「ななし…!」
「へぁ?!」

よっちゃんと新しくできたセゾンアベニューに来ていたら、突然後ろから名前を呼ばれ、手首を掴まれた。勢い余って後ろへ倒れ込んでしまったけど、幸か不幸か、犯人の胸元にぶつかって止まった。
な、何事…?!
びっくりして振り返ると、とんでもないイケメンが切羽詰まった表情でわたしを見ていた。よっちゃんもびっくりして目を見開いている。

「え?」

誰?
わたしの困惑に気づいているのかいないのか、イケメンはわたしの手首を握り直し、ぐっと近寄った。

「ななし、オレ…!」
「ちっ、近い!近い近い!近いです!」
「ななしちゃんから離れてください!」
「ジュン!急に走り出したと思ったら…!何して、いやほんとに何してんだお前?!」
「なんかまたイケメン増えた?!」

状況も飲み込めないままメガネのイケメンが増えた。イケメンってこんな簡単に増殖するの?なに?

「おいジュン、いい加減に」
「………」

手首を掴んだ人はメガネの人が窘めるも黙ったまま動こうとせず、折れたのはメガネの人だった。
深いため息を吐くと周囲を見回し「ここじゃまずい」と言ってころりと表情を変え、わたしたちににっこり笑いかけた。

「いやはや!連れがすみません!申し訳ありませんが一緒に来ていただけますか!そうですかありがとうございます!」
「まだ返事してないんですけど…?」
「すぐそこですので!お手数をおかけします…☆」
「お手数かけないで?!」

わたしたちの意見はまるっと無視され、ぐいぐいと押されるままに近くにあったビルに連れ込まれる。
なにここ、すっごいとこつれてこられたんだけど…!
広いエントランスはお洒落で場違いにもほどがある。今すぐ出たい。だめですか、そうですか。

「ご安心を!この通り至極全うな会社ですので!」
「逆に怪しいんですけど…?!」
「ななしちゃん出ようよ、逆先くんに怒られるよ?!」
「わたしも出たいよ!すごい力で押されてるんだよ!ブルドーザーなの?!」

さっきからどうにか離れようとしているけど、振り向こうにもうまく力をいなされて前に進むしかできない。
ごりごりのマッチョには見えないのにとんでもないパワーのメガネである。つむぎくーん!同じメガネなのにこの人怖いよお…!
ていうかほんとに夏目くんに怒られる。知らない人についてくとかバカなの?って絶対怒られる。
やだ〜〜今すぐ帰りたい!

「逆先?逆先夏目?」
「もしや逆先氏の知り合いでしょうか?話が早い!逆先氏も所属しているビルですのでご安心を」
「ご安心?だからなんの?!」
「まあまあまあ、こちらへ…」
「人の話聞いちゃいない!えーん夏目くん…!」

タブレットで何かを入力したメガネイケメンは誘拐犯もかくやという手際の良さでエレベーターへと押し込み、ひたすらにこにこと笑った。
あ、これ、笑ってるけど笑ってないやつだ…。
ええ、なんか怒ってる…?
わたしたち被害者なんですけど…。
上へと昇っていくエレベーターの中は誰も話さないせいで居心地が悪く、かといってこちらから声をかけるのも憚られる。
途中で誰か乗ってきてくれればまた違ったのかもしれないが、目的地に着くまで止まることすらなく、ただただ息苦しい空間に呼吸すら気まずかった。

「さあどうぞ、こちらへ…☆」

やっとエレベーターが止まると、扉の並んだ廊下に出た。閉鎖空間でないというだけでほっとしてしまう。
メガネイケメンはその扉のうちのひとつに近づいて、手早くカードをリーダーにかざして解錠すると手で扉を押さえてくれた。示されるまま、開かれたドアをくぐった。
応接室…のようなそこは、いかにも高そうな皮張りのソファとローテーブルがあった。大きな窓ガラスから見える景色は空高く、青々としている。
また違う意味で息苦しい…!こんなの座れないよ!
よっちゃんはいまだに警戒心丸出しだし、わたしもびびって立ったまま動けない。
無情にも扉は閉められたし、鍵も閉められた。嘘じゃん。

「さあさあ、そんなところで立っていないでこちらへ。逆先氏の知り合いならここがどこかも分かるでしょう」
「な、夏目くんのお仕事のことまでは知りません。ママなら知ってると思うけど…」
「そうでしたか。まあ、この際、逆先氏のことはいいんです。ああっ!いやいやいや!名乗るのが遅くなってしまい申し訳ありません!自分、七種茨と申します!敬礼〜☆」
「あ、どうも…?」
「どうも…」
「お時間をいただくのもなんですし、単刀直入に伺いますが。うちの漣とはどういったご関係で?」
「さざなみ?」
「こいつのことです」

七種さんはわたしとよっちゃんに名刺を渡すと敬礼をした。
コズミックプロダクション副所長、七種茨。コズプロってあれだよね、なんかわりと過激なアイドルが多い…?ていうか副所長?わたしたちと同じ年くらいだよね…?
アイドルについては正直ほとんど知識もなく、ピンと来ないけど。
よっちゃんは心当たりがあったのか、小さく悲鳴をあげ、「ひえっ、え、Eden…?」と呟いて固まってしまった。
こちらの名前など聞く気もないのか、どうでもいいのか、自己紹介もそこそこに七種さんは「漣とはどういう関係か」と言った。
さざなみが何を指すのか分からず首をかしげると、隣の彼を示されて、ふたりで黙ったままのさざなみさんを見た。

「さざなみ、さん。ええと、どういうも、なにも」

全く知らない人だ。突然腕を掴まれて、ここに連れてこられた。わたしが分かるのはそれだけ。

「そんなわけないでしょう。急にフルスピードで走り出したと思ったらあなたのところへまっしぐら。結構な距離であなたのことを見つけたんですよ。知らないというのは無理があります」
「そう言われても」

見に覚えがないものはない。
わたしの答えに納得してくれたのかは分からないが、七種さんは固まった笑顔のまま、低い声でさざなみさんに話しかけた。

「おいジュン…」

苛立ったように七種さんは隣の彼を睨むけれど、さざなみさんはどこか落胆したような声で問いかけた。

「ほんとに分かりません?」
「えっと」
「ななし、チョコくれただろ」
「チョコ…?」
「バレンタインに」

バレンタインはもうこりごりだ。あげるわけない。あんな思いをしてまで参加したい行事じゃないし、わたしがチョコをあげたことのある男の子なんて、ひとりだけ。
隣の席の、ジュンくん。
ん?ジュンくん?

「えーっと、お名前は…?」
「ジュン。漣ジュン」
「じゅん…?」
「あの時はごめん」

あのとき。そう言われて、初めてのバレンタインが思い出された。
深い色の髪に、レモンみたいな、夏目くんとは違うタイプの黄色い瞳。いつもちょっとはにかんでて、イチゴが好きで、優しかった、

「じゅ、ジュンくん?」
「やっと思い出した?久しぶりっすねえ」
「えっ、え?!」
「や、覚えてんのオレだけかと」
「覚えてるっ、覚えてるけど!まさかこんな風に成長してるとは思わなくて…!だってジュンくんもっとこう、線の細いさわやかな感じだったから!」
「はは、男がずっとそんなんなわけないっしょ」
「だって夏目くんは昔と全然変わんないから…。びっくりした」

とりあえず、七種さんの視線がやばくて全然まったく再開を喜べません。



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