嘘は好きじゃないけれど、どうしたらいいか分からなくて1度だけ嘘をついてしまったことがある。あれは、まだわたしが高校に入ったばかりの頃の話で、ひどく焦がれている人がいた。ひとつ上の、部活の先輩。記憶の中の話だから曖昧なところも多いし、実際はどうだったか今となっては分からないが、とても素敵なひとだった。優しくて強い、素敵なひと。
そんな彼に好きだと言われて、わたしはどうしたらいいか分からなかった。だから嘘を吐いた。ごめんなさい、そういうふうには見れません。きっと先輩にはこれが嘘だと分かっていただろう。なのに先輩は、少し眉毛を垂らして「そっか」と困ったように笑っただけだった。とてもとても、強くて優しいひとだった。
わたしをとても、こんなわたしを、好きだと思ってくれていた。
それを唐突に思い出して、これはあれでよかったのだと思う。きっと幼いわたしは、この人に出会うことをどこかで知っていたのだと思うから。
差し出されたやわらかい箱は彼の手にすっぽり収まっていて、わたしはそれを受け取れずにいる。いやだからではない。ただ、動けない。

「結婚しよう」
「ほしづ、き、せんせ」
「迷惑ならそう言えばいいよ」
「いえ、そうじゃなく、て」
「ならどうした?」
「むかし、好きだった人に嘘を吐いたんです」
「へぇ」

それがどうしたと言いたそうな先生に苦笑しながら、さっき思い出したことをぜんぶ話した。すると彼はまるで自分が今から断られるかというような顔をするから、「…お願いします」と動けなかった体に力を入れてやわらかい箱を受け取って、恥ずかしくて普段なら言いたくないような言葉を口にした。

「わたし、あなたに会うためにあのとき嘘を吐いたんだと、思う」
「なんだそれ」

照れたわたしをからかうようにあなたは笑うけど、本当にそう思うんだよ。いまこうして、あなたのとなりにいること。後悔なんかしていない。あのとき頷いていたら出会えなかったかもしれないなんて、そう考えただけで怖いもの。それはそういう道だったんだよって、きっとあなたは笑うんでしょう。でもそれじゃあわたしが嫌なんですよ。
わたしはあなたに、出会いたかった。
だから、よかった。わたしはあなたに会うために嘘を吐いたんです、あのとき。





「せんせ、好きですよ」
「知ってる」

わたしはもう、この先に嘘を吐かないだろう。


(星月せんせと同僚的な話)

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