優しさとは時に残酷なものである。無為に振りまかれるそれはなんと憎たらしいことか。どれもこれも同じ大きさの愛であり、気遣いであり、無関心である。あの小さな体を取り巻くそれぞれ。
愛情という檻の中で大事に大事に育てられてきた彼女にはその残酷さが分からないのだろうか?
同じであるということの残酷さが。

襖を開けると遠くから聞こえてくる短刀たちのはしゃぐ声と、それを宥めるような柔らかい声。庭で相手をしてやっているのろう。意識せずとも耳に入り込む声がひどく忌々しい。君は、本当に。
わざわざ見に行く気にもなれず、溜め息を飲み込んで部屋へ戻った。

胸の奥にじくじくとした感覚。ああ、これが痛み。心が痛いとは、なんと刀らしくないことか。未だ胸を苛む。
驚きは心を生かすが、俺を殺しもするんだな。こんな思いが自分の中にあるだろうとは思ってもみなかった。
人と同じように心を持ち、肉体を持つというのは随分と滑稽である。所詮、この器は借り物。本質は刀である。白く華奢なこの体でさえ、彼女を簡単に壊してしまえるのだ。
何度か掌を握ったり開いたりすると指先まで血液が巡っていくのが感じられた。温かさとは、こんなにも恐ろしいものだったろうか。人の手に握られている時とはまた別物のようだ。

しばらくほうけていると鶴丸、と、あの甘やかな声が襖を通して鼓膜を震わせた。返事をするとゆっくり襖が開かれた。後ろから光が微笑みを隠すように射し込む。

「今、いいかしら」
「なんの用かな」
「いいえ、用というほどではないのだけど…みんながあなたと遊びたがっています」
「みなが、ねえ」

ゆっくりとした動きで部屋の中へ入ってくる。
口を衝いて出たのは随分と棘のある音だった。主は気付きもしない。そうだろうそうだろう、君は悪意に疎い。彼女の周りが今まで如何に守られてきたかがよく分かる。動きと心。のんびりしすぎていて、どちらも身を守るには危うい。
大層憎いことであるが、そのままでいてほしいとも思う。
愛されているが故に拒絶や悪意を知らない女。汚れを知らない馬鹿な女。世界とはひとつずれた所にいる。それは果たして幸せなのだろうか?
愛しくもあるが、哀れだとも思う。彼女のことになるといくつもの矛盾が生まれてしまう。自分のことなのにそれが不思議でたまらない。
濡れ羽色の瞳がくるりと動いて黙っている俺を捕らえた。

「何か都合が悪いようであればあの子達にはそう伝えますが」
「そう、だな」

口ではそう言っているが、断られるとは夢にも思っていないだろう。形だけだ。
その柔らかい表情を壊してやりたい。いつも微笑みが携えられているその口元を歪めてやりたい。薄汚れた気持ちがふつふつと沸き上がる。
君が思っているほど、世界というのは優しくはないんだぜ。

「あー、いや、俺はやめておく」

溢れんばかりに見開かれた瞳。桃色の唇がきゅっと引き結ばれて囁くような声が落ちた。そうですか。そうですよ。ちらり、視線を寄越すとその動きは「早かった」。そう、早かった。着物の裾をさっと揃えてもう襖に手をかけている。横からちらりと見える表情はおかしかった。笑おうとして笑えていない。
気分が高揚した。そうだ、君をそんなふうにするのは、俺だけだろう。自然と口元に笑みが溢れる。主は訝しげに俺を見て、襖にかかっていた手を降ろした。

「何が楽しいのですか」
「楽しくなんかないさ」
「では、どうしてそんな顔をするのです?」
「君の中にあるのは喜びや慈しみばかりだな」
「…なんの話ですか?」
「君は今、自分の気持ちがなんなのかを測りあぐねているのさ」

主はさっぱり分からないという顔をする。喜びや慈しみ以外の心のことなど教えられていないのだから、分かるはずもないのだ。だから怒りや悲しみに反応できないでいる。
濡れ羽色が揺れている。初めて出会う戸惑いに恐れを抱いているようだった。

「君は俺に腹を立てているのさ」
「何故…、わたしがあなたに腹を立てねばならないの」
「断られたからさ」
「鶴丸にも都合があるでしょう、」
「それは君の本心か?」
「…どういうことでしょうか」

本当に理解できていないとは!おかしくてたまらない。彼女を構成する感情を俺が壊すのだと思うと気が変になりそうだ。
そうやって俺を見る目が、他と違っていくことを望んでいるのだ。
美しさは毒、残酷な優しさ。愛情をもって大事に育てられてきた彼女はまさしく花のようである。

「君がいっそ、手折れる花であればなあ」
「なんですか?」
「いいや、なんでもないさ」

そうであれば、君を俺だけのものにできただろうに。



×