指先 | ナノ
「ぬしは何をそんなに悩んでおる」
「…紀之介」
「長秀殿の城から帰ってからだな。何があった。ぬしにそのような面は似合わぬ」
「ごめん、心配かけちゃったかな。…何でもないから大丈夫だよ」
「それが大丈夫だと言う奴の面か」

しゅん、と畳に座り込んでいる新三郎に話しかける。
…こやつが大人しいと佐吉もどことなく落ち着きがなくて本に面倒よ。
茶を零すわ裾に蹴躓くわ、挙げ句池に落ちよった。
普段見られぬ様子は面白いがからかっても反応がないのは面白くない。
故にわれがわざわざこやつの悩みを解消してやろうと聞いてやっているというのにこやつは。

「いいから言うてみよ」
「…笑わない?」
「ことによっては」
「うん、紀之介のそういうところ好きだ。嘘でも笑わないって言わないところとか」
「それで、何を悩んでおる」
「ええっと…」
「……………」
「…紀之介は……恋したことある?」
「ぶっ!」
「!?」

こやつは今何と言った。
恋、と?
新三郎から出てくるとは思わなかった言葉が聞こえてきた。
…まあ思い当たる節がないわけではない。
佐吉のことであろ。
帰ってきてからやけに佐吉のことを意識していたからな。

「…われだって恋の一つや二つしたことはある」
「え、嘘だ…」
「ぬしよりも人生経験豊富な年上であるぞ、われは」
「………。そのとき、どうなった?」
「われは特に何も」
「え?」
「恋をしているとは認識していたが、世間一般的に言われているようなことは起きなかった」
「……………」

われの言葉にふと考えるような仕草をする新三郎。
…何を悩んでいるのか、本当に。
恋に関することだろうが…。
………誰かに恋について話されたのか?
そうならば「誰か」は丹羽長秀だろう。
…長秀殿に、佐吉に恋をしているのでは、とでも言われたか。

「…恋なんて、誰彼同じものではない」
「…長秀さまも言っていた」
「相手に愛されたいと望む者がいれば想っているだけでいいという者もいる。触れたい、心を通わせたいと願うこともあれば離れていたいと願うこともある。千差万別よ」
「そうかぁ。じゃあ、だからといって、俺が恋しているってわけじゃないよな」
「佐吉にか」
「うん、長秀さまはそうおっしゃって──え?」
「佐吉に恋しているようだと言われたのではないのか」
「え、え、そう、だけど」
「ぬしは分かりやすいのよ。戦場では顔を引き締めねばならぬぞ」
「は、はい。え、俺、そんなに分かりやすかった?」
「佐吉のことを意識しすぎだ」
「嘘!」

目を大きく開き、こちらをまじまじと見てくる新三郎。
…こやつは何故、こんなにも感情が表情に出るのだろうか。
将来、一介の将となる者がこんなに純粋、素直で大丈夫だろうか。
戦場に出るということは人を殺すことになる。
こやつは、新三郎は、耐えることができるのだろうか。
人を殺すという苦悩に、悲劇に、罪に。

「まあ気にするな」
「……」
「それが恋か否かは時が経つにつれ己の中で得心がいく。初めての恋となるとよもや一晩で分かるものではなくなる」
「…みんな、そう言うんだ。そういうものなの?」
「まあ、そうよな」
「……そうか。うん、ありがとう、紀之介。気にしないことにする」

先ほどよりかは晴れた表情で新三郎が笑った。
…こやつが笑うと心が安らぐ。
これに、われも佐吉も絆されたのか。
だからこやつに元気がないだけでわれも佐吉も気が散漫するのだろうか。
にこりと笑った表情を崩さずに新三郎は去っていった。
その背は軽くなったようだ。
それを見届けわれも重くなった腰を上げた。

* * *

最近新三郎に避けられている、気がする。
…やはり、あいつもまた私を侮蔑し妬み、離れていったのだろうか。
丹羽の城より帰ってきた日を境に私に近寄らなくなった。
露骨にではないが、それでも向こうから引っ付いてくることは激減した。
ただ遠くから私を見ているだけなのだ。

