残業を終えて、重たい体を引きずってがらがらの電車に乗り込む。最寄駅まで一本で帰れるのが救いだった。
今日は朝からついてない。先輩は忘れた資料をわたしのせいにしようとするし、定時に帰れると思いきや滑り込みで急ぎの仕事が転がり込んでくるし。溜息を堪えることができなかった。どこか遠くでアナウンスを聞きながら外の明かりを眺める。

定期をかざして改札を抜けると、横から声がかかった。あれ、と思う。こんな時間にこの子は何故ここにいるのだろう。壁際で携帯をいじっていたらしい弟の姿。ポケットへ携帯をしまい、ギターケースを背負い直すとこちらへやってくる。

「姉ちゃんおせーよ」
「りんと?なんでこんなとこに?」
「…もうこんな時間だし、一人で帰ったら、あぶねーだろ」

ぽかんと開いた口が塞がらない。言った本人は頬を真っ赤にして俯いている。自分で言って照れちゃってるんだ。わたしの弟は本当に本当に、なんて可愛いのだろう。
きっとお母さんからまだ帰っていないことを聞いて、待っていてくれたんだ。その気遣いが嬉しくて、素直にお礼を言った。

「ありがとう凛十」
「…俺も千里たちと練習した帰りだったしさ、ついでだし」
「うん。でも少しは待っててくれたんでしょ?だからありがとう」
「いーよべつに…姉ちゃん危なっかしいし…」
「ふふ。じゃあ帰ろっか?」

疲れていたし本当はタクシーで帰ろうかと思っていたけど、せっかく凛十が迎えに来てくれたのだ。たまのことだし歩いて帰りたい。
隣に並ぶとよく分かった。弟はいつの間にこんなに大きくなってしまったのだろうか。わたしはどちらかといえば背は低くないけど、すごく大きく見える。

「姉ちゃんそれ持ってやるよ」
「え?でも凛十のほうが荷物多いよ」
「ん、でも疲れてんだろ」
「いいのいいの、代わりに手、繋いでくれる?久しぶりに」
「は、はあ?!いい歳してキョーダイで手ぇ繋ぐとかっ」
「いーじゃんいーじゃん。そんな嫌がらないでよ、おねーちゃん傷付いちゃうな?」

下から覗き込むように凛十の瞳を見つめる。街灯にきらきらと輝いて星みたい。むっと唇を尖らせて「…ん」ぶっきらぼうに右手を寄こす。触れた手は温かい。その熱がじわりじわりと溶け込んで、心が癒された。

「そういえば、千里とけっこう会ってないな」
「いーんだよ会わなくて!」
「ええ、いいじゃない。幼馴染みなんだし。一緒じゃなかったの?」
「…一緒に待つとかいうから、帰らせた」
「あれー?凛十ってば、もしかしてお姉ちゃん取られるとか思ってる?」
「姉ちゃんそれ冗談になってねーからな!あいつマジで狙ってるんだぞ!」
「あはは、大丈夫だよ、わたしももう若くないんだし」

そういう問題じゃねーんだよ!凛十はぷんすか怒っているけど、わたしの心は晴れたままだった。相変わらず千里には振り回されてるんだなあ。
凛十は凛十で忙しそうにしているし、昔ほどこうして話す時間がなくなっていたことは思っているよりもわたしを寂しがらせていたらしい。
そう思ったら嬉しくて嬉しくて、弟の手を強く握りたくなった。



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