じくり、刺すような痛みが胃を刺激する。じくり、じくり、まるで鼓動のように、息をするように。ソファに倒れ込むとそれは、一層強く僕を急かした。早く、早く。この部屋はこんなにも静かだというのに、ガラスを1枚挟んだ外の世界では忙しくセミが鳴いていた。それと似ている。 大学の夏休みもこれが最後だ。短いようで長かった4年間がもうすぐ終わろうとしている。そうしたら、次はなにが待っているんだろうか。ぼんやりと先のことを考えていると、玄関からかちゃん、と小さな音が聞こえたかと思うと、「ただいまぁ」ななしちゃんの力の抜けた声が聞こえてきた。ひゃー涼しい。嬉しそうな声になんだかいたたまれなくなって、クッションに顔を埋めた。
「梓くん、寝てるの?」 「寝て、ない。どこ行ってたの」 「スーパーだよ」
だけど寝たふりはできなくて、結局体を起こした。 ななしちゃんはテーブルの上にエコバッグを置くと、冷蔵庫からお茶を出してふたつのグラスに注ぎ込む。氷を入れて、青いワンピースの裾を揺らしながら僕のそばにやってくる。視線をフローリングの傷へと移すと、ベビーピンクのペディキュアが見えた。昨日僕が塗ってあげた、ピンク。
「あー駄目だ、外暑いよ」 「今日28度らしいよ」 「見てよ、こんなに汗かいちゃったよ」
ぺたんと僕の前に座り込むと、タオルで汗を拭きながら笑った。その笑顔が、またじくり、と痛みを誘う。言わないと。早く言わないと駄目だ。 そう思うのに、続ける言葉がない。どう繋げたらいいか、分からない。そんな僕の気持ちもしらず、はい、とグラスを渡してきた。…ありがたいけど。痛みを誤魔化すようにお茶を飲んで、ななしちゃんを見る。
「あのね、今日のごはんは」 「ななしちゃん」 「ん?」 「僕ちゃんと就職先決まったから」 「あ、ほんと」
特に驚くでもなく、ななしちゃんは「よかったねぇ」なんて言う。いや、だから、「そうじゃなくて、」そうじゃなくて。決まった、ん、だ。ここじゃないところへ行かなくちゃいけない、就職先に。
「…そう」 「いつ帰ってこられるか分からないんだ」 「うん」 「だからね、ななしちゃん」 「…うん」
言わなくちゃ。早く言わなくちゃ。そう思うのに、唇が震えてうまくいかない。だんだん体が熱を孕んでいく感覚に、思考さえも絡めとられそうになる。「梓くん」綺麗な夜空みたいな瞳に涙の膜ができていた。今にも溢れそうで、壊れそうで、ぎゅっと胸まで痛んだ。違うんだ、
「だから、僕と一緒に行こ」 「え、でも」 「結婚しよ」
ついに、ぽろりと涙が溢れ落ちた。ぱたぱたとワンピースの上にたくさんの水玉模様を作り出す。僕、ななしちゃんを必ず幸せにするから。頑張るから。だからずっとそばにいて、笑って泣いて怒って、それでまた笑ってほしい。お願いだから、この痛みをどうにかしてほしい。金久保先輩でもないのに、君のことを思うとじくじくと痛みを増すこの胃をどうにかしてほしい。 君じゃないと、ななしちゃんじゃないと駄目なんだ。
「いい、の?わたしで、いいの?」 「うん」
わんわん泣き続けるななしちゃんをぎゅっと抱き締めて、祈る。あの痛みはもうない。
ななしちゃんを幸せにするちからを、僕にください。
★万有引力様提出
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