「ねぇ、どうして?」
マスターが俺の顔を両手で包んで、額と額をくっつけて言った。俺は答えずに(答えることができずに)、レンズの向こうに見えるマスターを見る。ぎゅっと閉じられた瞳と震えるまつげ。早くその目を開いて俺を見て。そう願うのに、ずってそのまま俺を見ないでほしいとも思う。 低くうなれば濡れた瞳が俺をとらえて、溢れそうな涙が不安定にそこにとどまっていた。「ふらい、ご」不安そうに紡がれる声は俺がマスターになついてないって思ってるから?それとも、大事なパートナーが機嫌悪いから? どっちもただしくてどっちもただしくないよ、マスター。
「ね、なんとか、言って」 「…」 「どうして最近人型になってくれないの、嫌いになった?」
違う違う違う!言いたいのに言葉が出ないのは、ポケモンだから。言葉を発することなんてできない。せめて意思を伝えようと小さく首を横に振れば、マスターはますます悲しい顔をして「じゃ、なんで」消えそうな声で問った。 あのさぁマスター。俺はポケモンじゃん。で、マスターは人間なわけ。いくら俺が人間の姿になったってね、マスターとは一緒になれないんだよ。 唇を合わせたってその体に触れたって、いつかはきっとさよならだ。絶対俺のほうが先にいなくなるよ。そうしたら悲しいのは、マスターでしょう。俺がいなくならなくたって、もしかしたらマスターにはちゃんと『人間の』相手がみつかるかもしれない。いや、きっといつか見つかるでしょ。そのとき俺との関係を後悔したくないだろ? 俺もマスターに後悔してほしくないよ、俺の存在を。でもきっといつか俺はいらなくなる。
「お願いよフライゴン…あなたの姿を見せ、て」 「…ます、た」
なのにどうしてそんなに泣くの。どうしてそんなに、俺を思うの。 両頬を包むマスターの手に自分の手をゆっくり重ねて、優しく優しく口付ける。花びらに触れるように、壊さないように、優しく。 所詮俺はマスターのいうことに逆らえない。マスターを愛してるからだ。人の姿になるのはどれくらいぶりだろう。いつもと違う視界に戸惑った。マスターが俺のゴーグルを奪って下に落とす。かつん、と床にぶつかる音がした。
「フ、ライゴン…、フライ、ゴン」 「なに、」「離れないで、お願いよ」 「大丈夫、離れないよ、」
俺からは。口にはせずに続ける。マスターが背伸びして俺の目蓋にキスをする。マスターが俺にねだるときの、くせ。 ねえマスター、聞いてくれる?俺はね、中途半端にヒトになれるくらいならポケモンのままでよかったよ。最初はすごく嬉しかった。マスターと言葉がかわせることとか目線が同じだとか。特別だと思った。でも、いまはそれがつらいよ。余計な期待をするからね。 苦しい考えを断ち切るように、噛み付くようにキスをして、マスターを壁に追い詰める。
「マスター、俺を呼んで」 「ふら、い、ご」 「それじゃなくて、俺だけの、なまえ」
「 」
もっと、呼んで。
意味をなさないすがるような甘い声と、時折マスターの口からこぼれる俺の名前。それを聞きながらマスターを抱き締める。わるいことをしてるみたいでこの瞬間がたまらなく好き。と、またマスターの目から涙が溢れた。きらきらして綺麗。 いつまで経っても抜け出せないタチの悪いループ。いったい俺たちはどこで間違ったんだろうね、マスター。
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