「…じゃあこことここと……………うん、分かった。次のレッスンまでに考えておくね」
「ありがとう、あんずちゃんよろしくね。…あ、あー、えーと、じゃあ僕はこれで…」

あんずが手帳にメモをしている間に、真は逃げるように教室を出て行った。

真が女の子に免疫がなくうまく話せないのは、付き合いのある生徒たちにはよく知られたことだった。
自分でも公言しているように、最近では大分慣れたようであんずとは普通に話せるようになっていた。しかし、あんずの横にもう一人の転校生、ななしがいるだけで状況は一気に悪化した。前髪で顔を隠したり、俯いたままでいたり、ひどい時には180度方向を転換して逃げていく始末だ。
今もあんずとななしが二人で企画を練っているところへレッスンについて相談しに来たのだが、ななしが一緒にいることに気が付くと入り口で固まってしまった。あんずが声をかけてようやく教室の中へやってきたが、一切顔をあげることなく小声で用件を伝えると、ほとんど走るようにして去っていった。ななしはそんな真の後ろ姿を寂しそうに見つめている。
その様子を見てあんずはこっそりと溜め息を吐いた。どう見たってふたりはお互いを気にしあっている。それは恋愛事に疎そうな北斗ですらも気付くレベルだというのに、本人たちだけは気が付かないでいるのだから手に負えない。あまつさえ自分自身の気持ちにも気付かず、お互いに嫌われていると思っている節さえある。
これは早いうちになんとかしないと。あんずは頭の中のメモに重要!と書き加えた。
ななしは真が出て行った扉を見つめながら、小さく呟いた。

「あんずちゃんはいいな」
「え?」
「み、みんなと、その…仲良く出来て…」

みんなと、ね。ななしの本心が透けて見えるようだった。あんずは机の上に散らばっていた資料をファイルにしまうと躊躇いがちに尋ねた。

「ななしちゃんってあんまり人と話すの、得意じゃない?」
「ううん、そういうわけじゃ、ないんだけど」
「そうだよね。真緒くんとか、結構仲いいよね?」
「あ、うん。衣更くん優しいよ」
「…もしかしてB組、仲良くない?」
「えっ?まさか!みんなすごく優しいよ。大神くんとかね、怒りながら手伝ってくれるんだけど…ふふ、あのね、怒る理由がね、持てないなら無茶するな!なんだよ。優しいよね」

大神がななしを叱りつけながら荷物を代わりに持ってやる姿は簡単に思い浮かべられた。学園のいたる所でよく見かけられる風景だからだ。
ななしは嬉しそうにはにかむと髪を耳にかけた。
同性のあんずから見てもななしは可愛くて魅力的だ。みんなに嫌われている…ということはないだろう。あんなことを言い出した理由を分かっていながらも、もしかして何かあるのかと邪推せずにはいられないのは、あんずがななしを大好きだからだ。

「ななしちゃんもみんなとうまくやれてるじゃない」
「ほんと?そうだと、いいんだけど……やっぱりわたし、あんずちゃんが羨ましい」
「どうして?」

どうして?と聞いて、あんずは自分で意地悪だなあと思った。そんなの、決まっている。ななしはみんなと仲良くできているあんずが羨ましいのではない。ある特定の人物から避けられ、傷付いているのだ。困った人たちだな。
答えられず黙りこんでしまったななしに、あんずは出てきそうだったため息を飲み込んで、ななしの手をとった。

「大丈夫、ななしちゃんなら」
「あんずちゃん…」
「ななしちゃんを悲しませるやつはわたしがスペシャルレッスンしてあげる。いつもの10倍きついやつ」
「うん、ありがと」

伏し目がちだったななしの表情がぱっと明るくなった。あんずはほっと息を吐くと、本題を切り出した。

「真くん」
「ひえっ?」

握ったままの手がびくりと震えた。

「ななしちゃん、真くんが好きなんだね」
「わ、わたしが?」
「うん」
「そんな。遊木くんのことは、あの、そんなんじゃ……」

慌てて否定するものの、顔はどんどん赤くなっていく。

「やっぱりそう、なのかな」
「わたしにはそう見えるよ」
「でもわたし嫌われてるから」
「うーん、こういうの、他の人が言うのってよくない気がするんだけど…ななしちゃんだから特別だよ」
「え、う、うん」
「真くんも、ななしちゃんと同じこと思ってるよ、きっと」
「ほん、とう?」
「ほんとう。わたしがななしちゃんに嘘ついたことある?」
「ない…」
「でしょ」

あんずはにっこり笑うと、机の上のものを全て片付けた。きょとんとしているななしのペンケースへ筆記用具をしまってやると、ようやくそれらを鞄へ詰め始めた。

「今ならまだ追いつけそうじゃない?」
「い、まから?!」
「プロデューサーには行動力も必要だと思う」
「たしかに…」

うまく言いくるめられていることがバレる前に二人で教室を出た。駆け足で階段を降りて行くと、ちょうど下駄箱の前に彼の姿があった。あんずはななしの背中を押してやる。

「ゆ、遊木、くん!」
「…えっ、あ、あ〜、ななしやま、さん…」
「あの、あの、い、一緒に帰り、たい、です…」

最後のほうはほとんど吐息のようにかすれてしまっていたが、なんとか言葉は伝わったらしく、真は顔を真っ赤にさせて「ぼくも」と言った。
それを階段の影から見守っていたあんずは笑顔で頭の中のメモに書き足す。瀬名先輩にバレないようにしないと、と。



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