茹だるような暑さの中、資料を片手に坂を登っていく。ゼミ研究も大詰めとなったが今ひとつ決め手に欠けるため、夏休みを潰して真琴たちと作業を行っているのだ。最近は毎日のように部屋へ行っているため、わざわざインターホンを鳴らすこともなくなっていた。
リビングに続く扉を開けるとクーラーで冷やされた空気が足元を這った。

「おい、真琴、ゼミ研の資料だけ…ど」

ばさっ。しんとした部屋に資料が散らばる音だけが響く。真琴は情けない顔をして俺を見上げていた。おいおいおいおい。状況が理解できず資料を拾い上げることもせず立ち尽くした。
何故か真琴の膝の上で彼女がすやすやと寝息をたてていた。誰の彼女って、俺の彼女が。
慌てて真琴が口を開いた。

「ちっ、ちが、ちが!くて!凛!違うから!」
「…その馬鹿いつからそこで寝てんだ…」
「……ええと…2時間、くらいかな…」
「2時間…」
「なんかななしの部屋のエアコン壊れちゃったらしくて涼みに来たんだ」

だからななしは悪くないんだよ。と意味不明な擁護をする。

真琴とななしは幼馴染みだ。隣の家で育ち、親同士が仲がいいこともあり自然と真琴はななしの面倒を見てきた。もともと真琴は世話好きだし、ななしは当然のように受け入れ見事なまでに能天気な性格となった。
そんなななしがよくもまあ受かったものだが、きちんと東京の大学に進学することになり、心配したななしの親は真琴と隣同士の部屋を契約することを条件に一人暮らしを許した。「何かあっても真琴くんが隣にいれば安心」なのだという。あの親にしてこの子あり。親子揃って真琴が好きらしい。
そうしてそれをいいことにななしは今まで以上に真琴に甘え、真琴の過保護にも拍車がかかった。おいお前。俺と同じとこに行きたくてこっち来たんだったよな?あ?
深いため息がつい出てしまう。馬鹿すぎて頭が痛くなるぜ。後ろ手で扉を閉めて近寄るとより一層ななしの馬鹿な寝顔がよく見えた。真琴の膝に頬をすり寄せて気持ちよさそうに寝ている。

「その馬鹿起こせ」
「えっ、可哀想だよ!こんなに幸せそうに寝てるのに…」
「いいから起こせ」
「はい!」

随分低い声が出てしまった。ビビった真琴は情けないを通り越して泣きそうな顔でななしの肩を揺すっている。っつーかよくこんだけ近くで喋られて起きないでいられるな。

「ななし、起きて」
「んんう…?」
「ななし〜、凛が来たよ」
「…んむ、もう食べられないよお…」

揺すられても起きそうにない。その上寝返りをうって、真琴の腹に顔をこすりつけて両腕でホールドしやがった。いらっとしたところに、あまりにもベタな寝言。
その時、俺はひとつ頷いて確信した。うん、俺の彼女だけどコイツ…さいっこうにあほだな!思わず脱力してしまった。

「…」
「…」

真琴が困った顔で俺を見つめる。仕方なく横にしゃがみ込んで耳元で叫んだ。小さな体がびくっと震えて飛び起きた。

「こんの馬鹿ななし!いい加減に起きろ!」
「ひゃっ、ひゃい!ごめんなさい!?」
「おはよ、ななし」
「…?まこ、おは、よ…」
「寝癖ついてるよ」
「え〜とって」
「うん、そうしてあげたいんだけどね、後ろ」
「?」
「うしろ、向こうか」

言われるまま首を動かしてこっちを向いた馬鹿はぽかーんと口を開けたまま俺を見た。

「り、りん」
「おう」
「…いつからここに」
「いつだろうな?」
「あの、あの、あの」
「なんだ」
「…おは、よう」

動揺を抑えきれないまま口から出たのはそんな言葉だった。にっこり笑って頭に手を乗せてやる。安心したのかななしもぎこちない笑顔になった。

「言いたいことはそれだけか?」
「いっ、痛い!痛いよお凛〜!」
「おっまえは真琴にどんだけ迷惑かければ気が済むんだよ?あ?」
「ごめんなさい!ごめんなさい!痛いよお頭ぎゅ〜ってするのやめてよおお」
「おらっ、自分の部屋に帰れ!」

うっうっ、いじけたように部屋に戻っていったななしが暑さに耐えきれずにこの部屋に戻ってくるのは30分後のことだった。
ゼミ研の資料をまとめ終わるのは明日になりそうだ。


みるきぃさんへ!

×