冷たい水で顔を洗っていると、寒さに反して熱く火照った体も一緒に冷えていくような気がする。ふわふわなタオルに顔を埋めたまま時間の流れを恨んだのは、きっとこのタオルと同じようなやわらかい髪の彼女のせいだ。
流しっぱなしの水を止めると、それに消されていたざくざくと土を掘る音がかすかに聞こえてきた。音のするほうへ足を向けてみると、マフラーもしないでしゃがみこんでいる、彼女。

「なにやってるの」
「梓くんは?」
「ななしちゃんこそ」
「えー、ほら、」

夏の間に埋めたでしょう。ざくざくスコップを動かす手を止めずにあれあれ、と曖昧な言い方をした。穴はどんどん深く、大きくなっていく。あれあれ〜あれだよ、ほらあ。煩わしそうに掘った土をどけて言った。どれ?聞こうと口を開いたとき、スコップががつん、とかたいものに突き当たったのでその言葉は飲み込んだ。ごくん。
ななしちゃんはその小さな銀色の箱を穴からとりだして僕に差し出す。

「ん」
「なに?」
「あけて」
「手が汚れちゃうんだけど」
「あ、手ぇ洗いたい」

ななしちゃんはスコップを投げ出すと箱を僕に押しつけて、たたたーと軽やかに水道のほうへ走っていく。
結局僕は弓道着に片手にタオル、もう片手に銀の箱を持つといういかにもおかしい出で立ちとなった。なんだこの組み合わせ。あきらかにあるひとつがおかしくさせている。
どうせここで待っていたってななしちゃんはかえってこないだろうから、自分から足を運ぶ。…僕って先輩想いな後輩だ、なあ。
じゃあじゃあ豪快に水を出して手を洗う姿が見えるのと、「うげぇつめに土入ってる」というあからさまにいやそうな声が聞こえてきたのは同時だった。

「スコップ役にたたん」
「ななしちゃんがスコップ使うのヘタだったんじゃないの」
「梓くんうざー」
「あっそ」

あっそうです、とけたけた笑う彼女は僕より幼く見える。
満足がいくまで手をきれいにできたのか、きゅ、と蛇口を閉めて「やべー冷たい、」顔をしかめた。
まてまて、そりゃそうだ。何月だと思ってるのさ。彼女は僕のタオルを視界に止めると「たおるー」と甘えた声を出す。僕はこれに弱い。自覚があるくらいに、弱い。ななしちゃんも知っている。

「…はい、」
「ありがとーあずさくん」
「それよりこれ、さあ」
「えっまだ開けてないじゃん」
「え、開けるの?僕?」
「そうだよー早くはやく」

タオルで手をおおったまま期待した目で僕を見る。きらきら。はあ、と深い溜め息をついてふたの淵に指先をかけた。別に普段はあんまり困らないしけどこういうときにつめが短いと不便だ。てこずるかと思ったけどぐっと力を入れたら簡単にあいた。
なかには封筒とビニールに包まれた写真が何枚も何十枚も入っていた。それはどれも僕とななしちゃんばっかり。春から夏あたりまでの時間が詰め込まれていた。

「なにこれ」
「あげる」
「いらないよ」
「やだ、あげるの」
「なんで?」

さっきまでのにやにや顔は消えていてどこか困ったような悲しいような表情を見せている。眉毛がさがって眉間にしわがよっている。ぷい、とそっぽを向いてとんとんと片足の先で地面を二回蹴った。言いたいことがあったり悲しかったり、気付いてほしかったりするときのななしちゃんのくせ。

「梓くんは寂しくないの?」
「寂しい?」
「もう冬だよ」
「そうだね、寒い」
「…もう、冬なんだ、よ?」
「なにがいいたいの」

よく分からない遠回しな物言いに戸惑って聞き返せば、小さなからだが震えて一瞬だけ泣きそうに見えた。「つぎのはるはないのに」つぎのはるはないのに?次の春は、ないのに。

「なに、それで僕たちも終わらすつもりなわけ?」
「違う、けど」
「けど?」
「会えなくなるのは、やだよ」
「あえるよ」
「やだ、よ、違うもん、わたしが会いたいからあうんでしょうそれは、」
「ええと」

なにを馬鹿なこと言ってるんだろう。「ばかじゃない」ほんと、ばかだ。箱を水道の淵において手を洗う。ななしちゃんが持ったままのタオルで手をふいて、ぎゅっとだきしめた。僕よりちいさいそのからだは冷えていて悲しい。
泣いてはいないみたいだけど、泣きそうなんだろうなあと思った。

「卒業式、泣かないでよ」
「泣かないよ、梓くんに笑われるから」
「つまんない」
「うそ、心配さすから泣かない」
「知ってるよ」

腕の中でもぞもぞしながら恥ずかしそうに話す彼女がほんとうに愛しくて悲しくなった。
来年ここにななしちゃんはいない。そんな生活を想像したらただの脱け殻みたいな生活しか想像できなくて、翼とかにからかわれるんだろうなあと思った。「それ、あげるから」「え?」思ったより自分の世界に入ってたらしい。

「あげるから、忘れないで」
「…これで越冬するよ」
「うはは、梓くんりすみたい」
「どんぐり代わり?」
「うん、そう」

これがあれば飢え死にしないよ。そう笑う彼女に、また馬鹿だなあと思った。こんなのあったって、ほんものじゃないのに。



「それでも足りないときは会いにきてくれるんだよね?」
「梓くんが寂しいっていうならね」
「あー寂しい寂しい」

りすはそれで冬を越せるかもしれないけど、正直僕にはむりだとおもう。



(やっちゃった^^)(梓くんの出番はまだまだですね〜)(設定としてはヒロイン3年梓ちん1年)(恋栢は年下なのに梓ちんに「ちゃん」で呼ばれるのにもえもえなのです)

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