指先 | ナノ
「それ、傷を負わされたことはあるのか? 見える箇所全てが鎧に覆われているが」
「忠勝をそれ、なんて言うな、正家! こう見えても歴とした人間だぞ!」
「こう見えても、って…それ、徳川も本多が人間離れしてるって認めたようなモンじゃん」
「な、ち、違う! 違うからな、忠勝、ただかーつ!」

最近豊臣に臣従した徳川の大将、家康。
何故かこいつは正家に懐いている。
どこへ行くにも正家の後をついて歩く。
そのため、正家と接触が多い私にも懐いた。
……………。
こいつは気に食わぬ。
そんな奴に懐かれても嬉しくなどない!
さっさと正家から離れろ、徳川家康!

「なあ、三成、お前も正家に何か言ってくれ!」
「姦しいッ! 私は名で呼ぶ許可をした覚えはない! 正家から離れろ!」

気に食わぬ、何もかも!
何故貴様が得意顔を晒して正家の隣に座っているのだ!
私と正家に挟まれる形で座っているこいつは、私を苛つかせる天才らしい。
そうでなければ天性の馬鹿なのだ、そうに違いない。

「やれ三成、ぬしの喚きが廊下の先にまで聞こえたわ。如何した」
「刑部! この狸が!」
「狸とはひどいぞ、三成。ワシは人間だ!」
「そのようなことを言っているのではない、この迂愚が!」
「って感じ。聡い吉継には分かったはず」
「嫌でもな。全く、いつもながら面倒なことよ、オカシキな」

喉をひきつらせて笑う刑部を睨む。
私の睨みを受けても、涼しげな顔でかわす刑部。
そしてそのまま自然な動作で正家を立たせると、私の隣に座らせた。
…やはり、刑部は私のことを理解している。
自然と、口角が上がった。
正家が私の隣にいるのは当たり前のことなのだ。
あの日の誓いが私と正家を分かちはしない。
それをこの男は…。
徳川も正家も訳が分からぬようで目を白黒とさせている。

「吉継? 三成?」
「なんだ、三成、お前、笑うと可愛いじゃないか! なぜ平素より笑わんのだ?」
「な…黙れ! 貴様に見せたものではない!」
「痛っ! な、殴るな三成!」
「徳川、三成の可愛さ分かる!?」
「ん? ああ!」

わいわいと、正家と徳川が騒ぎ出す。
うるさい二人に挟まれてしまい、刑部に視線を向けるも微笑でかわされてしまった。
為す術もなく喧しさに耐えていると、正家が「あ」と声を上げた。
それに気づいて徳川が首を傾げる。

「それでさ、すげえ話反れたけど、結局あの戦国最強に傷をつけることはできるの?」
「おお、そういえばそんな話をしていたな。忠勝に傷をつけることが出来る武人、か…。忠勝が戦場に降りれば一度に敵兵が散る。そんな忠勝に、勝る者はいないだろう! 忠勝は名実共に戦国最強だ!」
「へえ……」
「徳川に過ぎたる者と言われているが…忠勝はこれからもワシを支えてくれるだろう。きっとワシは、あいつが太刀傷を負うところを見ることは生涯無いだろうな!」
「……随分と呑気だな。こりゃ、難攻不落に見える本多が一番の搦め手、か?」

ため息を吐いた正家の声には呆れが含まれていた。
半兵衛様が時折見せる、物分かりの悪い者へと見せるあの目に似た光が正家の目に見える。

「忠勝が搦め手だと? 悪いがワシはそうは思わない」
「たとえば、本多を倒す者が現れたら。徳川の兵には目に見える動揺が広がる。お前の心は揺らぎ、その事実を認められないだろう。統率を失い、頭が止まった軍など、倒すのは容易だ」
「今でもその背を追う者がいないというのに、日々の鍛錬を欠かさず常に上を求めている。忠勝は秀吉殿でも苦戦するであろう武人だ」
「今はそういう話をしているんじゃない。それに、本多を倒す奴は何も名のある武人とも限らんさ」
「ワシを馬鹿にしたいのか、正家!」

言外に、「雑兵にすら本多を倒せる」と言った正家に、さすがの徳川も気を悪くしたらしく勢いよく立ち上がる。
己の主の剣幕に、本多は慌てて止める様子を見せた。
しかしそれを宥めるような声音で正家は言葉を続けた。

「窮鼠猫を噛む」
「?」
「追い詰められた鼠は猫すら噛む。仲間が減り、将も首を取られ、後がなくなった力なき雑兵もその元凶に歯を向ける」
「…それは……」
「圧倒的な力で相手を圧倒するのもいいだろう。だが、それだけ、お前も落とされやすいと知れ。本多が大切なんだろ?」

本多が戦えば仲間の被害は少ないのだろうけれど、と付け加えた正家の顔には先ほどまで浮かべていた嘲笑うかのような表情は消えていた。
その様子に徳川も、声を荒げたことを恥じるように腰を下ろした。

「すまん」
「いや。わざと意地の悪い言い方をしたんだ、お前が謝る必要はない」
「…ああ。兵に恐怖を与えるのは良くないな。気を付けよう。しかし忠勝が戦国最強ということは譲らないぞ!」
「はは、そうか」

正家は笑みを浮かべたが、それもすぐに消えてしまった。
本多を見、徳川を見、最後にふと空を見上げた。

「…そうだといいなあ。ずっと、絶対。そうであれば、長秀さまがあんな目に合うことなど…」
「ああ…長秀殿か。ワシも聞き及んでいるよ。家臣に裏切られたそうだな」
「城を奪われ、今は小さな館に住んでらっしゃるらしい。裏切りなど…乱世の常とはいえ…」
「信長殿の元にいた頃はよくしていただいた。…難しいなあ、人の心とは」

俯き、かつての主を思う正家の瞳が揺れる。
「ずっと」、「絶対」、こいつが望むものはそれなのか。
秀吉様が世を平らかにした暁には、こいつの望む不変を与えることができるだろうか。
秀吉様の御為にと働き、半兵衛様の下に学び、こうして語らう今、この瞬間を。
ただ一つ、私が正家に与えられる必然がある。

「正家」
「うん?」
「私は貴様を裏切らない。だから貴様も私を裏切るな」
「……三成」
「あの日の誓いを果たせ。分かっているな」
「…ああ、そうだな、俺と三成の約束だけは絶対だ! 必ず果たそう、今再び、ここに誓うよ」

頬を高揚で赤らめ、正家が強く私の両手を握る。
らしくもなく落ち込んでいたが、もう元気になったか。
力を込めて握り返せば琥珀が溶け出したようにとろりと瞳が和らぐ。
正家と会話していたはずなのに完全に置いていかれた徳川が目を丸くしている。
ふん、私と正家の間に割り入るなど不可能だと思い知ったか。

窮鼠と猫


「…刑部」
「何ぞ用か、徳川」
「あの二人は…その、好い仲なのか?」
「そう見えるのも仕方なきことよ。ただ、あやつらはただの昔馴染み。まあ、想い合ってはいるがな」
「やはりか! 正家と話していると三成の視線が痛くてなあ…」
「ぬしはそれを面白がっている色があるように見える」
「ん? ははは!」
「(笑って誤魔化しやった)」

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