ざわつく街の中にいると色んなものが目に付く。
喧嘩するカップル、相手には見えもしないのに電話口に頭を下げるサラリーマン。ファッション雑誌のカメラマンや、危なそうなバイトのキャッチ。人間観察にはもってこいだ。
冬児も春虎と夏目との待ち合わせ場所へ向かいながら、四方を視線で追っていた。だが、毎日いるこの渋谷の片隅ではすぐに飽きてしまう。なんかねーかな、やばそうなこと。そう思ったのも束の間で、人目も多い真っ昼間の、霊脈の乱れもないここでは「面白そうなこと」は見当たらなかった。
待ち合わせ場所にはまだふたりの姿はない。仕方なくポケットから携帯を取り出して、よく服などを買うブランドのブログをチェックしはじめた。

「あの…」

すいません。あの、そこの…。か細い声が何度も何度も声をかけている。しかし、誰だか知らないが、声をかけられている本人は全く気付いていないらしい。
それも仕方がないだろう。こんな渋谷のど真ん中、人に溢れたここで、知らない人間に声をかけられて足を止めていてはあっという間にキャッチやそれに類似するものの餌食だ。知り合いであっても、声をかけられただけでは気付くかどうか危うい。
それを知ってか知らずか、困惑した声はどうしたものか、と自信をなくして小さくなるばかりだ。あの、すいません。もうほとんど独り言ともとれるくらいに小さい。
手近な壁に背を預けてネットサーフィンに勤しんでいた冬児も、なんだか可哀想になって、もとい、「面白そうなこと」だといいなと、携帯からちらっと視線を外した。そうすると何故だかぴったりと、目が合った。どうやら声をかけられていたのは自分だったらしい。
目が合ったことに気付いた少女は、ぱっと表情を明るくした。
だが見たことのない少女だ。そんな相手に声をかけられたことに驚きと同時に、不信感を抱いた。自分のまわりには様々なトラブルが集まりやすいからだ。陰陽塾生であることや、夏目との関わりが大きな原因だろう。だから最近は見知らぬ相手に対する警戒レベルが跳ね上がっているのだ。
しかし、平和そうな女だな、というのが冬児の少女に対する感想だ。少し肩の力が抜ける。

「あ、あのっ、」
「なんだ、お前」
「これ、…違いますか?さっきコンビニで落とされましたよ」
「ああ…」

そういってその少女が渡してきたのは陰陽塾の学生手帳だった。
それは中を確認してみると実際に冬児のものだったが、これを落としたというコンビニは待ち合わせのこの場所からだいぶ離れている。
まさか、そこからずっと追いかけてきてくれたのだろうか?「す、すみません…」無言でいる冬児にいたたまれなくなったのか、顔色を悪くさせて俯く。動いた拍子に揺らめいた柔らかそうな髪が顔にかかった。その影に興味をそそられたから、というのは、些か乱暴な理由付けだろうか。
あったな、「面白そうなこと」。
手に持っていた携帯がぶるっと身を震わせる。軽く目を通すと、春虎からのメールだった。夏目とともに、待ち合わせに遅れるという内容だ。コンあたりがまたなにかしでかしたのだろうか。
冬児は剥き出しだった警戒心を潜ませると、人当たりのいい笑顔を浮かべる。最初に天馬に話しかけた時のように。

「ありがとな。アンタ、名前は?」
「え?」
「俺は冬児っていうんだ。阿刀冬児。大事なものだったんだ、助かる」
「そうですか、それはよかった、」
「…そうだ、礼をするよ」
「あ、の、そういうつもりではないので、」
「まだダチとの待ち合わせには時間がかかりそうなんだ。それまで付き合うと思って、な?」
「えっと、でも、わたし…」

もちろん、彼女がお礼目当てに冬児をこんなところまで追いかけてきたとは思っていない。そんな図々しい人間はそもそも拾い物などしないだろう。冬児もいつもだったら落し物を拾ってもらったくらいでは言葉で感謝を述べて終わる。
しかし興味が湧いてしまったのだ。あの馬鹿と同じくらいお人好しのような気がするこの少女に。
もにょもにょと曖昧な返答に、押せる、と思った。春虎と夏目が来るまで、少なく見積もってもあと1時間。
どこまでこの少女を懐柔できるか。閉塞的な環境に身を置くようになってなかなか触れることがなくなったタイプのオモチャに、心がざわつくのを確かに感じたのだった。



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