海を見ていると、なんだか泣きたくなるんだ、と彼は言った。さんさんと降り注ぐ日差し、騒がしい砂浜。どこも泣きたくはない。なぜ?そう問えば、彼はきょとん、としたあと、なんでかなぁと笑った。なんでかなぁ。
だいぶ陽も沈んで、人がまばらになったオレンジ色の砂浜。翼は波打ち際で水を蹴っている。わたしはそれを少し離れたところで見ていて、その近くにはカモメが飛んでいた。今日は朝早くから遠出してきたせいか、すごく瞼が重たい。翼はわたしに気付かずに遊んでいる。別に遠くにいるわけでもいくわけでもないし、いいか、と目を閉じた。深く深く、意識が落ちていく。 誰かが呼んだ気がした。翼かもしれない。それでもわたしはどんどんと沈んでいった。
「なにしてるの?」 「え?」
わたしは寝てしまっていたらしい。声をかけられて目を開くと、そこは浜辺だった。ただし、さっきまでいた浜辺とは少し違った。後ろにあった海の家はなくなっていたし、海岸の形も微妙に違う。なにより、あの海岸にはあんな崖は、なかった。砂浜の先にある崖は夕日に染まっている。ちらりと視界の隅でなにかが動いてハッとする。 そちらを向けば、まだ小学3、4年生と思われる男の子がわたしをみつめていた。
「あっ、…えっ、と、」 「お姉さんも迷子なのか?」 「迷子?どうかな、迷子ではないと思うけど」 「俺は迷子なんだ」 「え」 「俺はずっと、ここで迷ったままなんだ」
彼は無表情でそう言った。ずっとここで、迷っている。「ママは?」隣に体育座りをした彼に声をかける。「いないよ、ここには」嘲笑にも似たそれを浮かべて、ぽつりと吐き出された言葉。
「いないんだ、ここには、おれとお姉さんだけしか」 「…それ、は」
どういうことなの?聞こうとして、強い風に遮られた。目に砂が入らないようにぎゅっとまぶたを閉じ、髪を押さえる。次に目を開くと、少年はわたしから大分離れたところを歩いていた。わたしは動けず、それをただただ眺めることしかできない。 やがて彼はがけの上まで辿り着くと、そこに座り込んだ。わたしの隣に座ったときのように、からだを丸めて。 また強い風が吹きすさび、目を閉じると今度は意識が遠退くのを感じた。待って、まだ、まだわたしは、
「ななし?」 「……つば、さ」 「寝てたのかー?」 「寝て…ああ、夢」 「ゆめ?」
おかしな夢の話を、翼は黙ってふんふん頷きながら聞いていた。話し終わると、どこかびっくりしたような翼が「そうか」と溢した。優しい顔で頭を撫でてくれて、嬉しくもあり、その唐突なこうどうに首を傾げもした。どうしたの?そう問おうとして、はっとした。 あれは、誰だっただろうか?わたしは知っているのではないか?
「ななし、」 「なに?」 「ななし、ありがとう」
俺はもう、大丈夫だよ。海は泣いていない。もう大丈夫だと笑っている。赤く照らされた彼は、わたしをぎゅっと抱き締めて、「ありがとう」もう一度呟いたのだった。わたしがいることで、あなたが救われたのだったら、それはとても嬉しいことだ。
(stsk夏の3部作その1)
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