「せんせぇーせんっせええー!」
「うるさい!俺は今なあ!」
「はい、ごめんなさい」

いつものように書をしたためて過ごしていると、外から大きな声で呼びかけられる。無視しても呼び続けるのはななししかいない。なるも美和もタマもヒロシも、あいつらはなにも言わずに入ってくるからだ。
そんな中、ななしだけは勝手に入ってこない。彼女は変に律儀で、俺があの呼びかけに答えるまで決して入ってこようとしないのだ。結局邪魔をされるなら入ってこようがこまいが一緒なのだが、ななしにとってはどうも違うらしい。
にこにこと玄関で待ち続けるその姿は放っておくには良心が痛みすぎる。さながら忠犬のようなのだ。尻尾を勢い良く振って、主人を待つ犬。
実際、ななしはこうやって玄関まで呼び付けはすれども、そのあとは実に大人しくしている。俺が仕事を終えるまでは一人で課題をやったり、時にはかるい食事を用意してくれることもあるくらいだ。

せんせえせんせえ連呼するななしにうるせえ!と叫び、ガラッと勢い良く引き戸を開けたその先にはやっぱりななしがいて、いつもと同じように笑顔で俺を待っていた。
にこにこにこ。本当に尻尾が見えそうだ。

「先生、ごはんちゃんと食べましたか?」
「た、たべてる…奥さんのご飯はおいしいからな」
「それはよかったです」
「まあ、入れ」
「はい、お邪魔します」

こうやって来る度に母親のように世話を焼きたがるのは少し気恥ずかしいけど、まあ気にかけてもらえるのはありがたい。どうせ自分では用意もでき…ちがう。やらないだけでできないわけじゃない!誰にでもなく言い訳をする。
ななしは綺麗に靴を揃えてカバンを持ち直すと、あっと声をあげた。

「どうした?」
「そうだ。先生、今お腹空いる?」
「そういえば小腹が空いたな」
「昨日お菓子作ったんですよ、お茶にしましょう」
「助かるよ」

渡された紙袋の中を覗くと、甘い匂いがふんわり届いた。すげーいい匂い。
家では母親が厳しくてあまり食べることも多くなかったが、島に来てからは美和やたまの持ち込むスナック菓子や、ななしの持ってくるお菓子も少し食べるようになった。「なあ、これなんだ?」台所のほうでお茶の準備をするななしに声をかけると、思いのほか近くから返事が返ってきた。

「シフォンケーキですよ」
「うおっ」
「わっ、え?」
「驚かせるなよ!」

後ろから覗き込むような体勢に肩が跳ねた。ちか、すぎる!俺の声に驚いたのかななしも小さく体を震わせて、揺れた髪が顔にあたってくすぐったい。
拗ねたように「わたしが驚きましたよっ」と言うななしは普段はあいつらよりずっと落ち着いていても、こういときは年相応なんだな。こっちこそだいぶ驚いたが、勢いに押されてすまん、とこぼすと満足げに笑った。
なんだか腑に落ちないが、ひとまず居間のテーブルを片付けなければならない。
ななしは鼻歌を歌いながら、いわく、ティータイム…の準備をすすめていく。

「シフォンケーキ、うまく焼けたんだよ」
「ケーキって家で作れるんだな…」
「先生、昔ケーキ屋さんになりたかったんでしょ?今度一緒に作る?」
「うるせえ!その話はもうするな!」

綺麗に焼かれたシフォンケーキを行儀よくお皿に座らせる。わざわざ生クリームも用意してくれたらしい。普段はあまり紅茶を飲まないが、きっとよく合うんだろう。
しかし、ケーキ屋の話を振るのはもう本当に勘弁してほしい。

「あっ、そうそう、先生」
「ん?」
「わたしねえ、お母さんに先生とはどうなのって聞かれちゃったよ」
「なんでだよ」
「お菓子作ってよく持ってくるじゃない?すごく仲良くしてもらってるし」
「まあ、そうだな」
「だからお母さん、わたしたちが付き合ってると思ってるみたいです」
「ふーん」
「お父さんにばれないようにしなさいよーだって」

……?
普段と変わらない会話の中であまりになんでもないように言うものだから、普通に聞き流しそうになったが、今だいぶすごいことを言わなかったか?
付き合ってると思ってるみたい?誰と誰が?わたしたちが?
ななしと、俺か?
意味を噛み砕くのに時間がかかる。

「は?!そんな誤解が?!まずいだろ!」
「わたしは誤解されたままでもいいんですよ?でもお父さんは怒っちゃうかも」
「お前んちのおじさんめっちゃ怖いじゃん!」

そしたらもうここには来られないですね。からかうように細められた瞳に、頭をかかえた。
可愛がっていた忠犬に手を噛まれた気持ちだ。ペットなんか飼ったことないけど。

「大丈夫です。お父さんには内緒にしておくから」

そういう問題じゃないんだぞ、と思いながらこいつの年を思い出してる自分にまた頭をかかえるのだった。
なんでわざわざ年齢差考えてるんだよ、俺は。



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