「主〜、今度の遠征なんだけど」
「はあい、え!っう、わ…ぎゃっ」

ばさばさと紙類が散らばる音がしたかと思えばどすんと鈍い振動が伝わり、扉にかけた手がこわばった。大方、書類を踏んづけて滑ったんだろう。
慌てて中を覗けば案の定、畳に転がる主の姿があり、書類をまとめていれるというふぁいるや大きめの封筒が散らばって、棚の近くには足踏み台が倒れていた。ああ、どうやらあれから落ちたらしい。

「主っちょっと、大丈夫!?」
「あはは、転んじゃった」
「もう!いつも慌てないでって言ってるでしょ!ただでさえ鈍くさいんだからさあ…」
「め、面目ない…」
「ほんとそういうのやめてよね」

主は俺達と違ってすぐに元気になるわけじゃないんだから。喉まで出かかった言葉をどうにか嚥下する。それは決して主のためというわけではなく、自分自身のためだった。
それを口にしてしまえば、主とは別の存在であるということが強調されて気分がよくないからだ。
冷たく当たりはするものの、本当はこの人を好きだから。大事にしたいと思うのに、いざという時を考えると怖くて自分の一番にできないほど好きだから。

「ほら、こっちに寄って…。あーあ、ぐしゃぐしゃになってるじゃん」
「あっやだ、明日送ろうと思ってたやつだ…どうしよう」
「書き直すしかないでしょ、お上にこんなの出したら怒られるよ」
「だよねえ…やっと休憩できそうだと思ってたのになあ」

はあ、と深いため息をついた主の目元にはくっきりと隈ができていた。
そういえば最近は立て続けに仕事が舞い込んできて忙しかったんだっけ。通常業務に加えて新しく見つかった刀剣の報告や、敵の動向をさぐった調査書を出さなくてはいけないと第一部隊にあれこれ聞いていたのを思い出す。部屋の明かりが遅くまでついていたのも何度も見かけた。
もっと、頼ったっていいじゃん。みんな喜んで手伝うのに。もちろん、俺だって。鈍くさい主のくせにむかつく。そんなに頼りないわけ?

「清光、ごめんね。遠征のことはあとで書面にして渡すから。先にこれ終わらせていいかな」
「え…でも、お昼だってまだ…」
「うん、そうなんだけど…大丈夫。その前までには遠征のも、」
「だめ!さ、先にするべことあるでしょ!」
「でも」
「自分の顔ちゃんと見た?ひどい顔してるよ。声かけられただけで落ちるって相当でしょ。注意力も落ちてて、そんなんできっちり仕事できるの?」
「う、それは」

食事すらまともにとらず働き詰めな彼女にどうにか休んでほしくて言葉を繋げるのに、うまく言いたいことが伝えられない。そうじゃない、そうじゃなくて。そんな冷たい言葉をかけたいんじゃなくて、ただもっと自分を大事にしてほしいって言いたいのに。
しょんぼりと肩を落とす主に心が痛んだ。もう、言うしかない。

「だ、だから…その、主のことが心配だから休んでって言ってるの!」
「………え?」
「な、なに!?」

恥ずかしくてつい大声で返事をしてしまう。きっと今鏡を見るべきは俺のほうだ。耳まで赤くなっているだろう。

「ううん、まさか清光がそんなこと言ってくれるなんて思ってなかったから…びっくりしちゃって」
「もう!そういうのいいから!さっさと食べに行ってよ、こっちは俺が片付けとくから!」

無理矢理追い出して扉を閉める。障子に映る影がこちらを窺いながら一歩二歩と歩き出した。

「清光、ありがとう」

去り際に聞こえたその一言が思った以上に心をあたためて、ようやく俺は自分の一番を認めることとなったのだ。



(もかお姉ちゃんへ)(おかえりなさい!)


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