「あなたがななしちゃん?」
「うん」
「わたしたち隣の家に引っ越してきたの。うちの子と仲良くしてくれる?」
「…うん」
「おれ、くになが。よろしくな、ななしちゃん」
「よろしく、くにながくん」

4歳の時、わたしの家の横に二階建ての綺麗な家が建った。真新しい隣の家に住むひとつ年上の国永くんに初めて会ったとき、それはもう幼いながらに思ったものだ。こんなに綺麗な人って他にいるんだろうかって。白くて柔らかなほっぺたや見た目に反してわたしの手を力強く引く華奢な指先。神様みたいで全部好き。
この世で絶対国永くんが一番に決まってる。絶対。そのわたしの思いは成長とともに世界が広がってきても今の今まで一度も裏切られていない。どんなに綺麗な子も国永くんと並んでしまえばぼんやりして見える。やっぱり国永くんがいちばん綺麗。それがわたしは誇らしかった。
自慢の国永くん。

思い返してもわたしはいつも国永くんのあとをついて回っていて、追いかけるようにして高校、大学と同じところへ進学した。嬉しかったのは、国永くんが何も言わなくても同じところへ進学するんだと思ってくれていたこと。
受験の話が出ればそれが当たり前かのように受験対策や、この学校はああだこうだと話してくれて、本当に嬉しかった。国永くんの世界に、わたしはいて当たり前なのだと思えたから。
わたしにとって国永くんは何よりも尊いもので、国永くんにとってわたしもまた、いて当たり前のものだと信じて疑うことなどなかった。

そんなわたしの当たり前が初めて崩れたのは高校に入学して間もなくだった。
教室移動で中庭を通った時だ。今でも忘れられない。手を繋いでいるのを、見てしまった。相手は国永くんと同じクラスの人だった。登下校はいつもわたしと一緒だし、勘違いかもしれないと思って勇気を出して問いかけた。国永くんはにこりともせず、ああ、と小さく呟いた。むしろその瞳は見たことがないほどに冷たかった。

「なんだ、見てたのか」
「う、ん」
「昨日告白されてな、付き合うことになったんだ」
「そう、なんだ…」

あっさりとした返答に、がつんと殴られたような気分で目の前が真っ暗になりそうだった。声が震えてうまく返事ができない。聞きたいことはたくさんあった。
その人のこといつから好きだったの?付き合ってるのにわたしと一緒に帰ってもいいの?ずっとわたしといてくれるって、そう思ってたのは思い違いだったの?でもどれひとつ言葉にならなくて、転がり出たのはよかったね、なんて強がりだけ。
国永くんの困ったような微笑みが目に焼き付いた15歳の春、神様なんていないのだと思った。初恋が実らないことも知った。
それでも国永くんのそばにいたくて気持ちを押し込めているうちに、二人はあっさり別れてしまっていた。いつもわたしといるものだから、突然何かが変わることはない。だからいつの間に二人が終わったのかは分からない。
ほっとしたのも束の間、そのあとも国永くんは何人も付き合っては別れを繰り返し、そうしている間に噂が広まった。鶴丸国永は来る者を拒まない。告白さえすれば付き合える、と。
下らない噂話だとは思ったけど、もし本当ならわたしも彼女にしてもらえるかもしれないなんて淡い期待を抱いた。

「国永くん、また彼女と別れたってほんと?」
「ん?んん、まあなあ」
「ねえねえ、ならわたしがなってあげようか?」
「は、」

いつもの帰り道、チャンスとばかりにわたしはそう言った。頷いてって強く願いながら見つめると、国永くんはぱっちり目を見開いてわたしを見た。すぐに破顔して笑い始める。それも堪えられないとばかりに大笑い。

「はは、ななしが?それは面白い冗談だな!」
「冗談じゃないのに」
「君にまで手を出すほど飢えてなんかないさ。ははは、お前もさっさと彼氏の一人でも作ったらどうだ?いないのか?」
「いると思う?いたら毎日国永くんと登下校なんかしてないでしょ」
「それもそうだな、はは、は、げほっ、はあ、はー、笑った笑った」
「ちょっと!笑いすぎじゃない?!笑いすぎてむせてるじゃん!」

どうにかこうにか本心だけをうまく隠して、呼吸が乱れるくらいに笑っている国永くんの背中をべちりと叩く。いたいなあなんて言うけど、全然痛くなさそう。むかつく。もう一度強めに背中を叩いてやると思いの外いい音がした。べしっ。

「すいませんねえ、カレシもいなくって」
「いや、いいよ、君は今のままで」
「なにそれー」
「いいんだ、今のままが一番いい。俺は君とこうしているのが存外好きでな」
「なにそれ、ずるい。…わたしもだよ」

わたしだって、ずっと国永くんといたいのに。いつだって離れていくのは国永くんのほうじゃないか。この神様は何も分かっちゃいない。
悔しくて悔しくて、どうしても嫌いになれなくて、今日もわたしは幼馴染みの顔を穴があきそうなほど見つめるのだった。



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