「ななしちゃん、もう寝る時間だよ」
「ま、まだ21時ですよ。明日の朝のことも決めてませんし」
「朝決めればいいじゃないか」

書類に向かっているといつものように光忠さんがそう言った。本丸の一日は日が昇る頃に始まり、日が沈んだ頃にはしんと静まっている。じじ、と蝋燭の芯が燃える音がした。
わたしの返事も待たず、光忠さんは机の上の書類を丁寧に片付けている。言い出したら聞かないから、渋々布団に潜り込んだ。満足そうに頭を撫でて、部屋を出ていく彼。わたしの心の支え。大好きな人。

光忠さんは、わたしをいつも子供扱いする。
もう寝なさい。早く起きなさい。ごはんを食べるときはお行儀よくすること。他にも色々。まるで手のかかる子供の面倒でも見るかのように接する。どんなにアピールしても、気付いているかすら怪しかった。清廉な香の匂いも、さりげなさを装って触れる手にも、意図を感じないのだろう。それがわたしはどうしても気に入らなくて、光忠さんには内緒で夜の本丸を出た。
小さな反抗。それこそが子供だというのに。
心の奥底では、ちゃんと分かっていた。光忠さんは元は刀剣であり、わたしなんかちっぽけな存在だ。彼からしたら子供も同然なのだろう。それでも、好きな人に意識してもらえないのは寂しかったのだ。
夜の庭は強い月明かりに照らされている。雲ひとつ見当たらない。足元の影がくっきりと色濃くそこにあった。わたしの動きにあわせてもう一人のわたしが踊った。

「本当に、綺麗な月…」

あの真っ白なお月様には、彼の気持ちが分かるだろうか?
考えてもしかたない。光忠さんに見つかる前に、素直に部屋に戻ろう。そう思って後ろに足を引いた瞬間「こら」見つかってしまった。ふたつの星が、わたしを捉えていた。

「ななしちゃん、僕、ちゃんと寝るように言ったよね」
「ごめんなさい…」
「君は言葉で説明してもダメなのかな?」
「そんな」
「危ないから外に出たらダメだよって、口を酸っぱくして言ってきたんだけどな」

その口調に怒りはない。あるのは困ったような微笑み。ああ、やっぱり、わたしは彼にとっては幼子と同じなんだ。目頭が熱くなる。でも泣いたらもっと困らせる。絶対に泣くもんか。
光忠さんの掌が頬を撫でた。刀を握る掌は決してやわらかくはない。だというのにどうしてこんなにも心地いいのだろう。

「ななしちゃん、戻ろうよ」
「…はい」


蒼白い光に照らされるななしちゃんは、今にも壊れそうな儚さがあった。このまま声をかけないでいたら夜に溶けていくんじゃないかとすら感じるほどに。だけどそれは僕が許さない。
声をかけると大げさなくらい肩をはねさせてこちらを振り向いた。叱られて子供のように震えるななしちゃん。水晶の如き瞳は、僕のために揺らめいている。泣くまいと堪えているのか、薄い唇を噛み締めている。これって最高だよね。瞳が訴えていた。わたしを嫌わないでと。
体を満たしていく幸福感を確かめながら、部屋の襖をきっちりと締める。蝋燭の明かりだけが彼女をそこに存在させた。

「どうしてあんなところにいたんだい」
「ごめんなさい…」
「理由を聞いてるんだよ」
「…どうしても、大人になりたくて、」
「おとな?」
「も、もう、わたしはここに来た頃のような幼子では、…ありません」

僕に背を向け頭を垂れて小さくなっている彼女の項が灯りにとろりと照らされていたからかもしれない。
悪戯心がむくむくと湧き上がる。

「もう、子供じゃあないんです」
「そう」

その言葉が合図だった。首筋にかかる髪を横に払い、噛み付くように強く吸い付いた。その味はひどく甘い。びくりと跳ねた体も、溢れ出た吐息も、ただただ僕を満たした。

「君が子供じゃないなら、僕はもう我慢しなくてもいいよね?」
「えっ、」
「ほら、抵抗しないと…」

するりと肩を撫でる。「どうにか、されちゃうよ?」抵抗らしい抵抗はない。ゆっくりと振り向いた水晶の色は、期待だった。

「好きだよ、ななしちゃん」

ついに瞳から雫が零れ落ちたのだった。わたしも。囁くほどの小さな許しで、やっと君が僕のものになったんだ、ななしちゃん。


ひうがさんへ!

×