「新三郎…」

いよいよ耐えられなくなり、五日程前、紀之介に不安を洩らしてしまった。
私の言葉を聞いた紀之介は、呆れたような、困ったような顔で笑ってみせた。

「何、気にするな。気づいたら元に戻っているはずよ」
「……何故そう言える」
「なに、われも気になって本人に聞いたまで。実にくだらなく、しかしあやつにとってはなかなかどうして重要な問題ということよ」
「……………」
「いずれぬしの為になる。待ちやれ」

ポンポンと肩を叩かれ、諭すような口調で告げられたが納得がいかない。
紀之介が新三郎の悩みの原因を口にしないのだ、きっと何かあるに違いない。
…私の為になる。
それが一体、どのように私の為になるのか、分からない。

「…新三郎」

悶々と悩みながら城内を歩いていると、おろおろとしている新三郎が目に入った。
きょろきょろしながら同じ場所を行ったり来たりしている様子から、恐らくまた迷っているのだろうと予想がつく。

「……………何をしている」
「っ! さ、佐吉」
「…。こんなところで何をしている」
「……迷っちゃって…」

やはりな。
予想があたり、ため息を吐く。
新三郎の様子を見ると、おどおどと私と目を合わせようとしない。
その姿を見て、胸が、心が、締め付けられた。

「……佐吉」
「…何だ」
「手」
「は?」
「手、かして」

新三郎の右手が私に向けられる。
その目は、先ほどのように泳がず、真っ直ぐに私を見つめていた。
頬が赤いように見える。
新三郎の意図も分からず、とりあえず己の右手を差し出す。
両の手でぎゅ、と握られる。
温かさが伝わってくる。むしろ熱いくらいだ。
少し汗ばんだ、震えた小さな手に包まれる。

「新三郎…?」
「…佐吉…。俺…、」

* * *

佐吉を避けてしまっていた。
それは自分でもよく分かっていた。
でも何が何だか分からなくて、そのもやもやとした気持ちをどうにも出来なくて。
また城内で迷ってしまい困っているときに佐吉に会ってしまった。
困惑が顔に出てしまっていたのだろう、佐吉が傷ついたような表情をした。
ああ、俺は佐吉を傷つけてしまった
笑わなければ。
笑って、佐吉を安心させてやろうと思うけれどもうまくいかない。
ただおろおろと視線を泳がせることになってしまった。
ああ、こんな態度でも佐吉を傷つけてしまっているのだろう。
意を決して佐吉を見つめる。

「……佐吉」
「…何だ」
「手」
「は?」
「手、かして」

俺の言葉に、訝しげにしながらも右手を差し出してくる佐吉。
その手を、両手で強く握りしめる。
どきどきと、心の臓が高鳴る。血の巡りが速い。
頬が耳が指先が腹が、熱い。
話しているだけでは、まだこの症状も軽い。
目が合ってしまえば、触れてしまえば、酷く緊張しているかのような反応をしてしまう。
佐吉にだけ、だ。
佐吉にだけ、こういう症状が起こる。
佐吉が、特別なんだ。

「新三郎…?」
「さ…佐吉…。俺…、」

佐吉と視線を合わせる。
心がきゅう、と音を鳴らす。
照れくさい、嬉しい、恥ずかしい。
いろんな感情がごった混ぜになっている。
思考がぼやけて、佐吉以外を考えられなくなる。
…ああ、これが、恋か。

「…ごめんね、佐吉。少し悩み事があって、佐吉にひどいことをした」
「……貴様が悩み事か。何をそこまで悩んでいた」
「ないしょ」
「…紀之介には話したのにか」
「……強くなりたいな、って話したんだ」
「…ふん、まあいい。また迷っていたのだろう。どこだ、どこへ向かっていた」
「…食料庫」
「な…、それは反対側だ!」
「ええ、嘘だ!」
「私が嘘を吐くわけないだろう! 本当に、貴様は目が離せぬ。行くぞ、私を見失うなよ!」
「うん!」

大好きな佐吉を見失うわけ、ないじゃないか!

道しるべ


「やれ、ここにいたか、新三郎」
「! 紀之介!」
「佐吉も一緒か。また迷ったのであろ、まっことぬしは、これだから目が離せぬ」
「あはは」
「腑抜けた面をするなッ! もう城の造りは覚えても良い頃だぞ!」
「痛い、痛いよ佐吉!」
「(…ようやっと自覚をしたか。…世話のかかる奴よな。佐吉も新三郎も)」

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