうか。

「こうして床に伏せっているのを見てそう言うか徳川よ」
「す…すまん。…体、起こしていて平気なのか? 寝ていた方が…」
「…そう病人扱いされずとも、言うておくがな、われの体調はわれが一番分かっておる」

われを哀れむような声音で、表情で話しかけてくる徳川に嫌気が差す。
われに同情しているのか。
今までと変わらぬ態度で接するということは出来なんだか。
ぬしの大きなものはその背だけよな。

「…………っと…写経、しているのか」
「正家に病に良かろと言われてな。あれに、無邪気な笑顔で言われてはやらずにはおれぬわ」
「はは! 刑部は相変わらず正家に甘いな。……その数珠や持仏も正家が?」
「これは三成よ。いらぬと言うておるのに無理やりな」
「…まさかあの三成が、冗談に似たようなことをするとは」
「あれは至って真面目よ」

体中に飾られた数珠と床の周りに置かれた持仏。
それを見て徳川が笑う。
われとて驚いたわ。
正家がやるなら面白がってであろうから突っぱねることも出来るというに、あの三成となるとそうもいかぬ。
生真面目で恐ろしいまでに真っ直ぐなあの男のすることにケチなどつけられぬ。
そう正家に言えば、きっとふてくされるに違いない。
考えるだけで笑えてくる。

「あれらと共にいると暇せぬな」
「ははははっ。 あの二人は正反対のように見えるからなあ。実際はとても似ているというのに」
「…ほう、徳川、ぬしも案外よく見ておるな」
「? よく見ずとも分かることじゃないか」
「………ヒヒッ」

三成と正家は陰と陽のように、真逆の存在として思われる。
言葉足らずの陰、感情のまま言葉を紡ぐ陽。人付き合いが苦手な陰、誰彼となく相手をする陽。
まず身に持つ婆娑羅の力が相反した質なのだ。
闇に光。
われと三成は闇、正家は光。
しかしそんな二人はよく似ているのだ。
誰かを尊び、その者に縋る。
誰がために刀を振るい、そのため戦に出る理由はどこまでも真っ直ぐで偽りがない。
その姿が強くも儚く見えるのよ。

「お、刑部、持仏が、」
「やれ不吉な…、」
「っあ、」
「……」

経を写していた筆を置いた拍子に、脇にあった持仏が倒れた。
それを起こそうとしたわれと徳川の手が触れる。
途端に徳川が、弾かれたように手を離した。

「………徳川、われの病について聞いておったか」
「…業病、だと」
「……………結局ぬしも同じというわけか」
「違うんだ刑部! 皮膚の病だろう、ワシが触れることで痛みでもしたら悪いと、そう考えたんだ!」
「言い訳などいらぬわ。ぬしがわれの皮膚を厭悪したのに変わりはせぬ」
「刑部、」
「早に去れ。顔も見たくない」

必死な表情を浮かべ言葉を紡ぐが、われが取りつかぬとあきらめた徳川は、視線を落とし部屋より去っていく。
あの男の、陽と評される性も広いとされる懐も全ては偽りよ。
あやつは癩者に手を伸ばすことも出来ぬ。
三成も正家も容易くしてみせたことを出来なんだ。
強き者の影に隠れ、何をせずとも力を上げる狸め。
織田を見捨て太閤殿をも食い殺すつもりか。
許せぬ。
われを狼藉するのはいくらでも許そう。
だが三成と正家を苦しめるつもりならば、われはぬしを地獄と見紛うほどの不幸に陥れてやろう。
のう、徳川、覚悟しやれ。

「よーしつぐっ! 午の刻だ、包帯を替えにきた!」
「半兵衛様より仕事を仰せつかってきた。どうせ暇しているのだろう」
「……三成に正家か」

徳川と入れ違いに部屋に入ってきた三成と正家。
正家が腕に抱えている包帯は良しとして、引きずっているその…輿は何ぞ。
三成も三成で、手に持っている書類どもは分かるが、肩に掛けているその大きな数珠は…。

「……やれ、三成、正家」
「? あ、もしかしてもう誰かに替えてもらった? それとも今日は政務出来るような体調じゃない?」
「そうでなくてな…」
「何だ刑部、はっきりと言え」
「…その輿と数珠は何ぞ。数珠の方はやけに大きいが……」
「…ふっふっふ……気づいてしまったか、吉継くん」

にやりと、人の悪い笑顔で輿を見せつけてくる正家。
訳も分からず三成を見遣るも、意味がない。
あの三成ですら、どこか得意げな顔つきをしている。

「脚が悪くなってしまったから…吉継、これから戦には出られないだろ」
「まあ、脚が利かぬ兵などいらぬからな」
「しかも医者に聞くところ、貴様はものを握る力も弱まっているそうではないか」
「ああ、筆を握るのがやっととなってしもうたわ」
「そこでだ!」

キラキラと目を輝かせた正家が、替えの包帯を脇に置き、懐から何かを取り出した。
それは巻物のようで、われの眼前に突きつけた。
いつの間にやら輿も数珠もわれの横に置かれている。
…真に、何がしたいのやら。

「知っているか、日の本は一時呪術の力で治められていたんだ」
「知っておるが…」
「呪術を操ったのは女子で、なんでも雨を降らせたり事物を浮かせたりしたそうだ」
「……………。まさか、ぬしら…」

巻物を広げ、中を見せてくる正家。
そこには呪術が行われている絵が描かれている。
にい、と笑い、われに扇子を押しつけてきた正家。
そしてそのままわれの後ろに回り包帯を剥がし始めた。
…この扇子を……呪術でどうこうしろと言うつもりだな。
背後にいる正家に目で出来ぬと訴えてみるも鼻歌で去なされる。

「それを、手を使わずに動かしてみせろ、刑部」
「……やれ三成、まさかぬしまで正家の口車に乗るとは」
「日の本を治めていたという王は西の出だそうだ。刑部、貴様にその者の血が流れているやもしれない」
「ぬしが言うと冗談に聞こえぬのが嫌なところよ」
「冗談などではない!」

ため息を吐きつつ言えば三成の機嫌を損ねたらしい。
むすりと顔を歪めてしもうた。
正家も三成の機敏に気づいたらしく、後ろで笑っている。

「まあやってみてよ、吉継。俺たちもさ、また吉継と一緒に戦場に出たいんだ。吉継一人を城に置いて戦場になんて行けないもん」
「……………。だからと言ってな、出来ることと出来ぬことがあるぞ、正家」
「ふふ、うん。そうだね。俺も三成もさ、抗いたいんだよ。吉継がもう戦に出られないかもしれないなんて、治る兆しの見えない病にかかってしまったなんて、信じたくないんだ」
「…………」

ここ数年で、雰囲気や口調が賢人に似た正家。
くすくすと柔らかく笑う。
われの腕に触れる手つきは数年前と変わらず優しい。
こんな風に言われてしまっては、聞かずにはおれぬではないか。

「…はあ。分かった分かった。やれば良いのであろ」
「集中しろ刑部」
「集中と言われてもな……。…ほれ、」
「な」
「えー? どうした、…いてっ」
「…」
「……」
「何だよもー。何投げてきた……、…え」

月光不幸微光、そして陽光


「……ほんの冗談のつもりだったのに」
「刑部、貴様、真に呪術の才が…」
「…………われが一番驚いておるわ。念だけで動かせるとは誰も思わぬであろ…」
「じゃ、じゃあこの輿に乗って浮かすことも可能だって! やったな三成、また三人で戦場を駆け回れる!」
「ああ…!」
「…修練するわれの身にもなれ……」

オマケ
「ハーイ、何や紀之介、病らしいやん。なん、業病やって?」
「笑顔でそれを聞いてきたのはぬしが初めてよ行長」
「やって儂業病とか信じてへんもん。ザビー教に輪廻とかいう概念ないし」
「…そういえばぬしはザビー教信者であったな」
「せやでー。どや、吉継、この際やから病一つも治してくれへん仏さんよりもザビー様を信仰してみようや」
「ヒヒッ。お断りよ。あんな胡散臭い集団。太閤も布教を認めるなと仰せであろ」
「せやから儂は布教してへんやろ。あーあ、残念やなあ、吉継にも愛の素晴らしさを教えてやりたいわぁ」
「残念がっているようには見えぬがな」
「はっはっは」
「ぬしは本に面白き男よ」
「おおきにー」

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